控訴審逆転有罪判決の引き金となった"判決書差入れ事件"

控訴審判決は、まさに、なりふり構わず有罪判決に向けて突っ走ったと言える。

「これまで警察、検察と戦ってきましたが、裁判所とも戦わなければならなくなるとは思いませんでした」

今も全国最年少、32歳の若き市長が、控訴審逆転有罪判決の直後に漏らした言葉だった。

控訴棄却で無罪判決が確定することを固く信じ、「美濃加茂市民 完全勝利」という垂れ幕まで用意して判決を待っていた美濃加茂市民は、落胆の淵に叩き落とされた。

ほとんど一審と同様の証拠に基づき、しかも、一審裁判所は、証人尋問、被告人質問を直接行って、その態度、言い方、表情等も参考にしつつ信用性を判断している一方、控訴審裁判所は、尋問記録の書面だけに基づいて、その内容だけで判断して、いともたやすく一審の無罪判決を覆してしまう。

一審無罪の控訴審でそのようなことが許されるのか、信じ難い判決であった。

いつも検察寄りの判決を予想することの多いマスコミも、今回ばかりは、控訴棄却で無罪の方向で事前取材を進めていた社が多く、「破棄自判有罪」というのは想定外だったようだ。

袴田事件の再審開始決定では、死刑囚をいきなり執行停止で釈放するというサプライズを演じた村山浩昭裁判長は、「どちらの方向にも、大きくぶれやすい裁判官」という評判だったが、今回は、被告人の藤井市長にとっても、美濃加茂市民にとっても、最悪のサプライズとなった。

判決の中で、特筆すべきは、控訴審裁判所自ら職権で行った贈賄供述者中林の証人尋問の証言内容に、判決の理由でほとんど触れていないことだ。

控訴審の第一回公判は昨年の8月25日、そこで、贈賄供述者中林の取調べを行った中村警察官と、中林の融資詐欺の捜査を担当した検察官の証人尋問が採用され、警察官の証人尋問は、11月26日に行われた。その後、検察官の尋問は、弁護人の主張により尋問の必要が全くないことが明らかになって取り消され、その尋問が予定されていた12月11日の期日が取り消されて、その日、裁判所・検察官・弁護人の三者打合せが行われた。

そこで、裁判長から「中林の職権証人尋問を検討する」との意向が示された。それから、裁判所における職権尋問実施の方法や、尋問事項に関する検討に期間が費やされ、中林の証人尋問が実施されたのは、今年の5月25日であった。

つまり、控訴審の事実審理が行われた期間約9か月のうち5ヶ月以上が、中林の証人尋問に関する対応に費やされたのである。

中林の職権証人尋問は、検察官との打合せ等に影響されない中林の「生の記憶」を確認するためのもので、それだけの期間を費やしても行う意味が十分にあるものだった。

しかし、検察にとっては、中林の生の記憶として全く証言できないということになると、中林証言が実質的に唯一の拠り所である検察にとって致命的な事態になりかねなかった。そこで、検察は、証人テストを行うことに強くこだわったが、村山裁判長に「証人テストは控えてほしい」とはねつけられた。

今年2月、控訴審裁判所が中林の職権証人尋問を決定した時点で、検察は確実に追い込まれていた。

ところが、【美濃加茂市長事件、裁判所職権証人尋問を台無しにした"ヤメ検弁護士の資料送付"】でも述べたように、実際に行われた証人尋問では、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林に、今回の証人尋問の実施について裁判所から正式の通知を受けるよりも前に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られるという想定外の事態が起こった。

中林が、藤井市長事件の判決を事前に読んでいたことがわかったのである。

判決書を読めば、自分の捜査段階での供述も一審での証言内容もすべて書かれている。検察官と打合せを行ったのと同じことになってしまった。その想定外の出来事によって、追い込まれていた検察は、結果的に救われることとなった。

この控訴審での中林の職権証人尋問について、昨日の判決で、村山裁判長は、概要以下のように述べた。

弁護人が主張し、原判決も指摘するように、原審における証人尋問で、検察官が入念な打ち合わせを行ったため、中林の原審公判証言が、客観資料と矛盾がなく、具体的・詳細で、不自然不合理な点がない供述になるのは自然だと評価されたことを考慮して、職権で尋問を行った。

