「ラッツ&スター」のものまねは、罪のないパフォーマンスといえるのか

もし、アメリカ的な価値基準に従って評価することが許されるのであれば、文化の面においても日本とアメリカは持ちつ持たれつの関係を築いて欲しいと願っています。神道式の結婚式で見た黒塗りの顔は、様々な芸術に対する選択肢の1つなのかもしれませんが、罪のないパフォーマンスとはみなされません。

外国人の目から見た兵庫県の郊外は、決して田舎ではないけれど、東京都区内のように国際的な所でもありません。たとえば兵庫県で、アジア人ではない外国人をいぶかしげに見つめたり指を指したりすることはありませんが、長年日本に住んでいる外国人にさえ、極端に期待値を下げ、日本語が上手に話せること、お箸が上手に使いこなせること、寿司を食べ「られ」ることを惜しげもなく褒めるといった優しさを見せることがあります。

去年、友達の結婚式で兵庫県に行ってきました。式場に到着するや否や、参列者の方々に「よく神社が見つかりましたね!」と心の底から驚かれました。駅から神社までの道は少し曲がってはいるものの一本道です。見つからない訳がありません。

日本における日本人クリスチャンは2%以下ですが、結婚式のうち60%以上はキリスト教式で行われます。また、牧師や神父ではなく 外国人の俳優が、宗教に関係なくドラマチックな形で立ち会います。

私が参列した結婚式は神道式で行われました。披露宴が行われた会場は現代風でしたが、壁には間違った英語で愛の詩が書かれていました。そこで和洋折衷の料理と飲み物を美味しくいただきました。新郎新婦は初め和装でしたが、参列者が大量の飲み物や食べ物を振舞われている間に、洋装に着替え、アンティークっぽいオープンカーで再び会場に現れました。

伝統的なものや新しいもの、アジアやヨーロッパやアメリカといったように、様々な文化をバランスよく取り入れた結婚式は非常に楽しいものでありましたが、新郎の友人複数名が余興で登場した時、私は大きなショックを受けました。彼らは皆、顔を黒く塗っていたのです。

私は何も言葉にしませんでしたが、隣に座っていたアメリカ在住経験のある方が、不快そうにしている私の様子に気づき、「カープさん、これは差別ではありません。むしろ彼らは自分たちが愛するミュージシャンに敬意を表わしているのです」と言いました。

しかし、私アメリカ人にとって、ブラックフェイス(黒塗り)はただ一種類、否定的な意味しか持っていません。それは、偏見、嘲り、そして人種差別です。けれども、この新郎の友人たちにはまったくそういった意図は見られませんでした。おそらく彼らは、黒人を模倣していたのではなく、ラッツ&スターを模倣していたのです。ラッツ&スターは、日本で有名なドゥワップのグループだそうです。こういったグループの模倣は、日本人にとって、ダンサーたちが代々木公園で50年代に流行ったロカビリーを踊るようなものだと気が付きました。

日本に全くもしくは短期間しか訪問経験がないアフリカ系アメリカ人は、多くの日本人が人種差別と意図せずに、黒人の文化や装いを真似しているのを見てショックを受けることでしょう。

日本の黒人観を長年研究している文化人類学者ジョン・G・ラッセル教授(岐阜大学)がこう述べています。「黒人の文化や装いを流用する狙いは、模倣やオマージュに過ぎないので、必ずしもその意図は黒人を人種的に戯画化することではありません。むしろ、黒人や『黒人っぽさ』に連想されるスタイルを捉えようとしています。しかし、日本の場合、厳密に言えば、顔を黒く塗るといったパフォーマンスの意図そのものは人種差別でないとしても、やはりそのパフォーマンスには一種の人種思想が内在しています。だって、日本人が白人や白人の音楽のスタイルを模倣する時、わざと顔を真っ白に塗ったりはしないでしょう」。そういう意味でも、黒人のふりをすることは黒人を見下し、侮辱的で人種差別的行動になることもあるということを否定できないと彼は強調しました。

結婚式の後、私は奈良を訪れました。奈良は、日本初めての首都であり、その都は、単に日本最古であるだけでなく、一番初めに様々な国の文化の多様性を取り入れた場所でもあります。韓国から来た格子、インドから来た像、中国風の建物、古代ギリシャ由来の柱などがいい例です。東京の写真家マンス・トンプソンはアフリカ系アメリカ人で、一度、黒人の女の子の形をしたぬいぐるみをめぐって、店員に抗議したことがあります。彼にとってそのぬいぐるみは、とても不快なものだったのです。そんな彼は、8世紀に建てられた奈良正倉院の中におさめられているペルシャ陶器の美しさに魅せられたことを思い出しました。

鎖国という名の「閉ざされた国」であった時期があったものの、実際日本人の感受性は、世界との交流を通して形成され、成熟してきました。多くの日本人が、17世紀から19世紀半ばまで続く鎖国時代のことを思い、日本は常に他の国から孤立していて何の混じりけもないと考えますが、ラッセル教授は以下のように言っています。「鎖国という表現はとても面白いです。というのも、その表現は、日本がたとえ外国人を受け入れなくとも、外国からの文化に対して非常に受容的であることを示しているからです」。

テンプル大学ジャパンキャンパス国際ビジネス学科のディレクター、ウィリアム・スウィントンは、15年以上日本に住んでいますが、この国の人々が持つ柔軟で幅広い嗜好のことを「根無し草的模倣」と表現しています。スウィントンは、日本人が外国語を話す時、その言葉を母国語としている人にとっては考えられないような猥褻な表現を軽い気持ちで真似するといった、思慮に欠けたように見える文化の借用の仕方を目の当たりにし、腹を立てそうになる時があるそうです。しかし彼はこう言います。「でも、日本人のことをよく理解せずに腹を立てることは、誰の得にもなりません。返って問題を深刻化させるだけです」。

1853年、アメリカ海軍の軍人ペリーが日本に開国をせまったとき、日本人たちはその計画に乗り気ではないものの、自分たちの文化を紹介するため、相撲大会を催しました。ペリーは、そのお返しとして、黒塗りした白人乗務員によるミンストレル・ショー(黒人の模倣をした芸能人によるショー)を催しました。アフリカ系アメリカ人の水兵に自分の護衛をさせていながら行ったこのショーは、屈辱的で人種差別的である以外、何でもありません。日本人は、このショーのこういった起源を知らないまま、芸術のレパートリーの1つとして日本に取り入れ、今日まで来たのでしょう。

もし、アメリカ的な価値基準に従って評価することが許されるのであれば、文化の面においても日本とアメリカは持ちつ持たれつの関係を築いて欲しいと願っています。神道式の結婚式で見た黒塗りの顔は、様々な芸術に対する選択肢の1つなのかもしれませんが、罪のないパフォーマンスとはみなされません。

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