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働くことを時間"だけ"で捉えるのはもうやめていいと思う〜残業代ゼロ制度の議論について〜

2014年04月24日 20時16分 JST | 更新 2014年06月24日 18時12分 JST

「残業代ゼロ」にする制度が産業競争力会議から案として出てきたことが報道された。ぼくはこの記事の「残業代ゼロ」という見出しの立て方を見て、ああまたかとげんなりした。2000年代半ばにも「ホワイトカラーエグゼンプション」の呼び名で議論にのぼり、「これは残業代ゼロ法案だ!」と感情的な反対論が出てきて消えていったのだ。

もちろん手放しで大賛成と言うつもりはない。慎重に議論して、人件費減らしの手段に乱用されないような周到な縛りは必要だろう。だが、残業代を無くそうとしている!とそこだけクローズアップしても議論にさえならない。せっかく働き方を見直す機会にできるかもしれないのに、議論にさえならないのは残念でならないのだ。

この制度の本質は、「時間で捉えられない職種ってあるんじゃない?何時から何時までと決める必要がない働き方もあっていいんじゃない?そういう場合は"残業"という概念がなくなるかもね」という考え方なのだ。残業代ゼロは制度の結果であって目標ではない。なのに「残業代ゼロ制度だ!」と言ってしまうのは本質を見ようとしていない、一種の思考停止だ。

そう思ってたら、コンサルタントの大西宏さんがぼくがもやもや感じていたことを力強く明解に書いてくれていた。

「残業代ゼロ」を強調する朝日新聞に欠けているもの

大いに啓発されるものがあり、強く共感したので、ぼくなりにも少し書いておこうと思う。

とにかくぼくたちは、時間に縛られる働き方から脱却することを強く意識すべきなのだ。そしてそれは、このところ書いている、赤ちゃんにやさしい国にしていくこととも大いに関わる。自分で時間をコントロールする働き方をする人が増えれば、ワーキングママは子育てとの両立がしやすくなるし、イクメンは育児に時間を費やせる。大西さんも、これにちかいことを書いている。

そもそもぼくたちは、どうして決まった時間に一度に出社しなければならないのだろう。首都圏だととくにあの信じられない殺人的な通勤電車に乗って、8時だか8時半だか9時だかになぜ会社に到着せねばならないのか。5分でも遅れたら、なぜ鉄道遅延証明書とともに遅刻届を出さねばならないのか。会社によっては、よくよく考えると、そんな必要はないのかもしれない。かもしれないのに、たんに「そう決まっているから」とか「ずっとそうだったから」とか「会社とはそういうものだから」とか、そんな理由で続けてきたのではないか?

これは前に「日本の普通は、実は昭和の普通にすぎない」で書いたことと非常に重なることなのだ。定時に出社し、その度に満員電車に揉まれるのは、昭和の普通にすぎない。

なぜならば、昭和は製造業の時代だったからだ。

労働を時間で捉えるのは、製造業の考え方なのだ。もっと言うと、工場の考え方なのだ。製造業ではだから、今後も働き方を時間で捉えざるをえないかもしれない。でも製造業の同じ会社でもデスクワークなら、時間で捉える必要はないのだ。だからホワイトカラーエグゼンプションと呼ぶわけだ。

さらには、非製造業ならばますます、時間じゃないかもしれない。例えばお店でサービスを提供する業種だと、お店で働く人は時間で捉えるべきだろう。工場じゃなくても、単純作業を業務にしているなら、時間で捉えることになるだろう。でもそうじゃない職種や部署はたくさんある。そういう働き方の人は、時間から解放されていいのではないだろうか。

ぼくはフリーランスでふらふら生きている人間だが、一時期ある会社で経営企画をやっていた。会社の業績を部門別に見るために、ひとつひとつの業務に対して原価を割り振っていき、収益性を見える化する体系を作った。

映像制作会社だったので、ひとつひとつの制作案件の売上に対して経費をひもづけるやり方を、経理の人間と整えた。その時、ひとつの売上案件に対してかかる経費を、「製造原価」とExcel上で表記していた。「なんで製造なの?映像制作は製造じゃないだろ?」「うーん、でも会計用語としては製造じゃなくても製造原価と呼ぶことになってるんですよ」ぼくは大変びっくりした。「だって製造って工場でやる作業のことじゃないの?」「まあ、そうですねえ・・・」

さらに、売上案件に対してかかった人件費もひもづけていく。これを「労務費」と呼ぶというのだ。「労務って・・・なんかいやいややらされてる肉体労働みたいじゃないか」「うーん、でもこれも、会計用語としては労務費と決まってるんですよ」

製造原価。労務費。なんて哀しいコトバだろう。そんな女工哀史みたいなコトバでは楽しく仕事できない気がした。

この時、ぼくは痛感したのだ。日本の会計の体系は、製造業がベースになっている!

そして働き方も、その捉え方も、製造業ベースだ。"工数"と言うでしょ?どれくらいの手間がかかるかも"工数"と呼ぶ。なんだそりゃ?IT企業がプログラミングを完成させるのも、工数。そして労務費。工具なんか使ってないじゃないか。

働いている世界がほんとうにつまらない、グレーなものに見えてくる。映像制作って夢をつくる仕事のはずなのに。

なぜだか、会社という場では"時間"がルールやモラルのひとつの軸になっている。朝は定時に出社する。日本中の会社が定時で出社を求めるから、ラッシュアワーが発生する。

もっと哀しいのが残業だ。残業は褒められる。よく働くなあ、ご苦労さま、とねぎらわれる。残業代ゼロにされるのをどうのこうの言う前に、毎日就業時間に帰る者より、毎日終電まで働く者がなーんだか評価される、働き者だなあとか言われる、その空気の方がよほどおかしい。

さらに情けないのは、時間で縛るわりに、時間の使い方はルーズだ。会議が多い。会議のために定時で出社することになるのだが、会議の内容自体は空虚だったりする。メールで済むようなことだったり。いまはワークウェアが多様に整っているので、もっと合理的なやり方はいくらでもあるはずなのに。

残業の時間も、残業と言いつつ、ムダに会社に残っているだけのことも多い。上司がまだいるからとか、同僚がまだ作業が残っているからとか、そんな時には「一緒に付き合って残るのが部下だろう仲間だろう」という空気が醸し出される。

働いてなくても、成果を出せてなくても、会社にいれば働いている気になる。働いている気になれないと「今月も頑張りました!」と胸を張って言いにくいから、なんとなく会社にいる。そしてほんとうに驚くべきなのは、なんとなく会社にいると上司が「頑張ってるな!」と褒めてくれるのだ。

日本人が勤勉だ、というのはその通りだと思うが、でもその勤勉さの半分くらいはムダな時間に費やされている気がする。勤勉だから真面目だから、と言うよりむしろ、勤勉だと周囲に感じてもらうために無理して会社にいる。ちゃんとやってるのか?と言われないために、不安だから、会社にいる。そんな働き方になってないだろうか。そんな不安のために家族との時間が失われてしまうのなら、それは哀しいことだと思う。

ぼくたちはいま、働き方と時間の関係を、見つめ直すタイミングなのだ。それは製造業重視の産業構造を見直すことでもあり、ワークライフバランスという概念を頭の中に導入することでもある。その一環としてなら、ホワイトカラーエグゼンプションの議論は前向きに受け止めるべきなのだ。「残業代ゼロに反対!」と叫んでも、前へは進めないのだとぼくは思う。

コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント

境 治

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