検察官側の事前の打合せを控えてもらって、時間が経ったとはいえ、証人自身の具体的な記憶に基づいて供述してもらおうと試みた。しかし、受刑中の中林が、証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見は達成できなかった。

この「受刑中の中林が、証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、裁判所としても予測しなかった事態」というのが、中林の元に、一審判決が差し入れられたということであり、控訴審判決では、それによって、尋問の本来の目的が果たせなかったこと、つまり、判決書差入れによって証人尋問が妨害されたことを認めたのである。

そして、控訴審での中林の証人尋問での証言内容についてはほとんど触れず、一審での証言内容だけで中林供述の信用性を判断して「合理的で、一貫していて関係証拠と符合している、関係者の証言で裏付けられている」、というような理由で、信用性を認め、信用できないとした一審判決の判断を「不合理だ」と排斥した。

つまり、控訴審裁判所は、中林の供述の信用性を判断するため、自ら証人尋問を行ったのに、それが「一審判決の送付・差入れによって妨害されて本来の目的を果たせなかった」というだけで完全に「なかったこと」にし、直接証言を見聞した一審裁判所が「信用できない」としている一審での中林証言について、検察官との長時間にわたる入念な打合せが証言に影響していることを認めながら、「信用できる」と判断したのである。

もう一つ、全く予想外だったのは、「破棄自判 有罪」という判決になったことだ。控訴審判決が、中林証言の信用性について一審判決と異なる判断をする可能性が仮にあるとしても、その場合は、中林証言と対立する藤井市長の供述、同席者Tの証言が信用できないといえるのかどうかを改めて判断しなければならないので、少なくとも、控訴審でも被告人質問をしたり、Tの証人尋問を行ったりした上で判断するのが当然で、それをやっていない以上、原判決を破棄する場合でも、一審への差戻ししかあり得ないと考えていた。

ところが、控訴審判決では、被告人質問も、Tの証人尋問もやらず、直接、その証言の信用性を確かめることなく、「信用できない」と判断して、逆転有罪判決を言い渡したのだ。

被告人供述を「信用できない」とする理由として挙げたのは、中林が現金を渡したと証言している会食の際の「記憶が曖昧」だということだった。

しかし、この事件の裁判を傍聴してきたジャーナリストの江川紹子さんも、

《名古屋高裁は、藤井市長の記憶が曖昧だから信用できないとばっさり。でも、事件に関わっていない人に、1年半前の特定の日の出来事をつぶさに覚えていろという方が無理では。布川事件の杉山さんがよく言っていた...犯人にとっては忘れられない特別な日でも、俺にとっては何でもない普通の日だった」》

とツイートしているように、検察官との長時間にわたる「打合せ」で綿密に証言を作り上げてきている中林と、身に覚えのないことで1年半前の出来事を尋ねられている藤井市長とで、法廷で話す記憶の程度に大きな差があるのは当然だ。

一審は、そのような被告人供述に何の疑問も指摘していない。それなのに、控訴審判決は、毎回公判に出廷していた藤井市長に全く話を聞くこともなく、「記憶が曖昧だから信用できない」としたのである。

また、中林と藤井市長との会食に同席していたTの証言は、一審では中林供述の信用性を判断する極めて重要な証人と位置付けられ、証人尋問が行われたものだが、控訴審判決は、その証言を直接確かめることもなく、同意された調書を断片的に取り上げて、Tの証言の信用性を疑問視した。

控訴審判決は、まさに、なりふり構わず有罪判決に向けて突っ走ったと言える。

その「引き金」となったのが、藤井市長事件の一審判決書が受刑中の中林に送られて差入れられたことである。

中林は、一審の弁護人だった弁護士に、資料の送付を依頼した理由について「全く何もかも覚えてないでは困るなというふうに私の中で思った」と証言している。つまり、そのままの状態で、何の打合せもなく、資料を読むこともなく証人尋問に臨めば、「何も覚えていない」ということになりかねないことが、弁護士に資料送付を依頼した理由だったと証言している。

