もう消費者なんていない時代に、広告は広告でいいのだろうか。

リーマンショックと東日本大震災はメディア界に何をもたらしたのか。これまでのメディアを支えていた人びとの心持ちをひっくり返してしまったのだとぼくは思う。それは"消費"というひとつの文化を、この国からなくしてしまったことだ。日本にはもう消費者なんていないのだ。

こちらハフィントンポストで記事を書かせてもらうことになったので、記念すべき第一回目の原稿は、オリジナルなものを張り切って書いてみる。

ぼくは広告に携わりながら、2000年頃からメディアの未来をずっと考えてきた人間だ。どうやらデジタル化で、これまでと同じやり方では済まなくなってきそうだし、しかもそれはこれまでのメディア界にとって危機になりそうな予感がしていたからだ。

2000年代後半に、予感していた危機は現実のものとなった。だがその危機はデジタルが直接もたらしたのではなく、リーマンショックという思わぬ方向からやって来たものだった。08年から09年にかけて広告費が急減し、メディア界は大混乱となった。さらに2011年の東日本大震災は、人びとの、そしてメディア界の基本的な"気分"を大きく変えてしまった。変化した気分の受皿として、結果的にインターネットが機能していった。今年になって震災の混乱からようやく立ち直ってきた。だがどうもメディア界はこれまでの姿を取り戻すのではなく、新しい姿に向かって再構成しはじめているように思える。

リーマンショックと東日本大震災はメディア界に何をもたらしたのか。これまでのメディアを支えていた人びとの心持ちをひっくり返してしまったのだとぼくは思う。それは"消費"というひとつの文化を、この国からなくしてしまったことだ。日本にはもう消費者なんていないのだ。

メディアについて語る時、マスゴミだとか、面白くなくなったとか、そういう内容や姿勢の話になりがちだ。だがメディアとは、消費喚起システムなのだ。

(編集部注:左軸は名目GDPを示し単位は10億円、右軸はテレビ広告費を示し単位は1億円)

これは日本の名目GDPとテレビ広告費のグラフを強引に重ね合わせたものだ。1985年から2012年まで、バブルが弾けたあとにテレビ広告費の水準が少々落ち込んだ以外はほとんどまったくリンクしている。

テレビとは消費喚起のシステムであり、その収入は経済動向に強く左右されてきたのだ。

そしてこれからメディア界が新しい姿に向かうとしたらそれは、消費者のいない日本社会への対応であり、つまりは消費喚起システムそのものの見直しにならざるをえない。

例えばGDPが右肩上がりを続けた時代、上のグラフでいうと80年代90年代、ぼくたちは消費に対していまと比べられないぐらい前向きだった。給料が出たらおいしいものを食べ、ボーナスが出たら新しい家電やクルマを買い、長期休暇には海外旅行に出かけた。そうするものだと思い込んでいたし、消費こそが人生の楽しさだと思っていた。

だがそんな積極的な"消費者"はこの国にはもういなくなってしまった。

そもそも"消費"という言葉はなんて刹那的だろう。消えて費やす。なんだか何も残らないみたいだ。実際、消費をしても大したものは残らない。家を買うとローンが残りはするけれど。なんとも虚しい行為が消費だったのだ。

そして広告は消費に対応していた。消費させるためにあの手この手で人びとを誘う、それが広告の役割だった。メディアとは消費喚起装置に過ぎないし、そこに載せるコンテンツ制作とは、広告に人びとを寄せ集める誘蛾灯みたいなものだった。

もう消費者はいない。その代わりに、生きようとする人びとがいる。彼らはもう、90年代までのようにどんどん消費しようなんて思わない。お金を使う一回ごとに真剣に考える。検討する。比較する。話しあう。

そんな人びとに対し、消費を喚起するだけの広告が有効なはずはない。広告はソーシャル化する必要があるのだと思う。考え、検討して買うかどうか決める人びとにソーシャルメディアは機能するはずだ。だとしたらそれは、もう広告とは呼べないのではないだろうか。

広告ではない広告を、ぼくたちはどう捉え、何と呼ぶか。それがはっきりするのは、さほど遠い先のことではない気がする。

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