「帝国の慰安婦」刑事訴訟 公判記4

法廷でのやりとりは本の趣旨を狭める行為だった。もちろんそれは私が始めたことではない。

11月8日に4回目の公判があった。今回は私と弁護人が提出した書証(主張の根拠を表す資料)を説明する番だった。しかし時間が充分ではなく、5月に提出した43の証拠資料についての説明しかできなかった。ひとつの文書の中でいくつかの資料を示した場合もひとつにまとめたため、実際にはさらに多い。結局参考資料として提出した150あまりの文書については個別に説明できなかった。ペ・チュニさんと交わした会話の映像と起こしたものも参考資料として提出した。

私の本が虚偽ではないことを主張するには協力や自発性自体を主張しなければならなかったため、今回の公判は特に気が重かった。私の本はそうしたことを強調するためのものではなかったからだ。法廷でのやりとりは本の趣旨を狭める行為だった。もちろんそれは私が始めたことではない。

私は、朝鮮人慰安婦問題をめぐる状況を理解しやすいように、資料を時代順に準備した。

日本人慰安婦の資料を最初に持ってきたのはそのためである。そして30年代の人身売買をめぐる状況、40年代の総力戦体制の中で「愛国」の構造が作られていく状況に関する資料をおいた。同時代の軍人や慰安所管理人など周辺の人たち、そして周辺人を尋問した米軍の資料。そして戦後(解放後)の資料と「問題」化された90年代以降の資料をおき、最後に学者たちの意見を追加した。

時間が不十分で裁判所で言えなかったことも、簡単ながら括弧の中に「補足」と記して追加しておいた。

弁護人:貧しい女性が売春業に従事したという事実がクマラスワミ報告書、ICJ勧告書にも出てくる。クマラスワミ報告書には村長が工場の働き口を約束し、また家が貧しくて受け入れたという話が出てくるし、ICJ勧告書でも慰安婦のほとんどは「貧しい小作農家出身」だとしている。また、千田夏光の本では日本軍慰安婦問題が呈する植民地支配問題、家父長制の問題を正確に見ることができないと原告側の告訴補充書に書かれているが、このような問題を指摘したのはまさに被告人だ。その意味では告訴補充書の内容と被告人の『帝国の慰安婦』の内容に大差はない。近代公娼制のもとで形づくられた女性の人身売買メカニズムと農村経済の疲弊から始まった貧困な社会が「慰安婦」動員の背景になったのだ。

それなのになぜ「慰安婦は自発的に行った」と被告人が話したと主張できるのか?検事の論旨ならば慰安婦と「売春」を連係させて言及したクマラスワミはもちろん、政府委員会報告書の作成者、原告側代理人さえこの場に立たなければならない。

検事:『帝国の慰安婦』にはそのように書かれている。

弁護人:起訴内容12番にある「強姦的売春、売春的強姦」の意味は「慰安」とは、売春と強姦の両方が含まれるということだ。クマラスワミ報告書にも「対価として金を受け取ったり、金の代わりに伝票を受けとったりした。戦争が突然終わって自分や家族の食いぶちを稼ぐという希望も意味がなくなってしまった」という慰安婦の証言が引用されている。マクドゥーガル報告書には「性的奴隷には強制売春のほとんどすべての形が含まれる」と書かれている。そして強制売春についても「名誉と尊厳を深く傷つける行為」だと認めた。「戦争法に違反した強制売春、強制強姦」などの表現が出てくる。

また、検察が証拠資料として提出した政府刊行証言集『聞こえますか? 12人の少女の話』にも収益に関する部分が明確に出てくる。ICJ報告書には最初から料金表まで出ている。

裁判官:整理すると弁護人の主張は、『帝国の慰安婦』に出てくる売春、強姦の混用表現がこの本だけではなく、クマラスワミ、マクドゥーガルなどさまざまな国際報告書にも出てくるというものだ。

検事:この本には「慰安婦を否定する人々は慰安婦を売春とだけ考え、私たちは強姦とだけ考えた。しかしそのふたつの要素の両方が含まれていた」という文章が記されている。慰安は売春と強姦のふたつの要素を含んでいるということだ。「慰安」にどんな売春的要素が含まれていたというのか。

弁護人:日本軍は慰安婦を管理売春の形で運営した。その指摘が誤ったものだという話か?

