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チュニジア襲撃――円満な政治変動の「影」が表出

2015年03月19日 15時56分 JST
AFP時事

18日、チュニジアの首都チュニスで、国会議事堂近くにあるバルドー博物館が武装集団によって襲撃され、日本人の観光客3人が犠牲となり、3人が負傷した。チュニジアは観光産業がGDPの7%を占めるほどの観光立国だからその経済に与える影響は計り知れない。一昨年9月に訪れた時もカルタゴなどの遺跡にはヨーロッパや日本からの多くの観光客を目にした。「アラブの春」の政治変動を経て、シリア、リビア、イエメンなどアラブ諸国は政治的、社会的な深い混迷の中にあるが、チュニジアは「アラブの春」の「優等生」とも形容できるほど、政情は安定していた。

チュニジアでは2011年10月に制憲議会が招集され、新憲法が制定された。議会で第1党となったのは「エンナフダ(再生)」という穏健なイスラム政党で、この政党がその世俗的な他の2政党と連立与党を組んだ。

エンナフダの指導者のラシード・ガンヌーシーは、22年間の逃亡生活の後、2011年1月末にチュニジアに帰国したものの、政府のポストに就くことがなく、政党の党首の座にとどまり、エンナフダの指導者たちが2011年12月から2014年1月まで首相の座にあったが、その後は世俗的なメヘディ・ジョマア首相となり、今年2月にやはり世俗的で、元農業官僚のハビブ・エシードが首相となった。

政権移行が順調に行われたわけではない。新憲法制定のプロセスは遅れたし、また2012年9月には米国大使館がテロに遭った。2013年には左翼の政治家が2月と7月に殺害されるという事件も発生した。

こうした事態を受けて、2013年秋、チュニジアの労働組合同盟が政府と野党との協議の場を設定し、その年の末にエンナフダに代わって政党色のない人物たちが政治の中枢を掌握していった。2014年2月に公布された憲法はイスラム主義者にも世俗主義者にも容認できるものだった。新憲法に乗っ取りに昨年10月に議会選挙、続いて翌11月に大統領選挙が行われ、世俗主義者のベジ・カイドセブシ大統領が就任した。

「アラブの春」の政治変動の際も独裁者のベンアリ大統領はいち早くサウジアラビアに逃亡し、権力の座を放棄し、軍隊も政治変動に関わることがなかった。イスラム政党のエンナフダも権力を独占しようとはせず、世俗的な現体制を支持しているが、警察力で過激な勢力を抑圧した結果、「イスラム国」の中では最も多い外国人勢力である3000人のチュニジア人を供給することになった。チュニジアの平和裏の政治変動の影の部分を今回の事件は表すことになった。

チュニジア バルドー博物館襲撃事件