「日本版司法取引」運用上の最大の問題は「意図的な虚偽供述の疑い」への対応~美濃加茂市長事件控訴審で見えてきたもの(下)

「意図的な虚偽供述の疑い」がある事件で、「証人テスト」による「信用性の作出」を排除した証人尋問が行われる必要があるが、そのためには...

3 美濃加茂市長事件控訴審での検察官の主張立証

(2)供述経過と裏付けの時間的関係による「虚偽供述の可能性」の否定

検察官は、前記2の第2の観点から、「捜査段階において、中林供述がなされ順次その後裏付けがとれるという経過から虚偽供述の可能性が否定される」との主張を行った。「虚偽供述の可能性」を、客観的事実から、論理則・経験則に基づいて否定しようとしたのである。

具体的な供述が先行し、裏付けとなる客観的事実が、その後に供述者に呈示されたという経過であれば、供述者が客観的事実との「辻褄合わせ」を行ったことが否定される。それによって、信用性の要素である「供述と客観的証拠との整合性」が事後的に「作出」された可能性が論理則、経験則に基づいて否定される。

このような経験則による立証を用いる場合、最大の問題は、供述をした時点と、裏付けとなる事実を供述者へ呈示した時点との前後関係を客観的に立証することができるか否かである。そのためには、供述経過に加え、取調べのどの時点でどのような資料が示されたのかを客観的に立証することが必要となる。

最も確実な方法は、供述の全経過の正確な記録に基づく立証である。つまり、取調べの全過程が録音・録画されていれば、確実に立証することができるが、そうでない限り、この方法で「虚偽供述の可能性」を否定することには限界がある。

美濃加茂市長事件では、弁護人は、公判前整理手続の段階から、中林の供述の信用性に関して、客観的な事実が把握された後に、供述をその事実に合うように変更する「辻褄合わせ」が行われてきたことを主張してきたが、一審では、検察官は、供述経過に関する客観的な立証を行わず、贈賄供述者の中林が、証人尋問で、供述経過に関する弁護人の質問に答えることだけに終始した。

控訴審においては、供述経過に関する立証を積極的に行う姿勢に転じたが、そこで用いた手段は、中林の取調べ警察官の証人尋問と、同人作成の取調べメモの証拠請求を行うというものであった。

従来から、「取調べメモ」に関して、開示することに対しても、証拠とすることに対しても、一貫して消極的な姿勢を取り続けてきた検察官が、それを自ら刑事事件の立証に用いようとすること自体矛盾しているが、その点を別にしても、 そのような捜査の当事者である警察官の証言と、捜査官による断片的な記載に過ぎない取調べメモによる立証は、取調べの録音・録画等の客観的な記録による方法とは異なり、もともと証拠価値が低く、証明のレベルにおいて格段に劣る。

検察官は、現金授受に関して、中林が虚偽供述を行いうる場面を3つに類型化した上、警察官証言と取調べメモによる立証で、そのいずれもが否定されるので虚偽供述の可能性が否定されると主張したが、そもそも、そのような証明レベルの低い証拠による供述経過の立証で「虚偽供述の可能性」をすべて否定しようとする立論自体に無理があった。

実際に、3つの類型のうちで現実的な可能性が高いと考えられる「警察官から出入金状況等の間接事実に関する情報提供を受け、中林がこれを利用して虚偽の現金授受を供述した場合」について、検察官は、取調べメモの記載から、「中林が現金授受を供述した時点では、警察官から出入金状況についての情報を提供されていないこと」を立証しようとしたが、中林の取調べ警察官の証言や、取調べメモの記載、そして中林自身の証言内容から、逆に、供述時点で、出入金記録が中林に呈示されていた可能性が十分に想定されるに至った。

その点も含め、虚偽供述の現実的経過が具体的に想定できるに至ったことから、弁護人は、最終弁論において、想定できる虚偽供述の経過を具体的に提示したのである。

それに対する検察官の反論は、「弁護人の主張は証拠に基づかない憶測に過ぎない」というものであった。検察官が「虚偽供述の可能性」を否定するのであれば、弁護人が具体的に指摘している「可能性」が、経験則上あり得ないことを、証拠に基づいて論証しなければならないはずである。ところが、検察官は、極めて現実的な想定を、「憶測」だと言って誤魔化すことしかできなかったのである。

「虚偽供述の可能性」を、供述経過と裏付け証拠の呈示の前後関係から客観的に否定するというのは、協議合意制度導入後の立証方法として極めて重要なものとなる。それを行うためには、取調べの録音録画など、供述経過に関する証拠の質的向上が不可欠なのである。