検事:日本軍が体系的な料金・労働時間を策定して慰安婦制度を初めから徹底的に計画・管理していた。弁護人が言った報告書の趣旨は、むしろそれだけ体系的に管理して反人道的な罪を犯したという趣旨に理解される。報告書は売春として認知したという趣旨のものではない。

裁判官:いずれにせよマクドゥーガル報告書にも強制売春という表現が出てくるのではないのか?

検事:慰安婦になったのは自発的なのでなく本人意思に反して、詐欺や誘引という方法によるものだった。これが中心にある。ところがこの本はその事実を否定している。この本で売春も慰安のふたつの要素の中のひとつと書いたのは、慰安は売春であり自発性に基づいたものだという意味だ。これが問題だということだ。

弁護人:被告人が慰安婦の性的奴隷性を否定したということか?しかし被告人は本にこのように書いている。「もちろん慰安婦は自分の体の主ではなかったという点で性的奴隷であることに間違いはない。植民地になった国の民として、日本国民の動員や募集を構造的に拒否できなかった。精神的な自由や権利を奪われたという点では明らかに奴隷だった。彼女たちが総体的な被害者だったことは間違いない」。被告人は性的奴隷性を否定していない。

検事:慰安婦は自発的に行ったのではない。本人の意思に反して行ったものだ。ところで被告人が言う性的奴隷というのは慰安所での生活を指すものだ。私が言う性的奴隷とは本質的に違う。むりやり連れてこられたという話がこの本のどこにあるか?296ページを見てみよう。「自発的売春婦という記憶を否定」。それは私たちが熱心に否定してきたということではないのか?

弁護人:「根本的に売春という枠組みの中にあったとのことを知っていたのだ」という部分も起訴対象になったが、この部分はクマラスワミ報告に対して言及しただけだ。女性たちが騙されて性的奴隷になったということだ。

性的奴隷性を主張したいのなら検察の主張と結局違わない。

起訴された30番を見てみよう。「朝鮮人慰安婦とは、このようにして朝鮮や中国の女性たちが日本の公娼制度に組み入れられたものだ」。この部分も他の学者の言葉を引用した部分なのに起訴された。韓国政府傘下の委員会報告書や発刊書でも、公娼制に組み入れられたという形で、同じ趣旨で説明している。

検事:ならば慰安婦制度は合法か?違う、違法だ。それなのに今このように同じように扱っていたから、名誉を傷つけたと主張している。

裁判官:当時、日本帝国下で公娼は合法だったとわかっている。慰安婦の場合はどうなのか?

検事:当時の国際法上違法だ。(裁判官:では日本の法律上は?)

多くの学者が、日本で未成年者の売春は法律で禁じており、慰安婦には未成年者が多かったため違法だと考えている。

裁判官:慰安婦が違法な制度ということは被告も検事も認めている部分だ。検察は、慰安婦は合法制度ではないのにその制度に慰安婦を組み入れたとの主張だ。

弁護人:合法か違法かがなぜ問題になるのか理解できない。本には「自発的な売春婦というイメージを私たちが否定してきたことは、やはりそのような欲望の記憶と無関係ではない」と書いてある。しかしクマラワスミ報告書を見ると、(1)すでに売春婦であり自発的に仕事をしようと思う女性や少女、(2)食堂や軍人のために料理や洗濯をして高い報酬がもらえる働き口を提供するという術策に騙されて来た女性たち、(3)大規模な強制的・暴力的女性拉致、このように多くのいきさつがあったと書かれている。

慰安婦のイメージを否定してきたという文章はいろいろに解釈できる。何よりこの部分は明らかな引用だ。「彼ら(日本の右翼)が主張する自発的な売春婦」というイメージ。そして私たちが自発的売春婦というイメージを否定してきたことははっきりした事実であるとも解釈することができる。このようにさまざまに解釈できる文章をひたすら「被告人が自発的売春婦だと主張した」ということこそ恣意的なものだ。このような形ならば、クマラスワミ、マクドゥーガル、告訴補充書、さらには各種委員会が発刊した冊子、慰安婦のかたの証言書、これらすべてから部分的に抜粋してあなたの趣旨は売春強調ではないかと言いながら名誉毀損の疑いをかけることができる。

検事:これが引用だという証拠があるのか? 脚注もない。引用したのならば、どこから引用したのか書かなければならない。そしてこの本にはそのように書かれていないが、他の引用には括弧の中に文献名とページが書いている。検察の1人がこの本に問題があると言っているのではない。この本が出た後、多くの歴史学者や研究者が額を突き合わせて討論し出版された本があるが読んだのか?

