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ポートランドという魅力、「暮らしやすさ」の都市戦略

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Nobuto Hosaka
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叩きつけるような豪雨のさなかにポートランド空港に着陸したのは、10月31日の夕方でした。気候変動のためか滅多にない激しい雨の中、迎えてくれたのはポートランド在住29年の黒崎美生(くろさき・よしお)さんでした。「すごい雨で、こちらでも年に数回あるかどうかという降り方で、道路が水浸しになって遅れてしまいました」とのこと。

アメリカ西海岸、オレゴン州ポートランドに「ぜひ、行くべきです」と薦めてくれたのは、ジャーナリストの高橋ユリカさん(2014年8月没・58歳)でした。(「人間中心の暮し願ったジャーナリストの死」「太陽のまちから」2014年9月2日)

下北沢の再開発で地下化される小田急線の線路跡地を活用しようと、活発に取材や市民活動をしていた彼女は、ポートランドに出かけてきて熱病にかられたように私にスライドショーを見せながら、「見てきて下さい」と強く促しました。彼女だけでなく、都市デザインやまちづくりを担う専門家の人たちからも「ポートランド」の事例は多く語られていました。こうした声に押されるようにして、世田谷区と姉妹都市提携をしているカナダのウィニペク市を訪問する帰路、立ち寄ることになったのです。訪問日程は3泊4日と限られていましたが、アメリカ国籍を得てポートランドで暮らす黒崎美生さんの精力的な案内によって、まちづくりのポイントとなった建物や街路を数多く巡ることができました。

今や全米一の環境先進都市として評価の高いポートランドですが、歴史的な沿革をたどってみることにします。ポートランド市内の中心部を流れるウィラメット川は、合流するコロンビア川の河口から内陸に130㎞入った港です。20世紀には、ウィラメット川の水深を利用した物流・交易や造船・鉄鋼の町として発展してきました。一方で、1960年代になると、重工業による環境汚染が深刻になり、一時期は全米で最も汚染された川と呼ばれるに至りました。

その後、やがて訪れた重工業からの産業構造の転換と共に、中心市街地が荒廃して犯罪が多発するという悪循環に陥ります。ところがこの時期にポートランドには大きな変化が訪れます。変化の基軸となったのは、まちづくりへの「市民参加」ではなかったかと思います。

1960年年代は、公民権運動、学生運動、ベトナム反戦運動、カウンターカルチャーの時代であった。他都市と同様にポートランドでも多くの運動が起こったが、特に1969年、ポートランドの中心を流れるウィラメット川沿いの高速道路を撤去させた住民運動が重要だった。高速道路建設の全盛時代に、この運動は成功し4車線の自動車道は撤去され、川沿約1.5キロにわたり緑の公園がつくられた。その後全米に(そして日本にも)広がる「ウォーターフロント公園」の先駆けとなった。
 数年間続いたこの高速道路撤去の運動が、ポートランドの市民活動を活性化させ、1972年の選挙で32歳の革新派市長ニール・ゴールドシュミットを誕生させた(在任73年―79年。後、オレゴン州知事、連邦交通省長官もつとめる)。 (「ポートランド自治モデル」岡部一明)  

1969年に盛り上がりを見せた高速道路撤去・公園化に象徴される市民の動きは、やがて行政の長期計画にも結実していきます。やがて1973年には、都市の成長限界線を定め、郊外への市街地の無秩序な拡大、いわゆるスプロール現象に歯止めをかけます。同時に、荒廃しつつあった中心市街地の再生にとりかかり、再活性化の対象となる地区を定めていきました。

かつて高速道路があったウィラメット川沿いの公園を歩きました。1970年代当時のアメリカで誰もが疑うことなく信じきってきた「自動車中心のまちづくり」を大きく転換したことに感慨を覚えました。そしてポートランドは「歩いて楽しいまちづくり」へと歩んでいきます。

「これを見て下さい」と黒崎さんが指さしたのは、戦時下の日系人の受難の歴史を刻む記念碑でした(写真1)。

黒崎さんは、すでに三世から四世の時代に入っている日系人が多く参加するオレゴン日米協会の代表もつとめています。真珠湾攻撃による日米戦争の開始まで、ポートランドには2500人を超える日本人町がありました。戦時下で強制収容所に送られて苦難をなめた歴史を持ち、その記憶を次世代に伝えるために「NIKKEI LEGACY CENCER」(日系人歴史記念館)が開設されています(写真2、3)。

