ジャーナリズムとは何か。もう一度、根本からとらえ直す時だと思う。〜ジャーナリズムイノベーションアワードについて〜

日本ジャーナリスト教育センターが主催する「ジャーナリズムイノベーションアワード」というイベントが開催される。"イノベーション"と呼べるような次世代を切り開くジャーナリズムの事例を集めて、みんなの投票でアワードを決める、という趣旨だそうだ。

1月24日に日本ジャーナリスト教育センターが主催する「ジャーナリズムイノベーションアワード」というイベントが開催される。"イノベーション"と呼べるような次世代を切り開くジャーナリズムの事例を集めて、みんなの投票でアワードを決める、という趣旨だそうだ。いま、このタイミングで開催されるのは非常に意義深いと思う。ぼくはその中で行われるパネルディスカッションの進行役を務めることになったので、ここでみなさんに告知したい。

出品作品も続々集まってきているようだ。個人的には、よっぴー氏がBUZZ NEWSとケンカした件は注目している。

ところで、ぼくは12月にこんなタイトルでブログ記事を書いた。

もちろんジャーナリズムには権力に対する監視機能が必要だ。でも朝日新聞が謝罪会見をした一件は、反権力の姿勢が行き過ぎていたからではないか。だったら、"ジャーナリズムは、一度その正義を問い直した方がいい。正義感なんか忘れて、純粋に事実を調べて伝えることに徹した方がいいのだとぼくは思う。"というようなことを書いたのだ。

ジャーナリズムの権力監視機能を重要視するのは、20世紀的なのではないだろうか。もっと重要なことを模索してもいいのではないか。それよりも大事なことを、ジャーナリズムは持てるんじゃないか。そういうことを考えるタイミングなのだと思う。

そもそもジャーナリズムとは、近代国家の成立とマスメディアの誕生とセットでとらえられるものであり、つまりは新聞社や雑誌、テレビ・ラジオなどとほぼイコールだった。そこでは権力監視が最重要だったのも当然だろう。ジャーナリズムは国単位で存在し、輪転機や放送設備を持つ特別な組織で取り組むものだったからだ。ジャーナリズム活動ができない一般の人々に対し、権力監視は大きな使命でもあった。

ネットが登場しソーシャルメディアによって誰でも情報発信できるようになった。事件の最前線から誰もが情報を発信でき、それが世界にも届けられる。誰もがジャーナリズムに近い活動が可能だ。実際、御岳山の噴火が記憶に新しいところだが、普通の人の情報や映像が日本中、世界中に配信されている。

一方、誰もがジャーナリズムに意図せず参加してしまっている。BLOGOSには誰かよくわからない人の書いた記事が掲載され、職業ジャーナリストの記事と並列で扱われる。普通の人が個人的に書いたつもりのブログがキュレーションアプリによって新聞社の記事と区別なく拡散され多くの人の目に触れる。

面白い状況だと思う。ひとりの意見が世間に知らしめられるのは素晴らしいことではある。

でもおそろしい状況でもある。

何の気なしに書いた記事が、大きな誤解や思い込みを含んでいても、何かのはずみで拡散され新聞社の記事や専門家の意見と同等に読まれ、信じられ、人びとの気持ちや認識に大きな影響を与えてしまうことがある。そんなことを実際に何度も見てきた。

ネットに突然登場した新しいメディアで、記者としての教育も受けず経験もない書き手が、あやふやな情報をかき集めて自分の言いたい方向に歪曲した事実を書いて、これもまっとうな記事として受け止められ、誰かが悪者にされたり批判されたりする、そんなことも日常的に起こってしまっている。

いまやもう、既存のマスメディアも含めて、誰も信じられなくなっている。大新聞だから100%記事を信じたりもせず、さりとてネットの方が実は知見があるとも思えず、記事に接するとまず疑って検証したくなってしまう。何度かおかしな記事を配信したメディアは、もう記事を読もうとしなくなった。一部のマスメディアは相変わらず正義感が強すぎる気がするので、その分を割り引いて受け止めている。メディアごとに受け止め方を変える複雑なリテラシーが頭の中を渦巻き、かえってわけがわからなくなっている。

例えばデータジャーナリズムは、そんな中、必要な方向性なのだろう。ねじ曲がった意図を持つ文章よりも、純粋なデータだけで物事を語る方が真実に近づける気がするからだ。これはジャーナリストの次世代のひとつの解を提示している。

ぼくたちが考えたいのは、そういうことかもしれない。新しい手法や、姿勢や、書き方で、この混とんを乗り超えられないか。そこに、未来のジャーナリズムの有り様が浮き出てくるのではないか。

PC中心だったネットへのアクセスが、スマートフォン中心にシフトすることで、いまメディアをめぐるすべての状況にパラダイムシフトが起こっている。その中で、ジャーナリズムの存在意義にも変化が起こるのなら、もっとも重要な変化なのかもしれない。

ジャーナリズムの外にいるぼくたち読者こそ、そこには注目しなければならないのだと思う。

1月24日のジャーナリズムイノベーションアワードでは、新しいジャーナリズムの姿の片鱗が見えるかもしれない。そんな期待を胸に、多くの人が集まってもらえれば楽しいだろう。

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

※「赤ちゃんにやさしい国へ」のFacebookページはこちら↓

コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

注目記事