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ハーフ成人式に行ってきたーー浦島花子が見た日本

2016年02月23日 15時24分 JST | 更新 2016年02月23日 15時24分 JST

以前書いたブログ「ハーフ成人式」については様々なコメントをいただいた。

実際に参加したことのある人からは、その場にいなければわからない感動や喜びがあることを教えてもらった。また参加して違和感だけが残ったという人も多かった。

先週とうとう我が子の番が来たので、寄せられた多くの人々の気持ちを胸に出かけてみた。今回はその報告をしようと思う。

まず当日の朝、我が子が楽しそうに言うのである。「10歳を祝う会には、来るんでしょ?」と。

「10歳を祝う会?ハーフ成人式やなかったん?」

「もうそんな言い方しないんだよ。」

まるで、「ハーフ成人式なんてもう古い」とでも言わんばかりである。今(だけ)を生きる小学4年生には、ほんの数週間前も昔なのだ。

「で、10歳を祝う会で何やんの?」

「ショーみたいに、みんな好きなことするんだよ。」

私が聞いていたハーフ成人式とは内容も違うようだ。なによりも「10歳を祝う会」というネーミングがいい。

会場は第二音楽室。少し早めに着いた私たち夫婦は、前の席でビデオカメラを構えて陣取っていた保護者と一緒に前列に座った。

我が子が言っていた10歳を祝う会は、本当にショーであった。総合の授業で大道芸を学んでいたというクラスだけあって、バルーンアートやディアボロ、ジャグリングのパフォーマンスあり、手品やラッパ演奏もあり、集まった保護者達も大喜びで拍手喝采。子ども達も誇らしげである。

ふとホワイトボードの手書きのプログラムを見ると、ショーの後は「ありがとうタイム」とある。正直「ああやっぱりか」と残念な気分にさせられる。最初から最後まで、主役は10歳児達ではいけないのか。

でも生徒達の表現の仕方にはなんの規制も強制もなく、みんな何かは言うけれど、それが「ありがとう」でなくてもよい環境が作られていたのはありがたい。

それでも...

「私たちはバルーンアートでいろいろな物を作ることができるようになりました。これもお父さんやお母さんのおかげです。ありがとうございました。」

10歳なりに気を使っている。この10年間の子育ては全てバルーンアートのためだったのか。まあ、それでもいいか。

次に登場した男子2人が床に座って将棋を始めた。見ている大人達は、将棋以外に何を披露してくれるのか期待満々で2人をじっと見守るも、突然「時間でーす」と先生の声。

少年達はスクッと立って、「10年間育ててくれてありがとうございました。僕が将棋がうまくできるようになったのもお父さんとお母さんのおかげです。もっと練習して強くなりたいです。」

そう言うと彼等は将棋と共に去っていった。小学4年生にとっては何事も真剣勝負なのだ。

続いてビーカーでスライムと人工イクラの作り方を披露してくれた男子グループ。「10年間育ててくれてありがとうございました。おかげで僕は、スライムや人工イクラを作れるようになりました。」

今(だけ)を一生懸命な小学4年生らしくてサイコーだ。それにしても、この10年間がスライムと人工イクラのためだったと思うと泣けてくる。

最後に、十数人の生徒がゾロゾロと登場し、並んだまま保護者達に向きあって座る。それぞれの手には、プレゼントや手紙。

多くの保護者が体験した「違和感」というのは、こんな時のことだろう。私は話に聞いていた違和感を体験することになんだか期待すら感じていた。

「お母さん、前に出てきてください。」呼ばれたお母さんは「マジですか?」と言わんばかりの表情だ。「お母さん、10年間育ててくれてありがとうございます。私が大好きなバレエを続けられるのも、お母さんのおかげです。これからもよろしくお願いします。」

涙をそそるではないか。会場の保護者達は、その場の空気に酔いしれる。

お涙ちょうだいが続くかと思えば...

「お父さんお母さん、前に来てください」との命令に、もじもじしているお父さんとお母さん。「早く来て!」と子どもに叱られる。思わずドヤッと会場がわいた。

頭をかきかきしながら前に出て来た次の生徒のお父さんは、嬉しいやら恥ずかしいやら、大勢の前で緊張するやらで困った様子。「お父さんお母さん、10年間育ててくれてありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」

「よ、よろしくお願いします。」お父さんは、手紙を受け取りながら、思わず子どもに頭を下げた。

他にも彫刻を披露したり、寸劇をしたり、生徒がしたい様に好きな事を披露してくれるのだが、必ずその最後には「育ててくれてありがとう」と付け加える生徒がほとんどであった。そんな10歳児の精一杯の気遣いが、とても不自然で笑えることも多かったが、痛ましく感じる時もあった。

一番の違和感は「育ててくれてありがとう」という言葉自体だろう。子ども達の気遣いはありがたいが、子を育てるのは親の義務である。「育ってくれてありがとう」と、保護者の誰かにツッコミを入れて欲しかったが、それは叶わず終わってしまった10歳を祝う会。

面と向かって自分の親に何も言えなくても、何も言いたくなくても、そして、その場に来れない保護者もいる中で、生徒一人ひとりの意思に任せてくれた先生には感謝したい。