一方、実際に行われた中林の控訴審での証言と、一審判決書の記載とを比較してみると、中林が、差し入れられた判決書を熟読して証言を用意してきたものであることは明らかだ。

もし、裁判所の目論見どおり、中林が検察官との打合せも、事前の資料送付も何もなく証人尋問に臨んだとしたら、中林には「生の記憶」はほとんどないことが露呈し、一審での証言は、検察官との打合のとおりに証言したに過ぎないことが明らかになっていたはずだ。

ところが、中林の一審弁護人が判決書を差し入れたことによって、状況は大きく変わった。

控訴審の事実審理の期間の3分の2近くもの期間を費やして行った中林職権証人尋問が、裁判所の目論見どおりのものではなくなった。

控訴審の事実審理の目玉であった中林職権証人尋問の意味が稀薄になったことで、裁判所は、検察官との長時間にわたる綿密な打ち合わせで塗り固めた中林証言中心の一審の証拠のほうにばかり目を向けていった。それが「引き金」となって、控訴審判決は、有罪の方向に暴走していった。

不可解なのは、「判決書差入れ・証人尋問妨害」が行われた経過である。証人尋問に重大な影響を生じさせたのが、藤井市長の一審の判決書だが、本来、それは、同事件の当事者や弁護人等でなければ入手すること困難なものである。中林の弁護人が、なぜその判決書を入手することできたのかについても重大な疑問がある。

この点について、検察官は、弁論で、「検察官は、当審中林証言後、中林の元弁護人から、中林に差し入れた被告人の判決書とは、マスコミから入手した判決要旨であることを確認するとともに、マスコミ用の判決要旨が、判決書と同様100頁近いものであることを確認した。」などと述べているが、裁判所が判決要旨をマスコミに配布しているのは、被告事件の正確な報道のための特別の便宜供与であり、それ以外の目的に流用することは固く禁じられている。

それが、マスコミから流出し、尋問予定の証人に事前に送付されて証人尋問に重大な影響を生じたとすれば、看過し難い重大な問題だ。

検察官が弁論で述べている「弁護士がマスコミから入手した」というのが果たして事実であるのか疑問だ。この点も含め、控訴審に重大な影響を与えた控訴審での「判決書差入れ・証人尋問妨害」について、真実が解明されなければ、藤井市長も、美濃加茂市民も、到底納得することはできないであろう。

判決の翌日、まさに大きな問題になっているのが、村山裁判長の「判決要旨」の取扱いだ。

今回のような社会の耳目を引く事件では、通常、判決言渡し後に、判決書の全文に近い「判決要旨」が配布される場合が多い。弁護人から書記官に対して、判決前に、後で判決書か判決要旨、あるいは項目メモでも渡してもらえないのかを聞いたが「本日渡せるものはない」との答えだった。

そのため、弁護団は、村山裁判長が2時間半、相当な早口で原稿を読み続けて言渡した判決を走り書きでメモしただけで、判決後の記者会見に臨み、その後、美濃加茂市における判決内容の市議会への説明や、市民向けの説明会に出席した際にも、判決内容については大まかな説明しかできなかった。

ところが、本日、記者の話で、昨日、判決言渡し直後に裁判所からマスコミに判決要旨が配布されていたことがわかった。藤井市長が、市議会から、判決要旨を入手したら声明を出すように要請されたので、弁護人からすぐに担当書記官に連絡し、マスコミに配布された判決要旨で構わないので交付して欲しいと求めたが、裁判長に確認した書記官は、「弁護人には渡せない」とのことだった。

裁判の当事者である被告人の弁護人に対して、「判決要旨」という判決内容を正確に記載した書面を交付せず、なぜかマスコミには判決直後に渡すというやり方は、藤井市長だけでなく、5万5000人の美濃加茂市民に対する「嫌がらせ」としか思えない。

市民に選ばれた美濃加茂市長に対して、一審判決とほぼ同じ証拠に基づいておきながら、「有罪ありき」の方向で証拠を評価し、市長の話を一言も聞かず、いきなり有罪にするという、不当極まりない判決を出した村山裁判長にとって、マスコミに便宜を図ることは大切だが、市民や市議会に対する便宜を図るつもりはないということなのだろう。

(2016年11月29日「郷原信郎が斬る」より転載)

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