がんから100㎞マラソン復帰。そしていま、患者支援活動へ。

10年前のがん闘病中、私が一番欲しかったのは…

はじめまして。

NPO法人5yearsを運営している大久保淳一です。

今回が最初の投稿なので、まず自己紹介をさせて頂きます。

■ 42歳、突然のがん告知

私は10年前の42歳の時、がん(精巣腫瘍)を患いました。

最終ステージまで進行していて、がんが腹部、肺、首のリンパまで転移。

5年生存率があと、49%と告げられました。

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(2007年:抗がん剤治療中の大久保淳一)

2人の子供たちがまだ小学生で、働き盛りの40代の時のがん告知。

まるで深海の底に沈んでいくような寂しさと恐ろしさを感じました。

■ 希望が欲しい

当時「がん治療のあと、無事、元気に社会に戻った人たちの情報」が欲しくて、一生懸命にインターネット検索をしてを探したのですが、目につくのはがん治療中のつらそうな人や、亡くなった人の情報、更新が途絶えている患者のブログばかりで、怖くなりました。

治療への希望と、がん治療後の人生への希望が欲しくて、元気になった人たちの情報を探したのですが、なかなか良いものはありませんでした。

この悔しい経験が今の「5years」の活動原点です。

2度の外科手術、3クールの抗がん剤治療、半年に及ぶ入院を経て、がんは寛解に至ります。

■ 生存率20%以下

しかし...。

抗がん剤の合併症・間質性肺炎が急速に悪化。

私にとっては、がんと同じかそれ以上に怖い病気でした。

肺が酸素を取り込む能力を示すDLCO値は、51%まで落ち、片肺状態。

肺の組織が線維化したため、がんと間質性肺炎をあわせると5年生存率20%以下と伝えられます。

その後、医師たちの献身的な治療により奇跡的に一命をとりとめ、10ヶ月後に退院。

退院後3ヵ月は、信号が赤になるまでに横断歩道を渡れないほど身体が衰弱していました。

■ 会社復職と復帰

それから長期リハビリを経て、元の職場、ゴールドマン・サックス社に復職。

がん発症から1年半後の復帰でした。

そして...。

6年後の2013年6月。

サロマ湖100kmウルトラマラソンに復帰し、7年ぶり5回目の完走を果たします。

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(2013年 サロマ湖100㎞マラソン、ゴールシーン、12時間39分)

翌2014年、15年間務めたゴールドマン・サックスを退職し、がん患者さんの社会復帰を支援する活動「5years」を始めました。

■ 退職し、「5years」設立へ

次のチャレンジに向かいたいと思い決断しました。

5years」は主にウェブサイトを使い活動しています。

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(5yearsのウェブサイト画面)

がんから奇跡的に命が助かった者として、社会に恩返しをするために、この活動を始めました。

5yearsでは、闘病当時、私が欲しかった仕組みを実現させたいのです。

活動の柱は二つ。

❏ がんの後、無事、社会に戻った人たちの情報発信

❏ 治療中の患者さんが、先にがんを経験した人たちから相談にのってもらえる仕組みの提供

いまウェブサイトを開設して2年半経ちましたが、登録者(がん患者、家族、がん経験者等)が

3600名(2017年10月時点)を超える日本最大級のがん患者支援団体にまで成長しました。

「5years」の中では、様々な情報交換と交流、発信が行われ、がんを経験した人たちのコミュニティーが作られています。

■ ミリオンズライフ開始

そして、もう一つ私が運営しているのが「ミリオンズライフ」。

こちらでは、5yearsに登録されているがん経験者の皆さんを私が取材してウェブ記事にして発信しています。

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(ミリオンズライフのウェブサイト)

厳しいがん治療を乗り越え、無事に社会に戻った人たちの感動的で勇気が湧くストーリーを実名・顔写真でご紹介しています。

" がんになっても、人生は終わりではない "

この事実を社会に示し、今もがんと闘っている患者さんと家族を勇気づけたいのです。

なぜなら10年前のがん闘病中、私が一番欲しかったのは、「がんの後、無事、社会に戻った人たちの情報」だったからです。

今後、ハフポストのブログでは、私が「ミリオンズライフ」を通じて知り合ったがん経験者たちの感動的なストーリーや、「5years」の活動を通じて感じることなどを綴っていきたいと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

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