私は2児の父。ステージ4の肺がんにかかっている。今、こんなことを考えている。

このブログの著者オレン・ミラーは2015年2月28日に亡くなった。彼が発信した美しい言葉に感動した人々が、彼のことを忘れることはないだろう。
Oren Miller

ハフポストUS版より:このブログの著者オレン・ミラーは2015年2月28日に亡くなった。このブログは2014年6月3日に投稿され、11月17日にハフポストUS版に転載された。

彼が発信した美しい言葉に感動した人々が、彼のことを忘れることはないだろう。

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2014年5月30日に、自分がステージ4の肺がんにかかっていることを知った。私のような状態になった人間は、余命わずかで、できる治療といえば、この先1年の負担をより軽くすることくらいだ。実験的医療など他にも選択肢はあるが、こうしたことは後で検討されるだろう。楽観的ではいるが、正直に言うと、自分がどんな状況におかれているかは理解しているつもりだ。

4年前の2010年夏、私たちはベサニー・ビーチにいた。みんなですばらしい時間を過ごしていた。私たち一家と友人たちは砂の城を作ったり海に入ったりして、誰もがリラックスして過ごしていた。いや、その時は私だけ不安を抱えていた。未読メールが何百通もあり、書き出す時間のないブログ投稿のアイディアもたくさんあった。私は砂に埋もれていても、眠気覚ましのコーヒーが足りなかった。楽しんでいるふりをしようとしたが、他の人たちは私がくつろいでいないことに気づいてたようだ。それどころか、こんな場所にいたくなかった。

家に帰る車中で、突然ひらめいた。家に向かう頃になってようやく自分が見逃していたものに気づいた。家に向かう頃になってようやく、人間として生きている上で最大の悲劇を経験していることに気づいた。今、私は最高に楽しんでいるのにそのことすら気づいていなかった。

あの日は良い1日と思えるようになったよな。いったん決意したらそうなったよな。いや本当に...。人生のすべての瞬間が天国にいるような気分になったよな。それはずっと続いたし、これ以上悪くなることはなかった。そうなったのも、あの夏の日、ベサニー・ビーチから家に向かう途中であることをはっきりと心に決めたからだ。そしてその時を境に、意識しないでその決断を繰り返すことができたからだった。天国と地獄くらい違いがあった。いつも時間に間に合わず、いつも機嫌が悪く、いつも不満で、そしていつも執筆が遅れ、妻、友達、子供たちとの人間関係もなんだかうまくいかない地獄のような毎日。それに対して、人生にもっと多くの意味を求めようとすれば、その全てを手にしていることがわかる天国のような毎日。

私はこの世に天国があると信じている。そしてどこにでもあると信じている。私はこんなところに天国を見つけた。

私は天国を見つけた。子供たちと長時間過ごした車の中で。毎日何時間もかけて子供を学校に送り迎えするのを不満に思うこともできたが、そのかわり私はその時間を利用して、子供たちのことや私のことについて話し、音楽について教え、一緒に音楽を作り、生きる意味について話し、そしてくだらないことを話した。

私は天国を見つけた。バスケットコートの汚れた床の上に。当時2歳の娘はJCCプレスクールに通っていた。12時に終わった後も息子の学校が終わるまで何時間も待ち、それから一緒に家に帰っていた。娘と過ごした待ち時間を私はずっと忘れない。彼女もずっと覚えていてくれるといいのだが。4時間くらいの間、私たちはブラブラして過ごし、一緒にお昼ごはんを食べ、JCCのプレイルームで彼女にままごとのサンドイッチやお茶を用意してもらい、バスケットボールコートまで競争し、バスケットをして遊んだ。バスケットをするといっても、黒いラインの上だけを歩いて、先を行く彼女を私がドリブルをしながらついていくゲームだ。彼女はそのゲームを自分で考え、「お誕生日会に行くゲーム」と呼んでいた。ゲームが終わったら私たちは床に座って向き合い、脚を広げてボールを転がしあった。そして彼女は「抱っこして」とねだり、他の人たちがバスケットをする中、コートでお互いを抱きしめあった。

