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高まる統計への批判:エコノミストの眼

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1――難しい質改善の計測

蒸し暑い日本の夏に混みあった列車で通勤するのは今でも苦行だが、まだ列車が冷房されていなかった時代は、今より混雑度も高く二重の意味で大変だった。

東京では1970年代に入ると徐々に冷房化が進み始めたが、完全冷房化には時間がかかり、冷房のある列車に乗れるかどうかは運次第という状況が長く続いた。

空調設備の付いた通勤列車を利用している現在の利用者は、単に電車で移動することだけではなく、空調というサービスも享受している。混雑の緩和も加えると、列車が冷房される以前と比較して、現在ははるかに高品質の消費を行っていることになる。

総人口が減少に転じた日本では、国内で販売される商品の数量が増えることは少なくなり、人々がより品質の高い商品やサービスを利用するという、質の改善によって経済が拡大を続けるようになるはずだ。

経済政策の目標として使われることの多い実質GDP(国内総生産)は、国の経済状況を表す指標としては最も総合的なものだが、鉄鋼の生産量が増加する、自動車の生産台数が増える、テレビの販売台数が増えるといった数量の変化を実質GDPに反映させることに比べて、仕立ての良い服、おいしい食事、快適なホテルといった品質の良さを反映させることははるかに難しい課題である。

このためには、先ほどの通勤列車の利用の例を使えば、電車運賃の変化を「以前と同じサービスの価格が変わった分」と「サービス改善の対価」とに分ける必要があるが、正確に寄与を分解することは極めて難しいからだ。

2――高まる批判の背景

2015年に麻生財務大臣がいくつかの経済統計の精度に疑念を投げかけたことをきっかけに、経済統計に関する議論が活発になっている。

この背景には、日本の経済成長率の低下がある。1970年代初めころまでの高度成長期には二桁が当たり前だった日本の実質経済成長率は、近年はゼロ近辺に低下している。

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経済成長率が二桁の時代には大きな問題とはならなかった程度の誤差が、低成長下の現状では景気の拡大・悪化の判断に影響するようになり、経済統計に対してこれまでよりも高い精度が要求されるようになった。

指標の精度だけではなく、統計指標そのものに対する批判もある。

経済政策の目標として使われることも多いGDPに対しても、発表値への批判や推計の精度や手法に対する批判だけでなく、環境悪化や天然資源の減少というマイナスを全く反映していない等GDPそのものへの批判も数多くある。

各国の比較を可能にするために国際機関が統計の基準を定めている場合もあり、こうした問題の改善には基準作成の作業で日本が積極的に発言していくことも必要だ。

3――地道な改善の努力を

終戦直後に整備が進んだ日本の統計制度は、長年にわたる社会の変化のために現状にそぐわない部分も増えてしまった。

このため2007年には60年ぶりに統計法が全面改正されるなど、一時改革の機運が高まったが、その後の日本経済の混乱の中で地味な「統計の改善」という問題に対する関心は急速に薄れてしまった。

統計に対する批判には昔から指摘されてきたものも多く、統計を作成している部局では改善のために長年努力してきたことも確かだ。

残されている問題は解決が難しいものばかりで、コロンブスの卵のような改善策は見当たらない。精度の向上や経済・社会の状況把握に役立つ統計の整備のためには、地道な改善の努力を積み重ねる必要がある。

日本では問題解決に直結しないように見える情報の価値に対する評価が低いことも、政府の中で統計の改善への取り組みが進まない背景にあるのではないか。

適切な政策判断のためには正確な情報が必要不可欠で、企業も家計も統計調査の対象であるだけでなく、統計の利用者でもあり、統計情報を使って政府が行う政策判断によって大きな影響を受けている。

企業も消費者も、統計の抱えている問題の解決を政府任せにせずに、自分達の問題として根気強く見守っていく必要がある。

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(2016年8月30日「エコノミストの眼」より転載)
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