言葉の壁~標準語の功績と日本語の未来

同じ言葉を話すということは、互いに同胞と感じる大きな要因だ。内戦などによって分裂の危機に陥っている国々では、地域によって異なる言語が使われていることも少なくない。意思の疎通が難しいということは、国内の対立が深刻化したり分裂の危険性を高めたりする要因の一つであることは疑いない。
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出身地とは何か?

初対面の際に「出身地はどこですか?」と聞かれるのは良くあることだが、本籍地と出生地が違う上に親の転勤で転校を繰り返したので、どう答えたら良いのか迷ってしまう。最近知ったのだが、地方新聞では本籍地は移すことが可能だが出生地は変わらないので出生地を出身としているそうだ。

面白かったのは長野県の人が、県歌である「信濃の国」が歌える人は長野県人であると言っていたことだ。子供のころに長野県で教育を受けた人は、まず間違いなくこの歌が歌える。筆者も、音程が外れるのを許していただければ歌うことができる。何か共通のものがあるというのは、同郷人と感じる大きな要因だ。

同じ言葉を話すということは、互いに同胞と感じる大きな要因だ。内戦などによって分裂の危機に陥っている国々では、地域によって異なる言語が使われていることも少なくない。意思の疎通が難しいということは、国内の対立が深刻化したり分裂の危険性を高めたりする要因の一つであることは疑いない。

標準語の功績

子供のころから自然に習得する言語である母語の人口を言語別に比較して見てみると(*1)、中国語が第一位なのは当然として、広東語が20位に入っているのが目につく。

四半世紀以上も前の話ではあるが、中国から来た留学生と香港から来た留学生が慣れない英語で話をしているので驚いたことを思い出す。話が通じなくなると筆談で補っていたが、書いたものは問題ないのだが、中国語(北京官話)と香港で話されていた広東語では発音が異なっているので互いに口頭では理解できないということだった。書かれた文字はそのまま変化せずに伝わるが、伝言ゲームのように読み方は途中で変化してしまったからだろう。

母語人口と言う意味では日本語の順位は9位と意外に高いが、なにもせずに自然に日本中が標準語を話すようになったわけではない。今ではめったになくなったとはいうものの、国内出張で地元の人達同士の会話が全く聞き取れずに面食らうということもある。

1985年にNHKのテレビドラマで放送されていた『國語元年』(井上ひさし作)(*2)は、明治維新直後の東京が舞台だった。各地からきた人達がそれぞれの方言で話をするので話が通じず、誤解とイライラが生みだすドタバタ劇に腹を抱えて笑ったのを思い出す。明治維新の際に日本が統一を維持し、強い同胞意識を作り出すことができた背景には、義務教育によって標準語で意思疎通ができるようにしたということが大きな役割を果たしたことは間違いないだろう。

言葉の壁が無くなった世界

ITの発達で、そのうちに書いたり話したりしたことが、すぐに翻訳されるようになるだろう。それでも世界に本当の意味での平和が訪れるためには、互いに意思疎通のできる共通言語が必須なのかも知れない。英語力が無いので考えていることを英語で表現できないのは仕方が無いと思うが、言いたいことは分かるがどう工夫してもうまく日本語にならない英語に出くわすことがあるからだ。考え方や論理自体が使っている言語に影響されてしまうのだろう。

母語とする人口が多いかどうかということと、国際的に通じる言葉かどうかということは別問題だ。日本も含めて多くの国は、母国語の次に英語が教えられており、程度の差はあるものの英語が通じる国が多い。ザメンホフが国際語となることを目指して作った人工の「エスペラント語」は多くの人々の努力にも関わらず広まっておらず、インターネット上では英語が事実上の国際語として広く使われている。英語が世界標準語の座を徐々に着実なものにするのか、それとも米国の経済力が世界の中で相対的に低下していくことが、その歩みを止めてしまうのか予想は難しい。

さて、言葉の壁が無くなった世界では日本語がどうなっているのだろうかと考えると、少し寂しい感じもする。方言を話す人達はお年寄りだけになってしまったという話しも聞くが、日本語も世界の中の方言として次第に消えて行ってしまうのかも知れない。もっとも残念ながら今生きている我々の誰も、各国の人々が簡単に意思疎通できる世界を見ることはできないだろう。

(*2) 「國語元年」井上 ひさし (著)、2002年、中公文庫

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株式会社ニッセイ基礎研究所

専務理事

(2014年8月29日「エコノミストの眼」より転載)

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