【赤ちゃんにやさしい国へ】会社社会主義から子育てコミュニティ主義に世の中を移行させねば(前編)

日本人の人生は、会社にものすごく依存してしまう。

年末に、小室淑恵さんのプレゼンテーション「人口構造から見るゲームチェンジの必要性」―人口ボーナス期から人口オーナス期へ」が話題になっていた。

非常に説得力ある内容で、全面的に納得した。

そしてその論旨は、このブログを書籍化した「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」の最後のほうで書いたこととシンクロしている。

書籍にはこんな図を載せた。いまこうなっちゃってるのを、これからこうした方がいい、というものだ。

まず現状認識。いま、この国がどういう状況かについては、2013年の暮れに書いたこのブログにまとめている。この記事は「赤ちゃんにきびしい国・・・」ほどではないが、かなり読まれて転載されたハフィントンポストでは7000くらい「いいね!」がついた。

ここで書いたことは、簡単にひと言で言うと「会社社会主義」と呼ぶべきものだ。日本のシステムは、会社を軸とした一種の社会主義だったのだ。戦時中、1940年代に戦争のために整えられた制度が戦後もずっと継続している。それは、会社を単位に国民を庇護してその力を国家のために十分引きだすためのものだった。

日本人の人生は、会社にものすごく依存してしまう。

新卒一括採用で入った会社にずっといるのが人生の前提で、30代後半を過ぎると転職のハードルもグッと上がる。そのまま定年まで勤めあげると多額の退職金がもらえて、さらには企業年金まであったりする。長くいるほどインセンティブがあるのだから、いやな事があっても我慢してしまう。我慢強いのではなく、我慢する方が得なのだ。

さらによくないのが、長時間会社にいた方が残業代がついて収入が増える。残業した方がもらえるお金が増えるなら、長くいようとするに決まっている。やることがなくても居残る傾向になるインセンティブが働いているのだ。そのうえ、長く会社にいるとなんだか褒められる。がんばって働いていると言われるし、会社や部署への忠誠心があると受け止められる。

さらに同じ会社にいる一体感を重視する。会社を家族に例えて精神的につながろうとする。毎日長く居て、それを定年まで続けるのだから、どうせなら一緒にいて気持ちいいととらえた方が精神衛生上いいのだ。

さらにさらに、会社は税金の計算をしてくれる。社会保険も代行して払ってくれるしなんだったら住宅ローンも世話してくれる。もう人生の一から十まで面倒見てくれるのだ。この制度に乗っからない方がおかしいというものだ。いいとこづくめ、得だらけ。

ただし、会社が面倒見てくれるのは、人生を会社に"捧げて"くれる人間だけだ。出産した女性は会社より育児を優先するのは当然だと会社は見ているが、ということは捧げてくれないので冷たい。働きたいならそれはそれでいいけど、絶対に出世させないし給料は何らかの理由で安いままだ。どんなに優秀でも、捧げてくれないので評価しない。

男性は夫になり父になっても、相変わらず人生を捧げないといけない。転勤も我慢するし管理職になって残業代がつかなくなっても遅くまで会社にいる。残業する部下を残して帰宅なんかできないし、上位の管理職がやはり捧げる事を求めているからだ。毎晩遅い夫を妻がなじると「お前たちのためなんだ」と怒る。それは言い訳でもあるが、ウソでもない。そうしないと出世できないだけでなく、あの人は忠誠心が足りないと批判されるからだ。

それが会社社会主義の実態だ。

その中で妻はひとりで育児を背負わされる。子育てについては会社のことではないので関心を持ってくれない。ましてや働く女性には、それはあんたの選んだ道だからとすべてを押し付ける。子どもを誰が担うのかは、会社には関係ない事だ。

会社がすべての中心なので、会社が育児を担うつもりがないと子どもが減る。少子化の真実はそういうことだと思う。

だったら会社が育児の面倒も見るべきだろうか。それに越したことはないし、今後、会社は育休産休を充実させるだろう。それも会社にとってプラスだと気づきはじめたからだ。男性の育休もこれからは積極的になるし、大企業だけでなく中小企業にも波及すると思う。

会社が育児の面倒まで見てくれるならいちばんだね。・・・そうだろうか。それはいいことに違いないが、解決策だとは思わない。それより、会社が人生を決めてしまうことのイビツさから、ぼくたちはもう離れていくべきだと思う。なぜならば、これからの会社は人生の最後まで続かないだろうから。そこに人生を預けるとかえって大変なことになる。

ぼくたちは、会社と人生を切り離すべきなのだ。会社が人生のすべてになり、税金の計算までしてくれるのはそもそも、おかしかったのだ。それに会社と人生がべったりな社会は変化できない。いまの日本はまさにそうだ。身動きが取れない。会社がいろんなものを背負いすぎていて、ヘタに動くと大勢の人生が大変なことになるからだ。

流動的になった方がいい。個人も、事業体も、流動的になって、仕事はちょくちょく移るし、会社も生き長らえようとするよりダメになったらすぱっと買収されたり解散したりできた方がいい。

会社ってのはたんに収入を得るためのシステムに過ぎないのだ。もちろんそこには自己実現もある。達成感がある。能力が磨かれたり、チームワークがもたらす高揚もあったりする。だからと言ってそれのみにならなくていい、ということだ。ぼくたちは会社に重きを置きすぎ、ともすると自分より会社を大事にしてきた。そういうとらえ方はもうやめたほうがいい。

会社社会主義の説明を書いていたら、長くなってしまったので、後編に続く。

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コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

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