朴裕河:この部分はまとめのところだ。つまり前に話した内容を振り返ったもので、以前の部分に出てくる「自発性の構造」という節の内容を反芻している。言ってみればその部分の内容を持ってきた部分だったため引用符を打った。文献引用は前の部分にある。

名誉毀損になるならば対象が特定されるべきだが、検察は声を上げた人の数が少なく特定されると言い、女性家族省にある資料に生存している慰安婦の方の名前が出ているとも言った。しかし、その中には偽名を使った方もいらっしゃる。支援団体が出した証言集も同じだ。つまり特定などされない。

韓国挺身隊問題対策協議会が一昨年だったかにソウル市の支援を受けて作った慰安婦問題関連の大学生イベントのポスターには「20万人の朝鮮の少女が連れていかれて、2万人あまりが虐殺され、二百数十人だけが帰ってきた」と書かれている。私は慰安婦の経験をした朝鮮人全体を対象に本を書いた。中でも特に感情移入したのは、戦地で亡くなった方々だった。生き残って声を上げた人だけが被害者であるわけではなく、支援団体の主張によれば20万人にもなるのに、本に書いた話が特定の誰かであるとどうして言えるのか。

昨年日本で『日本人「慰安婦」』という本が出た。サブタイトルは「愛国心と人身売買と」だ。編者は「戦争と女性への暴力」リサーチアクションセンターという、慰安婦問題解決のために永らく努力してきた支援団体だ。日本人慰安婦問題はこれまでとりあげられなかったが、遅ればせながら問題化され始めた。

重要なのは、サブタイトルにあるように慰安婦をめぐって「人身売買と愛国」の枠組みが中心だったという事実が認識され始めたという点だ。表紙には「『売春婦』なら被害者ではないのか?」とも書かれている。まさにこれが私の問題意識でもあった。検察は「売春婦」という言葉に非難を込めて言う。私の本でその単語は引用であるだけだが、何より検察が言うその意味での「売春婦」という言葉は使わなかった。

強制性に関しても、「公的では」なかったと書いた趣旨は、日本軍は慰安所を作って管理もしたが、拉致や術策まで使って連れてこさせたのは日本の公式方針ではなかったという意味だ。

現場に到着した時、幼すぎる子は業者に送り返させたという証言が存在している。よそに就職させたという資料もある。その場合、業者を処罰しなかったのが問題だと言う学者もいるが、業者に制裁を加えなかったと記されているわけでもなく、慰安婦の実質的雇い主は金を与えて買ってきた業者だったのだから、制裁にも限界がありえただろう。植民地や本土の誘拐現場を取り締まるのとは異なる状況と考えなければならない。

そして私はそのような黙認も含めて責任を問うた。私が強調したのは「日本軍による物理的強制連行」が決して慰安婦動員の中心となったのではないということだった。

検事:21才以下は中国などでの移動を許可しなかった。しかしそのような取り締まりは日本本土だけで適用され、植民地では違った。多くの学者がこの本を批判した。

朴裕河:通牒文が植民地で発見されていないからといって、存在しなかったという証拠はない。実際に植民地警察も誘拐などを取り締まっていた。そのような資料は強制性を主張する日本の学者も見ていない可能性が高い。私は25年前に慰安婦の方に会い、10年前に慰安婦問題について本を書いた。検事は短時間で猛勉強されたようだが、知らないことが相変らず多い。それなのに既存の研究や支援団体の話だけを信じるのはなぜなのか? 多くの学者がこの本を批判したと言うが、批判者のうちに慰安婦問題の研究者は少ない。つまり実際の資料に接した人たちではない。私のために証人になると言ってくれている歴史学者もいないわけではない。検察と、両方とも証人を採択しないことにしたのでお願いしなかっただけだ。

