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共生社会という"パラリンピックレガシー"-「感動ポルノ」対「ノーマル社会」:研究員の眼

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日本時間の9月19日、第15回夏季大会となるリオ2016パラリンピック競技大会が閉幕した。リオ五輪に続き多くの素晴らしい感動があった。

1964年の第2回東京大会当時は、障がい者スポーツへの理解はほとんど進んでいなかった。半世紀以上が経過し、東京パラリンピックを4年後に控えた現在、人々の期待も膨らんでいる。今後、どのような"パラリンピックレガシー"が築かれるのだろうか。

NHKのEテレが2012年から放送する『バリバラ』(Barrierfree Variety Show)という障がい者のための情報バラエティ番組がある。今年8月28日の放送内容は、『検証!「障害者×感動」の方程式』と題し、メディアや日本社会の障がい者像の捉え方をテーマにしていた。

番組では、オーストラリアのコメディアンでジャーナリストでもあったステラ・ヤングさんが提唱した「頑張る障がい者を一方的に感動の対象とすることは差別だ」とする『感動ポルノ』をキーワードにしていた。

それは同じ時間帯に日本テレビが放送していたチャリティ番組『24時間テレビ~「愛は地球を救う」』へのアンチテーゼであり、障がいに対する社会の向き合い方を問うものだった。メディアが障がい者の"感動"を演出し、寄付を募ることは『感動ポルノ』だというのだ。

その寄付行為には障がい者に対する潜在的な優越感や上から目線を感じるからだろう。『バリバラ』では、多くの障がい者自身もこのようなメディアの取り上げ方を快く思っていないことを紹介していた。

しかし、人間は感動を欲するものだ。それは何も悪いことではない。五輪メダリストの大変な努力に感動するし、パラリンピックのメダリストに対しても同様だ。

そこに違いはないはずだが、いつの間にか障がいを持つことに過度な注目が集まり、本来のスポーツ選手としての努力が、障がい者への"憐み"からくる感動へとすり替わってしまう恐れがあるのではないか。

20年以上前に初めてスウェーデンに行った時、「ノーマル」な社会とはどのようなものか尋ねたことがある。

社会には先天的・後天的に関わらず一定の障がい者が存在し、健常者だけの社会はありえない。したがって、健常者と障がい者が自然に混ざり合った状態こそ「ノーマル」な社会だと教えられた。

日本は超高齢社会を迎え、誰もが加齢と共に身体的な衰えを経験する。障がい者にはバリアフリー化を進めてきたが、それは加齢に伴う高齢者にも優しいユニバーサルデザインだ。

『感動ポルノ』は障がい者と健常者を分断するが、「ノーマル社会」では両者はクロスオーバーする。2020年の東京大会では、共生社会という"パラリンピックレガシー"が実現することを期待したい。

前回: パラリンピックと共生社会-「公平性」のための「ルール」づくり

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(2016年9月20日「研究員の眼」より転載)
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土堤内 昭雄