 荒廃していた中心市街地再生の象徴的な事業となったのが、The Ecotrust Building(エコトラストビル)で、元々倉庫が多くあったパール地区で見事にリノベーションされた最初の歴史的建造物です。外壁のレンガと周辺の緑が溶け合い、それでいてナチュラルな意欲が身体をめぐるような魅力的な空間です。歴史的建造物のリノベーションとしてはアメリカで初めて、環境・エネルギーを考慮した建築基準(LEED)のゴールド賞を受賞しています(写真4)。

  まずテナント構成に意志を感じます。一階にはパタゴニアの店舗と地場産野菜を使ったオーガニックのピザ屋さん。上層階には環境保護のためのコミュニティーバンク、ポートランド市の持続的開発局、そしてエコ・トラストのオフィスと、環境系のテナントがずらり。しかも官・民・営利・非営利のミックスというところもポートランド的。1階の吹き抜け部分ではピザをほうばりながらセクターを超えて活発に意見交換。これぞリアル・ソーシャル・ネットワークがここにあります。(「ポートランドのエコな赤煉瓦倉庫」(公共R不動産)

パール地区を歩くと、かつての倉庫をリノベーションして美容学校にしたり、雰囲気のいい店舗に変容させたりした街並みの中に、ポートランドに本拠地を置く、ナイキの広告を手がけて世界に展開する広告代理店Wieden&Kennedy(ワイデン+ケネディ)本社ビルがありました(写真5)。

リノベーションされているのは倉庫群だけではありません。100年以上前の兵器庫のあった軍事要塞が、素晴らしい劇場に生まれ変わっていました。Gerding Theater At The Armory(ガーディングシアターアットアーモリー)は、4年の歳月をかけてリノベーションされて2006年にオープンしています。劇場ロビーにあるバーカウンターの横には、かつての銃眼がそのまま残っています。兵器庫を劇場につくりかえ、演劇をはじめとした文化発信の場となったことに感慨を覚えました。こちらもLEEDのプラチナ賞を受賞しています。(写真6、7、8)

老朽化したホテルが、リノベーションによってポートランド屈指の有名ホテルに変身したAce Hotel(エースホテル)です。90年前の薄汚れたホテルが2007年に生まれ変わり、今やポートランドでも人気の高いホテルとして「ポートランドカルチャーのハブ拠点」などといわれています。「古いままのホテルと比較すると往時の面影を想像することができますよ」と黒崎さん。(写真9、10、11)

エースホテルからほど近いPowell's City of Books(パウエル書店)に出向きました。圧倒的な蔵書量で6300平方メートルの売り場に書籍400万冊の在庫を誇り、電子書籍の台頭で書店の廃業が相次ぐアメリカで、ポートランドの知的資源の供給元として大きな役割をはたしています。素晴らしかったのは、インフォメーションサービスで「ポートランドの昔と今を対比する写真集を探している」と訪ねたところ、該当するコーナーを案内してくれるホスピタリティ溢れるサービスでした。新刊と古本が同じ棚に並んでいるのもこの本屋の特徴で、私はイメージぴったりの古本の写真集を14ドルで入手することができました。(写真12、13)

ポートランドの特徴は、新鮮で豊富な野菜が手に入ることにあります。住宅街のRieke Elementary School(リエーク小学校)前で開催されていた週末のファーマーズマーケットを案内してもらいました。ポートランド州立大学で行なわれる大規模なマーケットと比べると比較的コンパクトですが、みずみずしい野菜やオーガニックの食材が並んでいて、見ているだけで楽しいマーケットでした。「今朝、早起きして焼いてきたのよ」とパンをすすめられました。大型スーパーで食材を大量に買い込んで......というライフスタイルとは一線を画した暮らしをかいま見ることができました。
(写真14、15)