4 「信用性の作出」が困難な状況での証人尋問

協議合意制度における「合意供述」のように、自己の処罰を軽減するための「意図的な虚偽供述」が疑われる場合、供述者にとって、虚偽供述の疑いを低減することが至上命題である一方、検察官にとっても、その供述を根拠として起訴したのであれば、その虚偽供述の疑念を払拭することが重要な課題となる。

このような場合、「関係証拠と符合している」「供述内容が具体的、合理的で自然である」などの従来の一般的な要素だけで公判証言の信用性を評価することはできない。供述者と検察官の両者が、「信用性の作出」に向けて最大限の努力を行う可能性があるからである。そのために極めて効果的な方法が、検察官と証人との間で行われる「証人テスト」である。

刑事訴訟規則191条の3で「証人の尋問を請求した検察官又は弁護人は、証人その他の関係者に事実を確かめる等の方法によって、適切な尋問をすることができるように準備しなければならない」と定めていることを根拠に、これまで、検察官請求の重要証人については、徹底した「証人テスト」を行うことで証言の信用性を確保してきた。

刑訴規則上認められているのは、「事実を確かめる等の方法」であり、基本的には、尋問する側である検察官あるいは弁護人が準備をするために、証言内容を確認する「質問」を行うこと、そして、必要があれば、記憶喚起のための「質問」を行うことである(その場合には、ある程度の「誘導質問」は許されるであろう)。

しかし、特に、特捜部事件等の、検察にとっての重要事件では、そのような「証人テスト」の範囲を超えて、証人が、検察官調書と同様の内容を、理路整然と、澱みなく証言できるように、検察官と証人との間で証言内容の「打合せ」を行うことも珍しくなかった。

「意図的な虚偽供述」の疑いがある場合に、供述者と検察官が、このような「打合せ」まがいの「証人テスト」を通じて「信用性の作出」を行う可能性があるのであるが、逆に、それが行い得ないような状況下で証言を行わせることができれば、「意図的な虚偽供述」であるか否かを見極めることが可能となる。

一審判決で贈賄供述者中林の「意図的な虚偽供述の疑い」が指摘された美濃加茂市長事件では、控訴審で、検察官の事実取調べ請求に基づく審理に目途がついた段階で、裁判所から、異例の裁判所の職権による証人尋問の実施を検討している旨の意向が示され、慎重な検討の末に、実施が決定された。

一審判決は、中林の供述・証言の信用性に関して、「贈賄供述をすることで、捜査機関の関心を他の重大な事件に向けて融資詐欺の捜査を止めることが、自己の量刑上有利に働くとの期待が、意図的な虚偽供述の動機となった可能性」を指摘したが、立件も起訴もされていなかった融資詐欺の余罪を弁護人が告発し、追起訴が行われたことで、結局、中林に対しては、4年の実刑判決が確定し、その後に、藤井市長に対する一審無罪判決が言い渡された。

処罰を軽減する動機での虚偽の贈賄自白は、結果的には思惑通りにはいかなかったということになる。実刑判決が確定していた中林には、「自己の量刑の軽減の可能性」という「虚偽供述の動機」が存在しなくなった。そこで、改めて中林の証人尋問を行い、中林が一審と同様の贈賄証言を行えば、虚偽供述の可能性は大幅に低下する。検察官としては、証人尋問を請求することが中林証言の信用性を立証する最も有効な方法のはずだったが、請求しなかった。

そこで、控訴審裁判所が、職権で証人尋問を実施することを決定したのである。中林が虚偽供述をしていた場合、控訴審において、もはや自己の処罰の軽減のために虚偽供述を行う必要性はなくなっている一方で、一審で藤井市長への贈賄を証言した事実は消えない。控訴審での証人尋問の結果如何では、一審での証言が偽証の疑いを受けることになる。検察官にとって、もし、中林が、「一審で意図的な虚偽供述を行った」と認めてしまえば、立証は崩壊し、控訴は維持できなくなる。

そのような事情からすれば、控訴審での中林の証人尋問についても、一審と同様に、検察官が連日長時間の「証人テスト」を行って、「証言すべき内容」を検察官が徹底的に教え込んで、「信用性の作出」が行われる恐れがあった。

こうした中、裁判所は、職権で中林の証人尋問を実施することを決定するとともに、検察官に対して、「証人テストを控えるように」との異例の要請を行い、中林に対しては、尋問項目を示す以外に事前には資料を送付せず、一審での証言後1年半の経過による「記憶の減退」があることも覚悟した上で証人尋問を行う方針で臨んだのである。

ところが、中林の元弁護人であった弁護士が、証人尋問の1ヶ月以上も前に、受刑中の中林に美濃加茂市長事件の判決書等の資料を送付するという信じ難い事態が発生した。このことで、一審での証言内容等に関する情報が、中林に事前に与えられることになり、当初の裁判所の証人尋問実施の目的は大きく損なわれることになった(【控訴審で一層明白となった贈賄虚偽証言と藤井美濃加茂市長の無実】)。

