BLOG

「留学すると日本に戻れない」のか?

2014年10月27日 17時01分 JST
大隅典子

NIH-Japan-JSPS Symposiumという国際会議に出席するために米国ワシントンDCに出張してきました。もともとは東日本大震災後に、米国国立衛生研究所(NIH)から寄付や被災研究者受け入れの援助を頂き、昨年5月にお礼の意味も込めてNIHの研究者10数名を東北大学にお招きしてシンポジウムを行い、石巻へのツアーなども行ったのですが、今年はそれをNIHで行おうという企画でした。さらに背景にある意図としては、かつてNIH全体で300名もいたという日本人研究者が、現在では200名ほどに減少しており、NIHとしてもっと多数の日本人に来てほしいというがあり、日本学術振興会(JSPS)も加わっているのは、「海外学振」と呼ばれる博士研究員の海外派遣制度を支援しているからです。

2014-10-27-141027_norikoosumi_01.jpg

初日の朝一番の発表だったので、行きの成田のラウンジや飛行機の中でもKeynoteのブラッシュアップをして臨みましたが、前日入りした夜は、DC泰山会という、高校のプチ同窓会にお呼ばれして、種々の分野においてDCエリアで活躍される10名ほどの方々とご一緒しました。やはり、同じ高校で3年を過ごしたというだけですぐに打ち解けられるのは良いですね。

シンポジウムの内容そのものは追って研究科HP等に掲載されると思いますので、ここでは2日目の夕方に行われた「NIH金曜会X UJAプレゼンツ 日米日本人研究者交流会:研究キャリアに関するパネルディスカッション」と、帰りの日の朝のパワーブレックファーストという名の女子会に参加したことを元にして、いわゆる「<留学>のススメ」についての私見を述べたいと思います。

金曜会のイベントでは5名のシンポジウム参加日本人教授が登壇し(私もその一人でした)、上記の組織が行った世界180大学、360名ほどのアンケート結果をもとに、「今、海外で博士研究員(ポスドク)などをしている日本人がどんなことを心配に思っているか」等について、じゃぁ、どうすればよいかなどを話しました。女子会の方は、メンターとして「お姉さん(私もその一人)」側が4名、NIHのいろいろな研究所で研究をしている女性ポスドクが9名と少人数の会でしたので、さらに個別のアドバイスなどをしました。

「留学する(海外でポスドクなどをする)と<帰ってこられないのではないか>」という不安が多い(だから留学する人も減っているのではないか)」ということは、今回のアンケート以外にも目にしたことがあります。登壇された私以外の先生方は皆、海外でのポスドク経験者でしたが、ポスドク経験の無い私も含めて「どうしても日本に帰らなければならないの?」という疑問が湧いて、ちょっと「問題設定が違うのではないか?」というギャップを感じました。

私を含めて今ポスドクをされているよりも10歳以上、上の世代は、まだ日本にポスドクのポジションが少なかったということもあって、博士号取得後に助手(当時)になれず、でも研究したいと思えば、海外に行くしかなかった、という時代でした(その意味において、我々の世代からのアドバイスは、直接そのまま役に立つかどうかは、それぞれ判断頂いた方が良いでしょう)。そのような方の中にも、海外で研究室主催者(PI)になられた方もいらっしゃいますし、皆がどのようなキャリアパスであったのかについての客観的なデータは見たことがありません。でも、海外にポスドクに行く前に、「戻ってくる宛がある」のは臨床系の方に限られていて(これは今でも同様の構図と思います)、そうではない理学系の友人も「研究を続ける、できるだけ良い研究環境に身をおく」ために海外での研究生活にチャレンジしたのだと思います。結果として、若いうちに海外の研究者(後に著名になる方含め)とのネットワークができることも、留学経験者の方々のキャリアパスに有利になったものと拝察します。

たぶん、登壇者らが一番しっくりこなかった質問は、「日本でポジションを得るためにコネクションはどの程度必要か?」というあたりだったように思います。「コネクション」の定義にもよりますが、今どき「有名ボスからねじ込まれて採用した」というようなことが可能な、ある意味<優雅な>研究室はありえないでしょう。どんなPIであれ、自分の研究室を良くするのに必死な訳ですから、採用候補の研究者はできるだけ優秀で前途有望であってほしいでしょうし、研究室に足りない技術や知識を持ち込むことを期待されていると思います。独立したテニュア・トラックのポジションなどでも同様の構図です。その研究科や研究所をより良くすることに貢献して頂ける研究者を、採用する側は切望しているのです。

女子会の際に、おそらくこのパネル・ディスカッションに参加されなかったと思われる方が、つまり独立に、同様の質問をされました。曰く「業績が良いのに公募に落ちたのは、すでにコネのある方がいたからなのでしょうか?」 一般論で語るのは難しいのですが、インパクトのある論文を出していても、採用する側の求める方向性の研究で無ければ、ポジティブに作用しない場合もあります。あるいは、面接してみたらプレゼンや質疑応答から、本人の研究資質に疑問を感じることがあったかもしれません。つまり、インパクトのある論文が出せたのは、そのボスが偉かったからではないの?ということですね。