30年前に廃校となった小学校をビール製造会社が買い取り、宿泊できる人気のスポットとなっています。案内していただいたのは、Kennedy School(ケネディースクール)で、1997年に大規模なリノベーションを施して、学校の校舎がホテル、レストラン、ビール醸造所、バー、ショップ、温泉、映画館に生まれ変わりました。

小学校をビール醸造所やバーにする計画に対して、当初は近隣住民の反対の声もあり、外観に小学校の校舎を残したことが大きな特徴となりました。かつてのボイラー室の機械類を残した「ボイラーバー」や、校長室をホテルのフロントとするなどのユニークな演出が、上質のサービスやおいしい食事とあいまって人気を呼んでいます。週末に訪れたので家族連れでにぎわっていました。世田谷区池尻にある「世田谷ものづくり学校」のモデルとも言われています。(写真16、17)

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ポートランド訪問  その1
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ポートランドには有名スポーツブランドが集まっています。NIKE(ナイキ)やColumbia Sportswear (コロンビア・スポーツウェア)の本社、Adidas(アディダス)の本部もあります。

黒崎さんが案内してくれたのが、アメリカでも最大規模のスポーツクラブの
Multnomah Athletic Club(マルトノマアスレチッククラブ)でした。1891年に設立された民間非営利のこのクラブは、スポーツのまちポートランドを象徴する施設で、56,000㎡の床面積と約22,000人の会員を持ち、入会するには4年に一度の抽選を待たなければなりません。

驚かされたのは、クラブに隣接するスタジアム(ポートランド市立ジェルドウィン・フィールド)をクラブルームから観戦することができるということです。今年メジャーリーグサッカー(MLS)で初優勝したポートランド・ティンバースなどの本拠地での試合を観るには絶好の特等席となっています。(写真18)

今回のポートランド訪問では、リノベーション建築を徹底的に見ました。新築のモダンなホテルにしか見えないHotel Eastland(イーストランドホテル)で、パール地区の開発を手がけたホルスト設計(Holst Architecture)のJeffrey Stuhr氏と待ち合わせました。イーストランドホテルは1962年に建てられたもので、彼の手で再生されています。一度スケルトン状態にまで戻し、リノベーションしたものでした。(写真19)
 
工場跡に大規模なリノベーションを施して、スーパーマーケット(New Seasons Market:地産地消の商品を扱うスーパー)につくりかえた現場も見に行きました。店舗内を見渡しても工場跡の痕跡は見当たりませんが、視線を上にあげると確かに年月を重ねた工場の天井が見えてきます。
(写真20、21)

中心市街地の2つの歴史的建造物をつなぎあわせてリノベーションした大学のキャンパスがスタートしていました。University of Oregon School of Architecture and Allied Arts Portland(オレゴン州立大学建築学科ポートランドキャンパス)で、都市建築、都市デザインを専門とする同大学のHajo Neis(ハヨ・ナイス)准教授から説明を受けました。

 2つのビルの間の土地にガラス屋根をかけてアトリウムとし、イベントや展示などができる独特のスペースを生み出していました。もちろん、2つの建物の間に屋根をかけただけでは出入りすることはできません。そこで、従来の建物のそれぞれの外壁を大きく取り去り、行き来ができるようにして、2階以上の古いレンガ壁を大掛かりな鉄骨の梁で支えて吹き抜けにしていました。上階部分の荷重に耐える頑丈な鉄骨と、その大胆な発想に驚きました。(写真22)

ポートランド市都市環境計画局主任計画官Joe Zehnder(ジョー・ゼンダー)氏を訪問して、長期にわたるポートランド市の都市再生の取り組みを伺い、市の総合計画、都市デザイン方針にかかわる説明を受けました。続けて、PDC(Portland Development Commission・ポートランド市開発局)で働く日本人の山崎満広氏を訪ねて、市の開発の歴史や、民間資金を活用するTIF(Tax Increment Financing)などの興味深いお話を伺いました。

1970年代のポートランドでは、年間180日もの大気汚染勧告があり、ウィラメット川も全米で最も汚い川と呼ばれた時期がありました。「車優先社会」からの転換をはかるポートランドが目指したのは「徒歩20分の生活圏」をつくりあげることでした。PDCは、荒廃した中心市街地であるダウンタウンの再生に向けて、20年間と期限を区切って再開発資金を前倒しで投資する手法で、途切れることなく街をつくりかえていきました。

