ぼくたちの子どもたちは、人口がひたすら減りつづける国で生きていく。

ちきりん氏が「次の50年で4500万人 減るということ」という記事ブログで書いていた。それに触発されて、私もこのところ考えていたことを書いてみようと思う。

「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」というタイトルでブログを書いてハフィントンポストに転載され、どえらい数の「いいね!」がついたのは2014年の1月だった。たくさんの方から連絡をもらって戸惑いながら取材したことをブログに書き連ね、その原稿をもとに先のブログタイトルと同名の書籍を出版したのがその年の12月。だから、ちょうど一年経ったことになる。

その後、プレジデントウーマンオンラインに連載を書きつつ、それを補足する記事をまたブログで書いた。そこでは、新しい保育園の開設に反対する運動を取材した。

本を出したり、保育園反対運動に取材したりしたのは、ブログを書くだけよりもっと社会に具体的にコミットできないかと考えたからだ。ブログで大きな反響を得たのはたくさんの素晴らしい出会いにつながってよかったのだけど、赤ちゃんにきびしい国を変えることにはなかなか結びつかない。もっとはっきりと世の中に関与し、少しでも状況を変えられたらいいなと思った。

だが、反対運動に取材して、いろんなことがよくわかったが、同時にそれを記事にしても何かに関与できたとは言えないこともよくわかった。目黒区で起こった反対運動について取材し記事にしたが、それで何かを動かせたわけでもなかった。その後、別の区での反対運動も取材しようと説明会に行ったものの、保育園側も反対住民側も取材を受け付けてくれず、記事にすることさえできなかった。

ただ取材して具体的なことがよくわかった。反対運動を起こす人は決しておかしな人やエゴイスティックな人ではない。むしろ、落ち着いて分別ある年配の人びとだ。そして彼らが反対するにはそれだけの理由がある。十分な説明がなされてなかったり、その際に何らかの不手際もあったりする。いわゆるボタンの掛け違いが起こっているのだ。一度掛け違うと、時間が経つほど元に戻せなくなる。解決するのはかなり難しい。

一方で、彼らは「保育園が必要なのはわかるし、保育園ができることそのものに反対しているのではない」とも言う。保育園はできてもいいが、自治体が信用できないとか、あの保育園事業者には問題があるのだとか、そういうことを問題視している。

そこには、決定的に欠けている点があると思う。保育園がどれだけいま必要なのかが、伝わっていないのだ。

いま急激に働く女性が増え、いや、女性が働き続ける必要が出てきて、それなのに保育園の数が圧倒的に足りない。足りなすぎておかしな事態があちこちで起こっている。そのことは前にもブログで書いた。

足りなくて、少なすぎてママたちもパパたちも悪戦苦闘している。その窮状が伝わっていない。そこに空いている土地があり、保育園を作ると手を上げている事業者がいるなら、もう即刻作ったほうがいい。即刻作る!という判断をあちこちで行って、保育園少しつくり過ぎちゃったかな、ちょっと余ってるかな、それくらいになってやっと、ママたちも落ち着いて生活できるようになるのだ。赤ちゃんを身ごもった途端、保育園が見つかるか気が気じゃなくなるいまの状況は、子育てをギスギスしたものにしかねない。そういうところこそが、「赤ちゃんにきびしい国」なのだ。

一方で、保育園の必要性はマクロな視点でもとらえるべきだ。そして、そこもみんなに伝えるべきだと思う。それは、人口の問題だ。

総務省ではこれまでの日本の人口の推移と、今後の人口の減少の予測を数値としてWEBサイトに載せている。

このサイトにある「人口の推移と将来人口」のエクセルデータをダウンロードし、5年ごとの数字を自分なりにグラフにしてみた。これを見ていると絶望的な気持ちになる。

このグラフを見ていると、2015年を境にして、そこまでの人生とそこからの人生が正反対になることを想像してしまい、暗澹たる気持ちになる。

例えば、1935年、昭和10年生まれの人は、今年80才になるわけだが、その人にとっての日本は人口が倍近くに増えた国だった。間に悲惨な戦争を経験しつつも、日本は高度成長を達成し、アジアでもっとも豊かな国になった。明治以来のこの国の悲願が実現した80年だった。