検事:被告人は「自発的な売春婦」の引用符が引用の印だと言ったが、その部分の引用符はシングルクォートだ。被告人は他の引用にはダブルクォートを使っていた。だから引用ではなく強調だ。

裁判官:シングルクォートは引用する時も強調する時も使う。検察は引用ではないと言い、被告は引用だという。見解の違いがあるのでこれは判断に任せる問題だろう。

弁護人:では証拠資料に対して説明する。まず証拠第1号、『マリヤの賛歌』。日本人慰安婦が書いた手記だ。日本人も人身売買の枠組みの中にあったことがわかるように提出した。「2,500円貸してもらい、それで神楽坂の借金を返して700円を父にあげて台湾に渡った」と書いてある。

もうひとつの資料は同じ本から抜粋したものだが、日本人女性も一日に何人もの軍人を相手にしたという事実がわかる。被告人が「慰安婦の苦痛は日本人の娼妓と異ならない」と書いた部分についての補足説明資料だ。「1人の女に10人も15人もたかるありさまは、まるで獣と獣との戦いでした」と書いてある。

検事:証拠第1号は日本人慰安婦についての内容であり、この事件の起訴内容とは関係ない。『マリヤの賛歌』が発刊されたのは1971年だ。91年8月の金学順さんの陳述後について書かれたのが『帝国の慰安婦』だ。起訴内容とは無関係だ。

判事:「日本人の娼妓」という起訴箇所に関係する部分であり、差し支えない。

弁護人:証拠2『赤い瓦の家』。日本軍慰安婦になった韓国人女性の話だ。植民地を船で離れる時、日本人女性が2人いたと記している。朝鮮半島に住んでいだ日本人女性も慰安婦になっていたことがわかるように提出した。植民地といっても「日本帝国」の国民になっている以上、軍人が強制的にひっぱていくことができる構造ではなかった。

検事:日本の売春婦は性病感染者が少なくなかった。だから朝鮮人女性がたくさん連れて行かれた。日本の娼妓の一部は金を稼ぐために自発的に慰安婦になった。

(補足:日本人女性でも貧しい家の少女が朝鮮に売られてくることもあった。彼女たちも慰安婦になった。そのような存在が見過ごされている。朝鮮人の少女ももちろん多かったが、結婚して子どもがいる女性もいた。植民地は純潔でなければならないという強迫観念が作った考えだ。当時、朝鮮社会は性病が蔓延して深刻な問題にもなった)

朝鮮人慰安婦と日本人慰安婦は待遇に差があり、直接差別されたりもしたが、家父長制下の貧しい女性だったため動員された構造は同じだった。

裁判官:被告人は避けられない状況でなければ発言しないように。弁論は原則的に弁護人がしなければならない。

弁護人:証拠第3号1、2、3は慰安婦動員が主に人身売買によって成りたち、後半には14才以上40才までの400万人が国家のための勤労奉仕隊などさまざまな名前で総動員されたことがわかる資料だ。この時、遊郭の娼妓まで愛国青年団に加入させられるなど、愛国を強要された。

職業紹介所が騙して送り出した情況、そんな職業紹介所を警察が取り締まった状況、許可を規制しようとする状況などがわかる。植民地の日本人女性も一緒にしたし、「病院船」で仕事をしなければならなかった状況も出てくる。

3-3は、当時の人々が「満州」を夢の地と考えて移住しようとしたことがわかる資料だ。そのような枠組みの中で業者が人身売買などによって女性を集めて連れていった。もちろん依頼を受けた場合もあるが、受ける前から動いていた人々もいる。

当時も詐欺などによる人身売買は処罰された。被告人は戦争を起こして植民地の貧しい女性たちが戦地に動員されたことが植民地化の結果だと考え、そのような情況も構造的強制性だとした。業者への処罰が必要だとしたのは、当時も詐欺による人身売買は違法であり処罰されたからだ。軍の介入自体は充分に述べた。

第4号はペ・チュニさんの映像だ。エプロン(割烹着)をつけて軍人のために千人針を縫ってもらいなどしたことを話し、慰安婦は「軍人を世話する存在」とも言った。

第5号の『聞こえますか?』にも、同じように物理的拉致の主体が日本軍ではなく誘拐犯だという事実が多く記されている。両親のためにこっそり慰安婦になったり、紹介業者を通じてなったりしたケースも多い。紹介所が洗濯婦だと嘘をついた場合もある。

検事:人身売買で来ても黙認した場合が多かった。

裁判官:日本軍が人身売買であるとわかっていて黙認したのか、それとも知らなかったがとにかく慰安婦が必要だったから引き受けたのか?

