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国際化、前進か後退か――浦島花子が見た日本

2014年02月28日 22時47分 JST | 更新 2014年04月30日 18時12分 JST

私がアメリカ生活を始めた1990年以前、私の周りにいた外国人といえば、通っていたミッションスクールのアメリカ人の白人校長先生と、同校で英会話の指導をしていたアメリカ人で白人の先生のみだった。そんな環境の中で、「外国人=白人」、しかも「白人=アメリカ人」という視野の狭い意識が私の中で培われたことは言うまでもない。

あれから23年後、首都圏に帰国移住してまだ半年ちょっとにも関わらず、すでに私には様々な外国人の友達がいる。関東首都圏は着々と国際化しているようだ。いや、90年代にも多様な外国籍の人々が日本でも暮らしていたはずだ。首都圏に限らず、日本各地に外国人達がいたはずだが、日本人同様のアジア人で多国籍の人々は、白人や黒人の人達より目立たない分、私のような狭い世界で育った一高校生は特にそんな人との接点もなく、お陰で日本の社会も結構昔から多民国であることに気づけていなかっただけだろう。

私の連れ合いはアメリカ人であることは一番初めのブログでも書いたが、あれだけを読んで彼が白人と思った人は多いと思う。未だ、日本で一般的に思われるアメリカ人のイメージ、しかも国際結婚のアメリカ人夫だと、尚更白人と思う人が多いようだ。「白人」「黒人」という表現が差別的であるという風潮もある時代だが、ここではあえてこの言葉を使って話を進めたい。というのも、アメリカの「黒人」の人々に言わせてみれば、まず「黒くて何が悪い?」であって、ニグロ、ブラック、アフリカンアメリカンというような呼び名の変化は、もともと黒人自身から出たものではなく、アメリカ社会で「肌が黒い=白い人より劣っている」という意識に疑問をもった白人優位社会が生み出した言葉の変化なのだ。黒人の人にとったら自分の知らないところで勝手に名称を変えられてきたも同然だ。

夫の話に戻るが、彼は黒人、白人、ネイティブアメリカンの3人種が生み出した最高傑作(少なくとも私と子供にとって)である。言ってみれば正真正銘のアメリカンである。でも彼が多感な時期を過ごした70〜80年代のシカゴ郊外では、まだ人種を超えた結婚、特に黒人と白人の結婚というのはタブー視されていたそうだ。

だが元々アメリカの黒人で100%アフリカンな人はほとんどいないと言ってもよい。奴隷時代から、白人オーナーによる性犯罪により多人種を背負う人々が時を追うごとに増えたことや、地域によってはネイティブアメリカンが黒人や白人やラテン系の人と結婚することは普通であったため、白人でも黒人でもラテン系でもネイティブの血を受け継ぐ人々は非常に多い。中には自分にネイティブアメリカンや黒人の先祖がいたということを知らずに白人として暮らしている人も多いだろう。

それで有名なのが、アメリカの三代目大統領トーマス・ジェファーソンの子孫達である。ジェファーソンには彼が所有していた奴隷サリーとの間に子供がいたが、肌の色が父親譲りの子供の中には白人として生活し続けた人もいる。それにまつわる話は是非調べて読んでいただきたい。

さて、まるで神様が遺伝子の実験でもしたかのように、三人種夫とアジア人の私の間に生まれた子供はなぜかラテン系の顔をしている。現在その「タイガー・ウッズ系アメリカ日本人」の我が子が通う公立の学校には、いろんな国のダブルちゃん達がいる。お陰で私のママ友も多岐に渡り、下町という名がよく似合うこの町の一角でも「インターナショナル・ウィメンズ・クラブ」が発足し、普段から英語と日本語がごちゃごちゃの会話を楽しむことができるのだ。

特に私が仲良くしている女性たちは、アジア諸国出身である。3人とも内外面共に美しく、いろんな面で見習いたい存在だ。4人でカフェにいると、まるでアジア版「Sex And The City」である。私はその中で一番地味でシニカルで、仕事ばかりしていて、産後の体重が戻らなくなってしまったメリンダである。もっとも、すでに10年前後結婚している私達の話題は恋愛ではなく、子供の事、食べ物の事、それぞれの国の情勢についてが殆どなのだが。

そんな中である日「日本人は白人に弱い」と、正統派のシャーロット的存在の友達が言い出した。彼女は自身の母国語と日本語だけではなく英語も堪能だ。そんな彼女は、多くのアジア人達が務める工場での仕事を辞め、現在就活中である。得意な語学を活かし、英会話か何か外国語に携わる仕事をしたいと思っている。