一方、今年2015年生まれの赤ちゃんは、80年の人生の中で人口がひたすら減っていく中を過ごすことになる。2035年、成人する頃には1億1212万人までおよそ1500万人減少し、30才で結婚した頃にはさらに1000万人減って1億221万人になる。2055年に40才になると9193万人、50才では8135万人と、10年ごとに1000万人ずつ減少していく。

60才になる2075年には7068万人で、昭和10年と同水準だ。80才の2095年にはついに5332万人になり、大正時代の水準にまで落ち込む。

日本が昭和に入って築き上げてきたものが平成にはすべてゼロに戻る、という感覚ではないだろうか。

人口と経済を直接関係づけることに疑問を呈する人もいるようだが、人口が倍になる国と半分に減る国と、比べたら後者には大変な困難が待ち受けているのはまちがいないだろう。日本の高度成長は、農村から都市に人びとが移動し核家族を形成することで、豊富な労働力を産業界に提供し、同時に大量消費社会の消費者が猛然と増えていったことが支えた。人口とはすなはち国内市場なのだ。それが半分になる。

高度成長社会は、一生懸命働いていたら気がつくと豊かになっていた。でもこれからはへたをすると、働いても働いても会社の業績が上がらず、収入もちっとも増えやしない。そんな社会になりかねないのだ。

いま起こっている少子化と人口急減を、どう深刻に受けとめても足りないと思う。いちばん欠けているのは、この深刻さの共有ではないだろうか。上のグラフをじーっと見つめて、その中での子どもたち若者たちの生活を想像すれば、いますぐにそこここに保育園を作るべきだ!と誰だって考えるはずだ。

私が「赤ちゃんにきびしい国」を訴えるのも、私の子どもたちのためだ。私の父は昭和四年生まれで七年前に亡くなった。一方私の子どもたちは大学生と高校生だ。私はこのグラフのだいたい真ん中にいて、つまりわが家の三世代はこのグラフを中心に構成されている。グラフの前半を上向きにしてくれた父に感謝しつつ、真ん中の世代の責任としてはグラフの後半の傾きを少しでも変更することではないだろうか。

責任ある世代としては何をすべきか。危機感をきちんと自覚し、互いに共有していくことだと思う。当たり前のように「私たちの国は子育てをないがしろにしてきたね」とみんなで言い合う。知らない人にはそれを教える。いまの子どもたちは、これからこんなに大変なんですよ!そう言ってあげる。そうすることで、保育園に反対する人たちも、「行政も事業者も信頼できないが、とにかく開園は進めてもらう必要がある」と考えてくれるのではないだろうか。

加えて言うなら、政治家は他の何よりも少子化の重大さを認識し、取り組む課題の最優先事項にすべきではないか。だって、どんなに経済対策を講じても、人口が減っては十年後はやっぱりしんどいに決まってる。付け焼き刃の経済対策より、子育てのほうがずっとずっと大事なのだ。

お年寄りのほうが票になるから、政治家は高齢者ばかり優遇するんだ。そう言う人もいるが、ほんとうにそうだろうか。お年寄りに胸を張って、正面切って、いまの少子化の状況を説明すればいい。このまま少子化が進むと、あなたの孫やひ孫たちがしんどい人生になるんです。ちゃんとそう説明して、考えてくれないお年寄りなんていないと思う。

と、こんなことを書くのも、自分がこういうことを訴えることに効力あるのかわからなくて、萎えそうになるからだ。でも自分の子どもたちの未来を思うと、また書かないわけにはいかない。そんな思いでまた書いていこうと考えている。

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コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

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