弁護人:『帝国の慰安婦』には、日本軍は黙認していたしその責任を負わなければならないと記されている。

裁判官:結局、憲兵が来て直接捕まえて行ったのではないから物理的強制性はなく、黙認したことについては責任があると主張したと考えればいいのか?(被告人を見る)

朴裕河:そうだ。しかし、部隊ごとにその処遇には違いがあり、さまざまなケースがあったと考える。軍が管理したというのは、業者を通じて部隊に来た時に業者が契約書を両親から受け取ったのかを確認するのが原則であったという話だ。騙されたと泣く場合は他の所に就職させたり、幼すぎれば送り返したりした場合もあるが、だからといってすべての部隊がそのようなケースで送り返したはいえない。公式的な規律では業者に契約書を確認させた事実があることをいえるだけだ。

裁判官:20万人の慰安婦がいる。8万なのか20万なのかわからないが、その場合は原則通りにしなかったケースだが、原則が守られなかったケースの方が多いのか確認されているのか?

朴裕河:それは確認しえない。

弁護人:『奪われた青春、戻ってこない魂』という証言集には「3~40代に見える男が来て、お腹いっぱいなれるし良い靴もくれる所を教えてあげるからついて来いと言った」と書いてある。行ってみると旅館に農民の娘が14~15人いたという。何のためにどこに連れて行かれるのかもわからずに。錠前がかかっていて逃げられもせず。現場に到着するとカーキ色の軍服を来てゲートルを巻いた3人の日本軍人が待っており、中国の上海駅に行ったなどの話がある。経済的に厳しい農民の娘を対象に慰安婦が集められていたことがわかる。

検事:この話はむしろ強制的に慰安婦が集められ、軍人が募集過程に加担していたと考えなければならない。強制動員、強制連行の主体は日本軍だ。それが歴史的事実だ。しかしこの事件図書には強制動員、連行の主体が決して日本軍でないと叙述されている。

弁護人:物理的主体が日本軍だということか?

検事:物理的、構造的主体すべて日本軍だ。

裁判官:起訴内容を見ると、日本軍や国家が強制連行を指示したと考える証拠はないという立場だ。業者がどのように連れてこようが、これを黙認したことに対する責任はあっても...日本国が強制連行と言って連れてきたという証拠がないというのだから。

弁護人:第7号の1-3。以下は『強制的に連行された日本軍慰安婦』という韓国挺身隊問題対策協議会が作った証言集だ。慰安婦が国防婦人会に加入して協力を強要された状況が出てくる。たすきをかけて帽子をかぶり兵士を見送ったり訓練を受けたりした。皇国臣民の誓詞を覚えなければならず、君が代を歌い防空演習や看護活動もした。「中に入って階級の高い人に会った。朝鮮に行きたいと言った。看護婦が足りないから行くかと聞かれた。看護婦は3階で寝た」。性労働以外の戦争協力を強要されたという話で、強要された愛国、強要された協力についての証言資料だ。

検事:この証言集に朝鮮に送ったと出てくる。しかしその前に新しい朝鮮人女性が補充されてきたという内容がある。

動員では日本人が連れていった場合も多い。9-3には銃剣を突きつけて聞き取れない日本語を叫びむりやりトラックに乗せられ連れていかれたと出てくる。これは直接的にむりやり連行されたということだ。(呂福実のケース)