この世の天国にも、ちょっとした注意が必要だ。私たちは3月に新しい家に引っ越した。素敵な家だ。そして理想的な家だ。子供たちがここで成長すると思うと胸が張り裂けそうになる。自分のことはどうでもいい。本当だ。誰もが望むような素晴らしい人生を送ったのだから。でも1つだけ、たった1つだけ、すべてを投げうってでも欲しいものがある。子供の成長を見ることだ。

私の子供たちは、みな明るい。もちろん駄々をこねることもあるが、明るい子たちだ。彼らは私の最高傑作だ。愛らしくて、賢くて、お利口で、面白くて、そして明るい子供たち。私がそれを終わらせてはならない。彼らが悲しみながら成長するようなことがあってはならない。心にぽっかりと、ほとんど記憶にない父親の形をした穴が開いたまま成長するなんてことがあってはならないんだ。子供たちには幸せであってほしい。子供たちと一緒にいて、彼らを幸せにしたい。

妻にも幸せであってほしい。彼女は幸せになるのにふさわしい人間だ。今すぐにでも彼女を幸せにしてあげることができればいいのだが。

受け入れること、そして悲しみ。そう、私はこの2つが共存できると信じている。悲しみは避けられない。私はしょせん生身の人間だ。悲しみを克服しようと頑張りすぎてもより傷つくだけだ。しかし、受け入れることはできる。

私は受け入れよう。人生は限りあるものだと。

私は受け入れよう。私の人生に終わりが近づいていることを。

私は受け入れよう。私の人生はかけがえのない贈り物だったと。そして今もそうだと。

私は受け入れよう。子供たちがこれから成長していくのを目にすることはおそらくできないと。

それでも、不満を言った方がいいのだろうか? 虚空に向かって「どうして私が?」と叫んだら? それとも今、今であっても、今だからこそ、ちょっと戸惑いながら、ちょっと疲れを感じながら、そしてちょっと悲しみを感じながら、今最高に楽しんでいると感じたらいいのか?

これから数カ月の間に私の体にどのような変化があらわれるかは、まだよくわかっていない。しかし、分かっていることもある。

そう、私はこの世で最も幸せな男だ。そう、私には最後の瞬間まで私を愛してくれる人がいる。彼らと知り合えたのは最高の誇りである。愛する妻、そしてどんなときも畏敬の念を思い起こさせる2人の子供たちだ。

これだけはお願いしたい。

私の娘。彼女は恥ずかしがり屋だ。彼女が1人で遊ぶのを見かけることもあるだろう。そしてつい、「一人でお利口さんに遊ぶね!」と身を引いてしまいたくなるだろう。彼女のところに行ってあげてほしい。彼女と遊んであげてほしい。彼女はあなたを必要としている。

私の息子。彼はものすごく繊細な子だ。彼はあなたが言ったことをすべて覚えているだろうし、頭がいいからずっとその意味を考えるだろう。彼にからかうようなことを言わないでほしい。彼をだめにしてしまう。彼の質問にはすべて答えるか、あるいは答えが見つかるところへと導いてあげてほしい。彼は遊んだりふざけたりするのが好きだが、一人前として扱ってあげる必要がある。彼は私よりも賢いし、おそらくあなたよりも賢いだろう。

そして私の妻。彼女には休息を与えてあげてほしい。どうか、彼女にゆっくりさせてあげてほしい。彼女は職場ではA型人間(行動的でエネルギッシュなタイプ)だが、家では、とにかくゆっくりし時間を楽しみたい方だ。彼女が楽しむことができるよう、後押ししてあげてほしい。すべてのことに対して責任を感じるだろうが、そうさせないでほしい。彼女にゆっくりするように言ってあげてほしい。リラックスするように言ってあげてほしい。彼女が人生を楽しめるよう、助けてあげてほしい。またどんな形であっても、彼女にレッテルをはったり制限したりしないでほしい。彼女に「W- word(よそ者)」なんて言葉は使わないでほしい。彼女にそんな言葉は似合わない。彼女をそんな単純に決めつけないでほしい。彼女はどんな人間か? 彼女はどんな親も望むような娘だ。そしてどんな子供でも望むような母親だ。確かに私は家にいて、この素晴らしい子供たちの子育てに大きく貢献したが、彼女がいなかったら何もできなかった。妻はこれからも子供たちを育て、子供たちは成長し続け、素晴らしい少年や少女になり、そして素晴らしい大人になるだろう。すべては妻のおかげだ。

そして彼女は、私の理想の女性だ。

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