さて「コネクション」ですが、これは「与えられるものではない」とオトナたちは思っています。「コネクション」という日本語の語感が悪ければ「ネットワーク」と言い換えても良いでしょう。良いネットワークは努力してゲットすべきものです。それは、大学院の研究室を選ぶとき、ポスドク先を選ぶときにPIを誰にするか、という選択だけではなく、学会(meeting)に参加した際に、同世代の研究者との情報交換も必要でしょうが、論文で名前しか知らない著名な研究者と話をすること、ただ話をしただけでは相手は覚えてくれる訳はないので、学会から戻ったら御礼のメールを出しておくこと(返事は期待せずに)、その学会のときに発表した内容が論文になったら「あなたのアドバイスにより無事に論文が出ました。ありがとうございました」と伝えることなどにより積み重ねていくことができます。

私自身は、伝統ある研究室の出身ではなく、プライベートな事情により留学の機会を逸してしまったということもあり、若い頃、自ら必死にネットワークを作る努力をしてきました。確か、アイオワで学会があった折、当時は海外出張の旅費を出せるような研究費は持っていなかったので、自腹で行ったということもあり、ソルトレイク・シティのユタ大学のマリオ・カペッキ先生のところに留学中のC先生に帰路で寄りたいと連絡したところ(ファックスの時代ですね......)、「来るならセミナーしますか?」と言われて、「あ、はい、光栄です。アレンジお願いします」ということで、のちにノーベル生理学・医学賞を受賞されることになるカペッキ先生のラボでセミナーをさせて頂いたというのが最初だと思います。「そうか、名もない私でもセミナーさせてもらえるんだ!」と知って、それ以降は自分で、「今度、ロンドンに行くのでラボを訪問させて下さい。可能であればセミナーもしたいです」と面識の無いGuy's Hospitalの先生にも直接コンタクトを取るようになりました。留学できなかった分を少しでも補いたいと考えていたからです。ちょうど30代前半の頃ですね。

(昔のことを思い出したついでに、そのユタ大学での人生初海外セミナーは、天候不順によりアイオワからの飛行機が遅れ、乗継地のシカゴの公衆電話(!)からC先生に連絡を入れ、「わかりました。たぶん、なんとかなるでしょう。荷物は預けましたか?」「いいえ、幸い、キャリー・オンしましたッ!」ということで、空港に迎えに来て頂いたC先生の車の中で、35 mmスライドをカルーセルに並べて(......時代だ......)、ユタ大学の駐車場からセミナー会場までダッシュしてなんとか時間に滑り込んだ、という曰くつきでした。ふぅ......(汗)。時代を感じさせるエピソードですね。カペッキ先生のオフィスの壁に自転車が吊るされていたことなど、ふと当時の情景が蘇りました。)

今ならメールを入れて、訪問したい、セミナーをさせて頂きたいと伝えれば良いので、20年前よりもずっとハードルは低いのではないでしょうか。知らない研究室でセミナーをすることは、ジョブ・トークのための予行練習になるでしょう。

日本とのネットワークについて、「留学先のボスが、学会発表などは論文がまとまらないと行かせてくれない」という話も女子会で聞きました。もちろん、ボスの研究費でサポートしてもらう場合には、ボスの意向に従うしかないでしょう。何かの折に(もしくは理由を作って)自腹で定期的に帰国してセミナー・ツアーをすることは、もしそうしたいと思えば自らの意志で達成できると思います。国内の移動については、余裕のある訪問先ラボであればサポートしてもらえるはずです。未発表データを話すことができない場合にも、ラボ訪問だけなら留学先のボスに遠慮する必要はないでしょう(さすがにその場合は国内寮費のサポートは難しいでしょうが)。そのラボの若い方々にとっても、留学先のことを知るチャンスになるのですから、歓迎してもらえると思います。

ともあれ、サステナブルな科学者コミュニティーを作るためには、おそらく学協会のような組織がそれぞれの分野の若手をエンカレッジすることに、これまで以上に努力することが必要だと感じています。自分たちが若手の頃にはそんなサポートはされず、ボスにはたてつきつつも奉仕してきた世代として、納得いかない先生もおられるかもしれませんが、学会がそれなりの年会費や大会・年会等の参加費を取って運営するのであれば、サイエンティフィック・セッション以外にも、参加して得られるものがある企画が必要でしょう。ここでは割愛しますが、多様なキャリアパスのロールモデルの提示も重要ですね。ちなみに、昨年に引き続き、日本分子生物学会では今年の年会用にも、海外在住研究者の年会発表のための旅費支援を行っています。

最後に、NIH女子会で出たアイディアとして、「留学復帰ポスドク制度」はどうか、という話になりました。これは、現在、育児休業取得者(男女限らず)のための枠として学振の「育児休業復帰博士研究員RPD」という制度があることに倣ったプランです。一定期間(どのくらいの長さにすべきか、要検討)海外でポスドク等を経験した若手研究者(年齢制限はどうするか?)のための、2年程度(長いのは有り難いが予算には限界あり。どの程度の期間が適切か?)の研究費付き特別研究員枠(何人程度が適切か?)を想定しています。できれば、1000人を超えるアンケートの数字に基づいてほしいところですね。そのような提言を文科省に持ち込むなどしてみてはいかがでしょうか? それから、いろいろな制度ができても周知されないこともあるので、例えば、分生Facebookなどに「イイね!」をして頂いて、各種のお知らせがプッシュされるようにしてみて下さるとよいかもしれませんね!

RPD制度は、男女共同参画の長年の活動や、学協会連絡会という組織の2万人規模の大規模アンケートの結果に基いて、ボトムアップな提案が、当時の学振の久保真季氏のご尽力もあって実現したものです。制度はこのように一人ひとりの力の積み重ねで変えることが可能と思います。

2014年10月26日「大隅典子の仙台通信」より転載)