弁護人:被告人は本に「軍人や憲兵に連れて行かれた場合もある」と明示した。ただしその場合は個人的逸脱と考えなければならないとしただけだ。

朴裕河:現在の学界の理解では、占領地では強制連行もありえるが植民地ではそのような理由がないというのが中心だ。学界や関係者ならばみな知っている話が一般人に知られていなかっただけだ。私がした話は、日本軍が募集と管理はしたが手段や方法を選ばず連れてこいとは言わなかったという意味だ。もちろん軍人が強制的に連れていったケースを完全に排除はできないが、その場合は個人的逸脱としなければならない。植民地といっても表面的には国民のひとりであり、強制的に連行するのは違法だからだ。軍人だと話す場合は証言の中ではむしろ少数で、その場合も軍服を着た業者だった可能性が高いと考える。

(補足-もちろん本当に軍人が一緒に来ることもあるがその場合、むしろ形式的にはより志願の形が目立つような情況が『女の兵器』に見られる。それがまさに植民地統治の方式だ)

裁判官:業者が軍服を着ていたかもしれない。個人の逸脱であることもある。業者が軍服を着ていたという資料はあるか?

朴裕河:業者が軍服を着ていたとみられる資料がある。今後提出する。

(補足:7-4では慰問団に参加した女性の証言が出てくる。それによると慰問団には日本人女性もいた。この証言も朝鮮半島での強制連行が常識的にはありえなかったという証拠だ。

8号証は料金表などの慰安所の規則だ。負傷兵の世話をし、洗濯をし、戦場に見送った話が出てきて、入院した慰安婦を軍人が見舞いに来た話もある。9-1では慰安婦生活の後軍需工場を営んだ女性の話も出てくるが、慰安所での行為を利敵行為と思い、そこでの経験は話さなかったという。9-2には、朝鮮から出て行った日本人女性の話があり、9-3、4にも慰安所での、これまでの常識とは異なる状況が記されている)

弁護人:10号証「強制連行された朝鮮人軍慰安婦ら4」には「国のために行った」という証言が出ている。だから補償しなければならないと。「朝鮮が貧しくて出稼ぎに」行かなければならなかったという話も出てくる。

検事:「国のために」という言葉は日本帝国のために、という意味ではない。当時は(朝鮮人にとって)国なんてなかったのだから。

弁護人:11号証と同様の証言集5冊だ。慰安所の状況を知ることができる。

検事:証言集はむしろ分かりやすくまとめられている。これまでの研究によると軍慰安所はその形態によって軍直営営慰安所、軍専用の慰安所、一般の慰安所のうち軍も利用する慰安所三つに分けられる。軍直営の慰安所、形式上は民間業者が経営しているが軍が管理・統制を担う慰安所、第三は軍が指定した慰安所だ。この吉見義明教授の定義は非常に適切だ。形式上は民間業者が経営しているが、軍が管理・統制する軍人軍属専用の慰安所だった。

(補足:12号『海南島に連行された朝鮮人の性奴隷に対する真相調査』は韓国政府傘下の委員会が作ったもので、日本軍にいた朝鮮人の証言が収録されている。朝鮮人慰安婦が軍人たちより年上だったため「お姉さん」と呼んでいたという話が出てくる。ほとんどが日本人女性だったことや日本人女性の方が朝鮮人女性より若かったなどといった話も出てくる。このような話はごく一部だろうが、かといって無視すべき理由はない。場所や時期によって数多くのいろいろなケースがあったと考えねばならない。

13号証は『日本軍慰安所の管理人の日記』という本だ。慰安所経営に慰安婦の「酌婦許可書」、「就業許可書」、「廃業許可書」が必要で、その書類を軍に提出しなければならなかったということが分かる。慰安所の業者らは共に組合を作ったり、慰安婦に代わって朝鮮に送金したりもした。

慰安婦には移動の自由があり「女性青年隊」として応急処置法を学ぶなど、協力を強要した話も出てくる。)

弁護人:14号証は日本軍にいた朝鮮人が書いた本だ。慰安所に関する内容で翻訳した部分を見ると、慰安所の名前が「愛国奉仕館」だった。日本軍が慰安所の役割を軍人の戦闘力向上を促すものと捉え「愛国」いう名前をつけた、という証拠だ。

15号証は日本植民地時代の作家崔明翊が書いた「張三李四」という短編だ。小説だが、朝鮮人の業者が自主的に日本軍を追って慰安所を運営していたことがわかる。「従軍」したのはむしろ業者の方だった。

