Huffpost Japan
ブログ

ハフポストの言論空間を作るブロガーより、新しい視点とリアルタイムの分析をお届けします

保坂展人 Headshot

「学校の今を変える」ために――『公教育をイチから考えよう』を読む

投稿日: 更新:
JAPAN SCHOOL
Milatas via Getty Images
印刷




公教育をイチから考えよう』 (リヒテルズ 直子×苫野 一徳/著 日本評論社刊)

2016-11-22-1479799055-9991372-2016112216.17.09.png

教育とは何か、それは私が14歳の中学生だった1970年頃に、繰り返し問いかけた疑問でした。本書の著者であるオランダ在住の教育学者リヒテルズ直子さんと私は同世代ですが、共著者である哲学の立場から教育を論じる苫野一徳さんが生まれた1980年よりも10年前の問いでした。

私は、14歳で学校の先生の授業を聞くことが難しくなり、教室とは別の教科準備室等で、何人もの中学教師と向かい合い、「何のために学び、誰のために生きるのか」と哲学的な問いを長時間ぶつけていました。その記憶は、半世紀近く経過した今もなお鮮明に残っています。そして、私の中学校在学当時の政治的主張と社会的発言が「校則違反」だとした学校と教育委員会から「内申書」で「不合格にすべき問題児」と烙印をおされ、その後に16年に及ぶ麹町中学・内申書裁判を闘ったのは、知る人ぞ知る話です。

この半世紀で日本社会はすっかり変わりました。私が中学生だった頃は、高度経済成長の真っ只中にあり、受験戦争は苛烈を極めていました。寝る時間を惜しんでテスト勉強に明け暮れ、いい成績を取ることしか選択肢はないという空気の中で、私もまた「ガリ勉」に近い日々を送っていました。 学歴こそが、人生の登竜門であり、優秀な成績を取っていい高校に入り、東大をはじめとした有名大学に入学すれば、社会的に有為で指導的なポジションに立つことができると信じきっていました。

すでに今、このシナリオは簡単には通用しない時代です。日本を代表する大企業に就職したからと言って、定年退職まで万事安泰、その後も優雅な年金暮らしができたのは、今や80代半ば以上となっている昭和一桁世代まででした。1945年の敗戦後、1960年代からバブル崩壊までの30年間、日本社会は長期にわたる安定的な経済成長を経験しました。当時は、大企業に入社すれば安定した雇用と老後の生活までもが約束されたかのような「常識」が支配していました。学歴信仰は現在に至るまで色濃く残影として存在しているほど、三世代にわたって「絶対的価値観」として多くの親たちの教育指針となってきたのでした。

あえて「残影」という言葉を使ったのは、学歴信仰は確かに今、色あせてはいるけれども、それに変わる新たな価値観を見つけることが出来ない「先が見えない状態」に多くの子育て世代の親たちが陥っているからです。

本書で、苫野さんは社会構造の変容と教育の関係を次のように述べています。

「産業主義社会においては、多くの企業が求める『人材』の大多数は、一部の経営層の指示に従い、『言われたことを言われた通りに効率よくこなす』ことができる労働者だったといえるでしょう。そのため、学校教育もまた、子どもたちに『決められたことを決められた通りに勉強させる』ことが、ある意味求められていたと思います」

「しかし時代は大きく変わりました。ポスト産業主義社会(知識基盤社会)においては、大企業に限らず、企業の従業員には『言われたことを言われた通りにこなす』だけでなく、自ら考え、また多様な人たちと協同して課題を解決していける、そのような力が求められるようになっているのです」

こうした時代の変化を受けて、子どもたちが予測が難しい時代の荒波を超えていくためには、「学力観の転換」も問われていることを苫野さんは指摘しています。

「よく言われるように、今の小学生が社会に出る頃、彼ら彼女らの6~7割は、現在は存在しない仕事に就くだろうと言われています。そしてまた、決して少なくない割合の職業が、その頃にはもうなくなっているかもしれないのです。このような社会において「学力」は、決められた知識・技能をただ蓄積していく以上に、みずから学び、また学び続ける力へと質的転換を迫られています」

リヒテルズ直子さんもまた、「工場であれ、サービス産業であれ、労働者として社会に送り出される人々は、自分の意志で行動し、自分の頭で考えるのを『やめる』ように学校の中で訓練されてしまったのです。自らの意志や考えを持たず、教師が一方的に教える知識を可能な限り正確に習得できる生徒が、学校においては「よい子」とみなされ、よい大学に入りエリートコースを進むための条件になっていきました。とりわけ、有名高校や有名大学への入試競争が苛烈化した日本で、その傾向は極めて顕著です」としています。

2014年5月、私は世田谷区長として世田谷区教育委員会と共に、「オランダの教育」を視察するために、リヒテルズ直子さんの案内で、1週間にわたっていくつかの特徴ある学校を訪ねる機会を持ちました。とりわけ、戦前のドイツで誕生し、1960年代のオランダで大きく広がったイエナプラン教育を実践している小学校を見た印象は鮮やかで、「異年齢の協同学習」「一斉授業の時間割のない個人別の学習プログラム」「車座になって話し合うサークル対話」「自立学習の成果を発表するプレゼンテーション」等、私たちが持ってきた「学校教育」のイメージや固定概念をくつがえす教育システムが実現し、子どもたちが自律的に学習し、また年長の子が年少の子を自然に教えていく姿に感銘をもったのでした。

