夢を叶える

若い方は「何になりたいのか、決められない!」と迷って構わないのだと思います。そのために集めた情報や努力したことが、後になって活かされることも。

昨日、東日本大震災からちょうど4年半という節目で、東北地方は今度は大雨による洪水・冠水等に見舞われました。仙台市が最終的に40万人のエリアに避難勧告を出したことは、その規模がいかに大きなものであったかを如実に示しています。地球の反対側からもお見舞いメールを頂きました。幸い、自分の周囲には甚大な被害を受けた方はありませんでしたが、医学部の講義室では雨漏りが発生したようです。朝から学部生は全面休講措置となりましたが、午後には雨は上がっていたので、大学院生や教員は平常業務に戻りました。公共交通機関には、東北新幹線を別として、大小の被害がありましたので、地域によっては移動が困難なところもあると思います。より甚大な水害に襲われた鬼怒川周囲の方々が、早く日常に戻れるよう、心からお祈り申し上げます。

4年半という節目は、米国にとってはニューヨークの同時多発テロ事件から17年目という日でもありました。どのくらい経てば記憶が薄れるのか想像できないのですが、洪水の映像は津波の状況に似ていて、きっと辛い記憶を思い出してしまった方もいるのではと思います。......前を向くために、もっと昔のことを思い出してみます。

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先日、自分の年齢の3分の1くらいの、とても若い方とご一緒する機会があって、楽しい時間を過ごしたのですが、その折に「将来の夢」という話題になりました。

自分のことを振り返ってみると、小学生時代にはTV番組の影響で「スチュワーデス(今で言うキャビン・アテンダント)」に憧れたことがありました。「英語を使って仕事をする」ように思えたのがカッコ良かったのでしょう。でも、現在の仕事は日常的に英語を使っています。同じ頃、「アナウンサー」もやってみたかった。実際に、リトル・リーグの試合のアナウンス(「何ばーん、何々君、ピッチャー」などというあれ、ですね)もしたことがありますが、講義や講演は似ている面もありますね。放課後のお稽古事の一つに「お絵かき」がありましたが、描く才能はまったく無く、それは大学の専門課程での「組織標本スケッチ」でも嫌というほど思い知らされましたが、絵を観ること、分析するトレーニングになりました。

中学生くらいの憧れの職業としては「建築家」というのもあったのですが、これは構想計算をするのは嫌い、と思って消滅。でも、建築を観るのは今でもとても大好きです。1年生から生徒会の書記をしていたことは、議事録を作るスキルに活かされました。生徒会の会長選挙にも2回立候補し、2回目で当選。最初のスローガンが「生徒の、生徒による、生徒のための生徒会」で、次のが「トランスペアレントな生徒会」でした。標語を作ったりすることは、今なら新しい組織の名称やロゴマーク作成に当たりますね。

高校では「料亭の女将」が面白いと思ったのですが、今は研究室の女将を務めています。ちなみに、文化祭委員をしていましたが、学会やシンポジウムの企画・運営などにそのスキルが繋がっています。かなり好きだったのは「雑誌の編集者」。これはまさに、論文原稿作成と重なるセンスやテクニックがあるのではと思っていますし、広報室用務には役立ちました。「お絵かき」と結びつく面もありますね。

なので、若い方は「何になりたいのか、決められない!」と迷って構わないのだと思います。そのために集めた情報や努力したことが、後になって活かされることも多い。また、惹かれるものは、その方の性格を形作り、どんな職業に就いていたとしても、それがその方の「個性」になります。ただし、どんなことでも「仕事」として行うには、子ども時代のレベルでは勤まらないし、毎日積み重ねる努力が必要。

もう一度、その歳に戻れたら、私は何をしたいのか想像するのも楽しいですね。そんな若い方が夢を持てるような社会を作らなければならないと改めて思います。

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