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浦島花子が見た日本

2014年01月28日 22時45分 JST | 更新 2014年03月30日 18時12分 JST

20年以上も営んできたアメリカ生活に一旦ピリオドを打ち、帰国したのが昨年6月。毎年のように帰国はしていたが、短期滞在でお客気分でいるのと、長期住人になるとでは全く気分が違う。それでも帰国直後は、新しい生活の立ち上げと、その合間に入る講演会や久しぶりに会う友達などでワクワクそわそわしていたハネムーン期であった。が、それも3ヶ月でさっさと終了。アメリカ人の夫と子供につられ、真っ逆さまにアメリカシックに陥った。

私は日本人のはずだ。人生の半分以上国外にいたからといって、国籍を変えようとか、無理してアメリカ人ぽくなろうと思ったこともない。生まれ育った居心地のいいはずの「実家」に戻ったのだ。この見た目に美しく清潔な国、「おもてなし」精神を重んじ、公共の場では小声で電話することすら慎む国民性。アメリカで経験したイライラの要素から解放されたのには間違いない。

自己中心より周りに配慮。ゴミの分別も環境のためだし、どんなに狭い路地の信号だって守って交通安全、行き過ぎたサービスも甘えていれば悪くなく、電車も大抵時間通りにやって来て決められた所にちゃんと停まる。そしてなによりも、世界遺産にまでなった日本の食文化の素晴らしさ。放射能汚染や添加物を見て見ぬ振りさえできれば、何だって美味しいし、輸入されたアメリカのファーストフードの味までなんだかグッドと思う。では、どうして私はアメリカシックに陥ったのか? 年越し後、多少立ち直ってきた今だから冷静に考えてみたいと思う。

まず私はアメリカの何を恋しがっているのだろうか。23年ぶりに帰国移住した日本には、スターバックスやクリスピークリーム、コストコもDean&Delucaもある。アメリカンなものが欲しければそれなりになんでも手に入るが、残念ながら、物で心は満たされない。おっと、そんな言葉が私の口から出るとは、自分も成長したなと思う。いや、40過ぎたのだからいい加減すっぱり断捨離して、残り半分の人生は身も心も軽やかに生きたいと思う。

しかし、この「軽やかに生きる」こと自体が、日本では難しい。どこに行っても世間体が付きまとうからだ。女はこうだ、男はこうだ、規則ですから、普通はこうですからと、何かにつけて言い訳がましいことを言う人が多いばかりか、「ほらそうでしょう」と言わんばかりの電車の中の雑誌の宣伝。そんな「常識」から外れてる人間はこの日本社会ではどうにもなりません、とでもいうかのような風潮。言われた仕事を機械的にしていれば、自分で物事を考えずにすむのは楽な話だが、裏を返せば、企業が使い捨てしやすい人材がおおいに育つ社会構造だ。お陰で、「企業が人を養っているから、企業が死んだら人も死ぬ」というような妄想を公言してしまうお年寄りが、この日本で生きる人たちの人権よりも、ブラック企業を保護しているといっても過言ではないだろう。

窮屈である。この窮屈さは、日本でしか味わえないと思う。「私は私、あなたはあなた」でよかったアメリカでは味わえなかった。言ってみれば、スーパースペシャルな日本人の特権だ。だが、この特権故に苦しみ、引きこもりや自死の選択をする人が、併せて何十万もいる日本。

「考えすぎでしょう」と言われれば、そうだとも思う。物事を考えすぎる悪い癖があることは自分でもよくわかっている。だが、しばらくは、そんな私の独断と偏見により、浦島花子としての「びっくり日本」を紹介させていただきたい。この機会を与えてくださったハフィントンポストに感謝。

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