オランダの教育制度の根幹には「教育の自由」が屹立していて、どのような教育実践や平準的でないオルタナティブな学校のあり方も、幅広く認められていました。その一方で、学校の教員は豊富な教材や教育方法の支援を各地に存在する教育支援センターから受けることができて、教員自身が新たな教材を学び授業の準備をするバックアップ機能が整っていました。詳しくは、本書に譲りますが、リヒテルズ直子さんの解説によって、一見すると日本とそう変わらない「オランダの学校」が時代の変化を受けて、大きく変わろうとしていることを実感を持って見てきました。

苫野さんは、オルタナティブ教育のひとつ「ダルトン教育」のヘレン・バーカストの百年前の言葉を紹介しています。

「ドルトン実験プランの第一の原理は自由である。学問的な側面から考えても、また教義的な側面から考えても、生徒が勉強に没頭しているときは、その教科が何であってもけっして妨害しないで、自由にどこまでも継続できるようにしなければならない。なぜならば、興味がわくと精神はいっそう鋭敏になり、いっそう敏活になって、その研究の途中で起きてくるどんな難問題でも克服することができるのだから。

この新しい方法ではベルをならして、生徒の勉強時間をこま切れにきって、他の教科に向かわせたり、別の教師につかせたりはしない。こんなことをすれば、生徒のエネルギーはおのずと浪費されてしまう」

今でも「そうだ」と膝を打ちたくなるぐらい、これは50年前の私にぴったりの考え方でした。教室の中で45分や50分の小刻みに教科を変更して勉強する学校のリズムには、どうしてもなじめなかったのを思い出します。子ども時代に、集中して3時間、5時間とひとつの課題に取り組んで達成したという満足感のないままに、頻繁に教科を変えて、机上の教科書とノートを入れ替える習慣は、「考える力」を鍛えずに、「知識の量を質に転化する認識の飛躍」を体験させません。そのかわり「切り換え」が早く、「深く考えてこだわらない」子どもをつくりあげていきます。

私自身は、そのような「授業」の呪縛から14歳にして離れ、いわゆる「受験勉強」の枠外にいたことで、3~4時間かけて一冊の本を通読することも、また集中して文章を綴ることも10代に多く体験することができました。教育というより、教育から離れたことで自己形成したという言い方もできます。1980年代後半の20代の頃、教育ジャーナリストとして仕事をしていた頃に「理想の学校像は?」と聞かれると、必ず「教えない学校」と答えていました。少年時代の私にとって、「教え、教えられる」と関係を固定化された教室空間よりも、セルフコントロールの効いた自立学習・自己教育の方がはるかに充実感のある知的成長を遂げることができたと思います。

リヒテルズ直子さんは、イエナプラン教育の教員研修で指導的な立場にあるフレーク・フェルトハウズ氏の実践が、「一枚の瓦」を紙袋から取り出して、「どう思うか」を問い続け、けっして回答は先に準備して受講者に伝えることを急がないやり方を見て次のように言います。

「指導者が先頭に立たないこと、指示を出さないこと、禁欲的になることを通して、学習の思考を可能な限り活性化させることにあります。『アクティブ・ラーニング』は、教師の方がアクティブになってしまうと決して起こり得ないものなのです。これまで主流だった、一人の教師が教壇から語りかける画一授業では、アクティブ・ラーニングは不可能です。皮肉なことに、生徒たちのアクティブ・ラーニングを殺してしまうのは、教壇に立って生徒たちに向かって一所懸命アクティブに『教えよう』と語り続ける教師なのです」

「教えない」のは、出し惜しみをしているのではなくて、生徒自身が内発的に問題意識を成長させ、試行錯誤のはてに、またグループでの相互啓発をへて、「問題の所在」を明確につかみ、解決へ向けた鍵を探す「自由」を保証しているのだと思います。同時に「ひとりになれる学校」と「みんなでワイワイやる学校」は、言いかえれば自立学習と協同学習をバランスよく結合させた学校です。

本書を通して、日本の学校教育の周辺にある「学校は変わらない」「昔から同じで時代の変化に対応できない」等の嘆きが、根拠の薄いものであることを感じました。オランダでもオルタナティブ教育だけがあるのではなく、「牢固としたオールドタイプの学校」「一斉授業」も相当に残っているとリヒテルズ直子さんは言います。けれども、学校現場や教育にかかわるすべての人々が力をあわせ、「学びの転換」に挑み続けている軌跡は、十分私たちにも参考になります。

苫野さんの「教育とは自由の相互承認である」という哲学的考察から、リヒテルズ直子さんの豊富なオランダの教育をめぐる事例紹介が結びついて、「学校の今を変える」ための元気が出てくる本です。久しぶりに3時間で一気に読んでしまいました。

(メールマガジン『オルタ』2016年11月20日から転載)

関連記事


「教えない学校」は「総合知を豊かにする教育」をめざす


学校が進化する「学びの改革」をめざして