しかし、弁護人は、中林の証言内容と判決書の記載との比較から、中林が判決書を熟読して証言内容を準備した上で証人尋問に臨んだ疑いがあること、「判決書が届いた段階で1回ちらっと見ただけ」との中林証言は信用し難いこと、資料送付を受ける経緯等についての証言も不自然であることなどを指摘したところであり、結果的には、一審証言が「意図的な虚偽供述」であった疑いに関して、多くの新たな判断材料が得られることになった。

5 検察官の「証人テスト」に関する重大な疑念

中林の証言によれば、一審では、証人尋問の前に、関口検事との「打合せ」を「1ヶ月くらい」「毎日朝・昼・晩とやっていた」という。一方、検察官は、弁護人からの証人テストの回数、時間、内容についての証拠開示を拒絶している。連日、長時間にわたって行われた検察官の「証人テスト」とは、一体どのようなものだったのか。

中林は、その手掛かりとなる証言を行っている。

原審での「証人テスト」について質問された中林は、

要するに打合せというのは、これはよく覚えてるんですけど、検事のほうから、これは取調べじゃないからと。取調べじゃないんで、これはどうだったああだったということはもう聞きませんと。ですから飽くまでもこれは打合せと思ってくださいというふうに検事から言われまして、検事から、証人として出すにはしっかりと打合せをして出なきゃいけないというふうに、そのときに法律という言葉を使ったかどうか定かじゃないんですけども、法律でもそういうふうになってるからというふうに検事から聞いたので、ああ、そうなのかというふうに私は納得して受けてました。

などと証言している。

その証言どおりだとすれば、関口検事と中林との間では、最初から、検事が「質問」して記憶の確認をするのではなく、「打合せ」と称して、証言内容について「協議」をしていたということなのであり、むしろ『検察官と共同で証言内容を作り上げる作業』だったと解される。そしてそのような「打合せ」を、「法律に基づくもの」だと言われて、事実上強制されていたと証言しているのである。

それが、刑訴規則で定めているような「尋問準備」のための「証人テスト」とは凡そかけ離れたものであったことは明らかである。

6 協議合意制度と「証人テスト」の是非

「意図的な虚偽供述」の疑いがある証人については、検察官と証人との間で「信用性の作出」が行われる可能性があり、上記のような、本来の「尋問準備」の目的を超えた「打合せ」まがいの「証人テスト」が行われると、信用性の評価に多大な悪影響があることは明らかだ。

かかる意味で、一審判決で「意図的な虚偽供述の疑い」を指摘された証人について、検察官に証人テストを行わせず、証人側には情報を与えず、「生の記憶」を確認するための証人尋問を行うことは、証言の真実性を確認する上で極めて有効な方法である。美濃加茂市長事件控訴審で行われた贈賄供述者中林の証人尋問は、まさに、そのような観点から行われたものであった。

その点に関して、もう一つ重要なことは、その証人尋問が裁判所の職権で行われ、実際の質問も、裁判所が主体となって行われたことである。

従来から、検察官は、重要証人の尋問で「証人テスト」を当然のように行い、それが、証人に、供述調書とほとんど同様の証言をさせる結果を招いていた。ある意味では、供述調書がそのまま証拠とされる自白事件のみならず、否認事件においても「調書中心主義」が貫徹されることにつながっていた。そして、そのような立証手法は、検察官の立証方法だけではなく、裁判所の審理及び事実認定の姿勢にも深く関係している。すなわち、事実を詳細に認定する「精密司法」の下で、裁判所側も、検察官に対して、十分な尋問準備を行って、理路整然とした、わかりやすい証言が得られるようにすることを求めてきたのであり、それが、検察官が行う「証人テスト」の背景になっていたことも否定できない。

「意図的な虚偽供述の疑い」がある事件で、「証人テスト」による「信用性の作出」を排除した証人尋問が行われる必要があるが、そのためには、裁判所も、従来の「精密司法」から発想を転換する必要があるのである。

かかる意味で、美濃加茂市長事件控訴審において、裁判所が、慎重な検討の末に、中林の職権による証人尋問を決定したことには大きな意義があったと言えよう。従来の裁判所のように、具体的かつ理路整然とした証言を行わせることを検察官に期待する姿勢であれば、考えにくい方法であった。

今回の控訴審裁判所が行った、重要証人の異例の職権証人尋問は、今後、協議合意制度の運用において直面することとなる「意図的な虚偽供述の疑い」がある証言の信用性の判断という困難な課題に関して、新機軸を提示するものと言えるのではなかろうか。

(2016年8月5日 「郷原信郎が斬る」より転載)

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