日本に住むようになって以来、様々な外国人住民と会うことがあるが、そんな人達で一番多い職種がやはり英会話講師だ。中にはアクセントが非常に強い英語で、アメリカ英語しかしゃべれない私達家族には、なかなか理解が難しい人もいる。でもそんな人に限ってやはり白人が多く、見た目で英会話教室に雇われているとしか思えない人もいる。

もちろん白人でも様々だ。そんな細かいことをとやかく言うことは今はやめておくが、白人、または白人に見える英会話講師達の国籍も多岐に渡る。ペルー、アルゼンチン、フランス、ドイツなど、母国語が英語ではないから実際は英語のネイティブスピーカーとは言えない人達でも、見た目が「日本人が憧れる外国人」であれば「ネイティブスピーカー」として仕事ができている。

アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスなど、英語が母語である英語教師達も多くいるわけだが、それぞれの英語にはその国のなまりがある。母語が英語でない「ネイティブスピーカー」講師も含めて、それぞれの母語によって英語の発音は違ってくるし、それが当然なのだ。だから日本人の英語が日本語なまりであるのは当たり前であり、全然悪いことではないにもかかわらず、それに劣等感を植え付けるような英語教育が、日本では昔から主流であるように思う。

アジアンシャーロットが指摘する「日本人は白人に弱い」という言葉もそれに繋がっている。「小さいうちから英会話を習わせて良い発音を身につけさせたい」という願いで、どれだけの親が「ネイティブスピーカーのインストラクター」という看板に騙されているだろうか。だいたい「よい発音」とはどの国の英語発音を意味するのだろうか。一般的に、いや私の偏見から感じるのは、やはりアメリカ英語かイギリス英語の発音が良いと思いこみ、憧れている人が多いと思う。そして、英語をバリバリしゃべるアジアンシャーロットが英会話講師として働こうとしても、なかなか雇ってもらえない現実が存在する。

そんな土壌で英語教育を進めたら、日本語なまりの英語に劣等感を植え付け、言いたいことが自由に言えない人を育成することに繋がるのではないだろうか。そんな教育を公立の小学校の低学年から導入すれば、自尊心の育成はもとより、国際人の育成も望めない。本当の国際人を育てたいなら、自分の頭でものを考え、自分の言葉で意見が言える人材育成が、外国語教育よりも先である。

私が知る限りのアメリカでは、どんなになまりの強い英語であっても、自分の意見を言う人の事はちゃんと聞いてもらえた。そんな社会では、どんなに「発音の良い」英語がしゃべれたとしても、自分の意見が言えない人は相手にしてもらえない。

普段の会議で何も言えない人達が、英語が喋れるようになったら英語で自分の意見を言うようになるのだろうかと、ビジネス英会話教室の宣伝を見る度に不思議に思う。

でも、この国が自分達の思い通りになると思っている今の政治家にとっては、「自分の頭で考えて意見が言える」人材教育は、彼らの地位を脅かす人を増やす危険性があるため、そんな教育方針を進めることはないだろう。彼らのシナリオ通りに動いてくれる人材育成こそが、今実際に教育現場で行われているのだ。だから将来の日本の利益に繋がるよう、英語がしゃべれるようになっては欲しいが、自由に意見を言える人になってもらっては困るというのが、この国で教育方針を進める人たちの本音ではないだろうか。

一角度からの会見では、日本の国際化は意固地なおじさんたちのエゴによって全く前進していない。でもそれとは全く逆に、国際化を本気で考え地球人としての立場から国際交流や協力に勤しむ個人やNGO団体などの働きも多く、市民レベルでの国際化は先の意固地なおじさんたちをすでに取り残して前進していると思う。一多人種家族のメンバーとして、そんな人々の働きには感謝を申し上げたい。

今では珍しくない国際結婚。それによって起こる問題もあるのだが、夫婦の問題は国際結婚をしている人だけのものはない。どんな結婚や関係であっても、その中で人が自分らしく生きることができない限り、それは支配し支配される関係でしかなく、国際化以前の問題である。そんな面からも、自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言える人を育てるために、市民レベルでの取り組みをどんどん進めて欲しいものだ。そしてそれが本当の意味での国際化に繋がり、もっと言えば、愛国心の押し付け教育をしなくても、自然と愛国心が育つのではないだろうか。