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個人番号導入ついでに夫婦別姓も導入したらどうだろうーー浦島花子が見た日本

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Family in living room with cake smiling | Cathy Yeulet via Getty Images
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夫と私は夫婦別姓である。

最近の夫婦別姓に関するニュースを読んで、日本に引っ越す前に私たちも名字を統一しなければいけないのか悩んだのを思い出した。40年ちょっと同じ名前で生きてきたのだから、今さら変えるのに変な感じがするのはしょうがない。

でも日本では国際結婚の人には夫婦別姓が認められていると知り、それまで通り夫婦別姓で暮らしている。それで何か問題があるかというと、今のところ何もない。

強いていえば、私が大藪家に嫁いだと思われやすく、よって私の夫も海外生活の長い浦島太郎か、故郷に戻らず日系人と化した浦島太郎かと推測する人がいるくらいである。

それにしても、どうして夫婦別姓は国際結婚者限定なのか? 元々夫婦別姓でも生活できる社会なのだから、日本人同士の結婚に、その選択権を認めないのはおかしくはないだろうか。

手続きが面倒だからという理由であれば、それは行政の怠慢に過ぎないが、ラストネーム(名字)に関しては、日本人には深い思いとそれに伴う歴史がある。でも、それだけで夫婦別姓を禁止するのはどうかと思う。

日本人には「ラストネーム=名字」とは、なかなか頭に登録されにくい。それもそのはず、日本ではいわゆる下の名前より、ファミリーネームの方がアイデンティティーを語る上で強いからだ。いつも最初に語られるものがラストになるなんて、やはり感覚的におかしな気がするのも当然だ。

アメリカでは逆である。ファーストネーム(given name)がその人のアイデンティティーそのものなのだ。おかげで、職場の上司も学校の先生もファーストネームで呼ぶ。日本人からしたら失礼に思えるかもしれないが、個を尊重するという意味ではそれもリスペクトなのだ。もちろん場合によっては、きちんとMrまたはMsで話しかける必要がある時もある。

以前にも書いたが、私の夫は黒人、白人、ネイティブアメリカンという3人種が生み出した大傑作(少なくとも私と子どもにとって)である。パッと見は黒人だ。いや、中東の人といわれてもおかしくないし、スペイン語を口にすればラテン系と思われるにちがいない。肌の色がライトブラウンなので、アフリカに行ったらカラード(多人種)といわれるだろう。もちろんその通りなのだが。

そんなアメリカンオリジナルな夫の名前は、典型的なアイルランド系の名前であるのが面白い。私たちが以前住んでいたアメリカのど真ん中の街の電話帳だけでも、夫との同姓同名が10人以上はいたくらい、よくある名前だ。日本でいうと田中ヒロシさんといったところだろう。

夫曰く、19世紀に多くのブラックアメリカンが、奴隷制廃止と同時に突然「自立」をしなければいけなくなった時、当時の大統領や奴隷のオーナーだった人のファミリーネームをとって自分につけたという。だからブラックアメリカンの名字には、ワシントン、ウィリアムズ、ジョンソンなどが多い。

夫の父方の名字もそうやってついたに違いない...らしい。このような名字の由来は奴隷とされていた黒人だけではなく、白人の貧困層も同じだったという。

何百年も前の先祖まで記録が残っている家族や、19世紀以降に移民してきた家族以外、アメリカ人のラストネームの由来が上記のようであればなおさら、ファミリーネームをラストネームをとよんでもおかしくないという訳だ。

アメリカで夫婦別姓が当たり前の様に存在する理由として、家柄やファミリーネームに対する執着心がそう強くないから、または逆に強いからこそ、と両方あるだろう。

夫婦別姓だけではない。アメリカでは結婚する時に、夫婦一緒に名字を変える人もいる。全く別名にするのはルール違反だが、例えば「Williams-Robinson」というように、ハイフンで二人の名前を引っ付けるのはよくあるパターンである。

もう1つ、アメリカではファミリーネームに縛られない理由がある。それは、日本でも導入が予定されている個人番号である。

アメリカでは、ソーシャルセキュリティーナンバーと呼ばれているが、この番号によって、行政は誰が誰と家族であって、どれだけ収入があり税金を払っているのか、住所、電話番号はもちろん、クレジットカードを何枚持っていて借金がどれくらいあるかまで把握しているのである。

当然、個人情報泥棒も多く、見に覚えのないクレジットカードの記録が突如現れ、買った覚えのないものの請求が届いたりするという被害が、アメリカ社会では後を絶たない。

番号で監視される時代が、日本にも来てしまったことについては残念に思う反面、夫婦別姓を進めるには好都合ではないかと思う。

なぜなら、マイナンバーで全ての人が登録されることにより、戸籍制度が必要なくなるからだ。

戸籍がなくなれば、ガッチリと家の名前を守るというような意識も薄れてくるのではないかと推測するのは安易すぎるとは思っている。多くの日本人には名字と一緒にお墓もついてくるし、戸籍がなくなったとしても「なになに家」のプライドを簡単に捨てるわけにはいかないだろう。それは、男だけではなく、女も同じである。

だからこそ、個人番号導入と共に夫婦別姓も解禁し、配偶者と別姓でいることによって、自身のルーツを持ち続けることも、国民の権利の1つとしておくことには意義があるのではないだろうか。

では、子どもが生まれたらどうするのか? それも夫婦で話し合って納得がいくようにすればよいと思う。私たちの子どもは、名前を変えていない私の戸籍に入ったため、日本では私の姓を名乗っているが、アメリカの出生届には、大藪をミドルネームとし、夫の姓をラストネームとしている。アメリカの友人夫婦のMrトーマスとMsスミスは、子どものラストネームだけ、両方の名字を一緒にし、トーマススミスとしていた。

日本でも両親のラストネームを併せてオリジナル名字を作ることができたら素晴らしいと思う。「山田x佐藤=山藤」というように。家柄や過去に囚われず、「自分とはなんぞや」ということをもっと自由に考えることができそうだ。

家族の形はすでに多様化しつつある。家庭を必要としている子どもたちの里親や養子縁組のニーズは、今すでに大きな課題となっている。夫婦別姓だったら、一家の中に名字が他にも増えたって、それ程大きな問題でもなくなるだろう。

家族みんなが自分らしく生きることは、名字が違っていても可能である。その妨げとなるものは、「こうでないといけない」と決め付ける意識以外、何もない。

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