1972年に登場したゴールドシュミット市長は「ドーナツの逆を行こう」と宣言し、自動車交通によって郊外へ郊外へとスプロールしていったまちや人々を中心市街地に呼び戻す政策を展開します。ライトレール(軽鉄道)や、ストリートカー(路面電車)、バスなどの公共交通網を整備・充実させていきますが、例えばライトレールの整備費約103億円のうち40%を市交通局が、21%を開発局が負担したということです。これらの公共交通では2012年の9月まで市内に無料で利用できるゾーンが設けられ、自動車利用の抑制に大いに貢献しました。さらに、自転車で走れる交通環境もつくりあげていきます。

そして、オフィスや商店などの働く場と近接した住宅を整備して、職住接近を実現します。「近所で働き、生活を楽しむ」環境にやさしい魅力的なライフスタイルを定着させていきます。一方で、冒頭にふれたように高速道路を撤去し美しい公園に作り変えたり、地上部の大きな駐車場を地下化することで空間をひらき(1990年・パイオニアスクエア)、市内中心部に魅力的な広場をつくりあげたことで、コミュニティ活動やイベントが年中行なわれるようになり、それが暮らしやすさの基盤になっていきます。(写真23/高速道路、24/公園、25/駐車場、26/広場)

歴史的建造物のリノベーションは、どこでもあたりまえに見られます。また、古い街並みの魅力を残しながら、街が再生へと歩むように巧みな仕掛けを凝らしてあります。ビルの1階には、レストランやバー、商品を並べるショップを必ず入れるように決めています。わずか20年前、「歩くのも怖かったし、危険だった」と言われたダウンタウンの一角が、今では夜遅くまで人々でにぎわうようになりました。新しい人々の流れは、都市の価値をひきあげていきます。現在でもチャイナタウンの一角でリノベーション中の建物を見かけました。今は人通りも少なくやや荒廃した地区ですが、数年後にはパール地区のように魅力的なまちに変貌していることでしょう。(写真27)

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ポートランド訪問 その2
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「都市成長限界線」によって緑が守られ乱開発が拡大しないようにブロックをかけて、「車優先社会」から「徒歩と自転車の街」にシフトしたことで、住民同士の距離が密接になり、新鮮な食材を使ったレストランや、特産の地ビールで乾杯するビアホールや粋なバーが楽しめ、本をよく知るスタッフのいる大きな書店があり、サンフランシスコやニューヨークに比べて家賃もリーズナブル(最近は人気で上昇中とのこと)...「暮らしやすさ」の基盤がしっかりできていることがよく分かります。

こうしたポートランドに魅力を感じて、アーチストや文化人が移り住むようになり、新しい発想を持った企業も集積していきます。20年前に描いた「街の再生」が見事に時代の先端を行く都市を成熟させています。「成長と拡大」の幻想を捨て、他に例のない人間中心のまちづくりを志した長期プランは、緻密な実務に支えられて今日のポートランドを支えています。

「都市成長限界線」や「中心市街地の再生」は、日本の大都市でもずいぶん前から語られてきたテーマです。ただ、日本ではいまだに「車優先社会」に制約をかける試みはわずかです。都市再生と再開発の概念は、ほぼスクラップ&ビルドであり、歴史的建造物の保全は十分に意識されません。消費量や交通量にのみ関心が注がれ、人々のライフスタイルの転換や、コミュニティの求心力や街への愛着、住民自治への参加等は、ハード開発の後にようやく語られ始める状況です。

それでも、日本の都市特有の魅力もあります。人と人の距離が近く、コミュニティの中には歴史的に継承されてきた芸能や祭りの文化が残っています。道幅の狭い商店街に、車があまり入らずに自転車と人が行き交っている光景も、まだ珍しくありません。

ただし、「住民参加の民主主義」が実現しているかどうかについては、まだ課題があります。上意下達ではなく、ボトムアップで市民がまちづくりを語り、その中心を担っていくという点で、行政がよき同伴者となり市民もまた行政と責任を共有してきたポートランドには、大いに学ぶ点があります。

20年後の都市をどのような街にしたいのか、私自身が問われる旅でした。