相模原事件から2カ月。「優生思想」を根絶する社会へ

私たちは、過去の教訓を未来に生かす知恵を研ぎ澄まさなければなりません。
Nobuto Hosaka

7月26日、深夜の静寂を切り裂いた「障害者連続殺傷事件」から2カ月。秋の台風の連続襲来による雨が続いた関東地方でしたが、久しぶりに晴れて集合住宅のバルコニーに洗濯物が一斉に干された9月25日、「津久井やまゆり園」の現場を訪れて、花をたむけました。夕方に到着した正門前の献花台には、この日に捧げられたものだと思われる、事件の犠牲者に捧げられた「追悼の花束」が数多く並んでいました。私も、抱えてきた花束をそっと置いて手を合わせました。

いずれも9月25日撮影

やまゆり園はひっそりと静まりかえっていました。事件後、しばらくの間使われてきた体育館からも、避難生活をしていた施設に暮らす人たちも、他の施設に移ったと聞きます。西に傾き始めた太陽が、ちょうど正門に向けて背後から、やまゆり園の建物を強い光で照らしだしています。新聞やテレビの空撮の写真では何度も見ていましたが、 鉄筋コンクリート二階建ての居住棟や管理棟など延べ約一万一千平方メートルという施設は、思い描いていたよりもずっと大きく広い空間に見えました。

わずかな間に、駐車場に面した通用口から侵入し、次々と殺傷行為を続けた事件を想像しようとしながら、その異様な場面にたじろいでしまいます。その行為は、死者19名、重軽傷者27名というあまりに大きな犠牲者、被害者を生んだ一方で、事件が起きる前も今も続いている私たちの社会の構造を問いかけているのだと、受けとめてきました。

家族会と施設を運営する法人理事長からの要請を受けて、神奈川県知事は津久井やまゆり園の建替え方針を表明しています。

東京新聞:やまゆり園建て替えへ 再生に向け本格始動

入所者の家族会の大月和真会長らと、施設を運営するかながわ共同会の米山勝彦理事長らが十二日、県庁を訪れ、園の建て替えを求める要望書を黒岩祐治知事に提出。これを受け黒岩知事は同日午後の県議会で「意向を尊重したい」と答弁し、建て替える方針を明らかにした。具体的な検討に入り、今月中にも正式に決める方針。

痛ましい事件の舞台となった施設は解体され、新しく更新されることになりそうです。けれども、私たち自身は、ヘイトクライムとしての「相模原事件」の中に宿る「優生思想」や「障害者福祉」を根底から否定する発想と、きちんと向き合う必要があります。

「障害者殺戮」を片鱗でも正当化するよう主張を、歴史をふり返ることで根絶する責務があると考えています。9月のはじめにインタビューした藤井克徳さんは、次のように語りました。

相模原殺傷事件「差別の反対は無関心、これが一番の曲者で怪物」――藤井克徳さんに聞く

今回の事件で、植松容疑者の言動が伝えられたときに、真っ先に連想したのが、このT4作戦でした。ちなみに、報道によれば、植松容疑者の家からはT4作戦に関する文献は見つかっていないそうです。彼は「重い障害者は殺してしまおう」とやまゆり園の職員に話したときに、職員からヒトラーと同じだと言われたらしい。彼は確信犯かどうかわかりませんが、彼の発想には優生思想とつながっているところがあると思います。

ナチス政権下のドイツで、「障害者抹殺=T4作戦」が猛威をふるったことは、長い間、歴史の闇に埋もれていました。誰もが、ヒトラーやナチスの主導の下で行われた障害者の大量殺戮だと想像します。しかし、意外にも当時のドイツの精神科医等医療関係者が「優生思想」のもとに作戦を主導し、ヒトラーが追認したにすぎない...衝撃的な事実が、藤井さんが調査・取材にあたり、ドイツ現地で関係者の話を聞いたNHKのドキュメンタリーで明らかになりました。

NHKドキュメンタリー - ETV特集 アンコール▽ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実

ユダヤ人大虐殺に比べて、表だって語られてこなかった障害者の虐殺。いま、事実に向き合う動きが始まっている。きっかけの一つは2010年、ドイツ精神医学精神療法神経学会が長年の沈黙を破り、過去に患者の殺害に関わったと謝罪したこと。学会は専門家に調査を依頼、2015年秋、報告書にまとめた。

何があったのか。日本の障害者運動を率いてきた藤井克徳さん(自身は視覚障害)が現場を訪ねる。【語り】女優・大竹しのぶ

昨年放送されて大きな反響を呼んだ『ホロコーストのリハーサル 障害者虐殺70年目の真実』ドキュメンタリーが、9月24日に再放送されました。(10月1日にも再放送予定)番組でもっとも印象に残ったのは、70数年前の精神病院の煙突から立ち上る黒い煙の写真でした。ドイツ各地の施設から集められた障害者が「灰色のバス」に乗せられて、丘の上の施設に入っていくのですが、とっくに満杯になっているはずなのにそんな気配もありません。戦場から帰還した元兵士が「人が焼かれる臭い」と口にすると、病院周辺の地域住民は何が行なわれているかを察したようです。少年の頃、この煙を目撃していた地域住民のひとりに、「止められなかったのか」と藤井さんは問います。

相模原事件を契機に、ナチス政権下の「T4作戦」がクローズアップされました。私たちは、過去の教訓を未来に生かす知恵を研ぎ澄まさなければなりません。そして、2カ月前に起きた障害者連続殺傷という惨劇がなぜ許されないのかを、次の世代にきちんと伝えていく必要があります。事件現場の施設が建て替えられるだけではなくて、私たちの社会の共通理解事項が、国連障害者権利条約であり、障害者差別解消法であることを訴えていきたいと考えています。

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