検事:「愛国」は起訴内容の一つだ。慰安婦とは愛国心のある同志的関係だった、国のために喜んで行った、たすきをかけた。このように書かれているが、これはすべて朝鮮人についてではなく日本人慰安婦の内面を書いたものだ。この本では何の根拠もなく日本人慰安婦が朝鮮人慰安婦と同じレベルで描かれている。慰安婦たちは自身をつまらない存在だと認識していたが、国家のために奉仕するという自負心を持つようになったという話だ。この本では何の根拠もないが日本人も韓国人も慰安婦は同等で同志的関係だったとしている。

弁護人:本のその部分が日本人慰安婦についての記述であったことは被告人自身が本に明示している。しかしそれ以前の部分で、朝鮮人慰安婦が洗濯し看護したという証言を引用しており、「朝鮮人慰安婦も基本的な待遇は同じであったとしなければならない。そうでなければ敗戦前後の慰安婦が負傷兵の看護をして洗濯、縫い物をしていた背景を理解することができない。朝鮮人慰安婦たちもサユリなどと呼ばれた。『日本人』の代わりになる仕事...」この部分は朝鮮人慰安婦に与えられた役割が日本の慰安婦と同じであったということを表している。しかし同時に「『偽りの愛国』と『慰安』に没頭することが彼女たちにできたたった一つの選択だった」と書いたのだ。

構造的には日本人慰安婦と同じ境遇に置かれていたが、日本人慰安婦とは違ったことについてもはっきりと話している。

(補足:16号は、国防婦人会についての本だ。慰安婦たちがなぜ割烹着を着てたすきをかけて、「愛国」的な行動をしなければならなかったのかを知ることができる資料だ。いわゆる娼妓たちも「我々も日本の女」、「国のために」と、このような動員に積極的に参加するよう仕向けたのは社会の売春に対する差別だった。朝鮮人慰安婦もその枠組みに組み込まれたのだ。

17号は、同時代の慰安婦募集広告だ。紹介所が18歳から30歳の女性を募集したことが見て取れる。新聞にこのような広告が出たということは慰安婦という存在が公的な存在だったということを物語っている。しかし、仕事内容を明示しておらず、このような点が詐欺的な募集を可能にしたのだろう)

弁護人:証18号は慰安所の入り口写真だが、「身も心も捧げる日本女性のサービス」と入口に書いてある。別の写真には、慰安所の名前が「故郷」、「愛国食堂」とある。これは慰安所に課された役割が身体的、精神的な慰めであったことを語っている。故郷に対する郷愁を紛らわすために。

検事:朝鮮人慰安婦は、同志的関係ではなかったのに同志的関係であったと虚偽の事実を表現したとして起訴したのだ。

弁護人:被告人は朝鮮人慰安婦を自発的な同志関係とはしなかった。19号証は当時、日本軍人が慰安婦は「軍属」だったと書いた資料だ。

検事:それは慰安婦に関する日本軍の認識ではないか。起訴内容とは関連がない。

弁護人:20号証だ。『女の兵器』という朝鮮人慰安婦の手記だ。集められ強姦されて泣くことになるが、後に国防婦人会に加入してうれしかったとし、愛国奉仕団の一員となった自分は一般娼妓とは異なる存在と自分のことを認識してえいる。そんなふうに変わっていったケースもある。どうにかして生きていくためであったろう。

(補足:この資料はおそらく書き手が男性ではないかと思われ、出すべきかどうか躊躇したが、村にやってきて「愛国」を掲げて募集する様子と、少女が変わっていく様子が書かれていることにおいて排除できないと考えて使った。もちろん、すべての口述や評伝に聞き手や書き手の視点が入るのは言うまでもなく、重要なのは資料との距離のとり方である)

21号証は日本人慰安婦のケースだが、多くの兵士を相手にしたことによる苦痛が書かれている。

22号証は日本軍の軍医が書いた「漢口慰安所」。ケイコ(朝鮮人慰安婦)を司令官が表彰したという内容もある。軍人が業者の搾取から慰安婦を保護しようとした内容も見られる。この本に出てくる慰安所の名前も「平和館」だ。慰安婦が上官の奥さん扱いを受けた話も出ている。

前述した、詐欺にあって慰安所へ来た後、他の所で働かさせてもらうことになった話はこの資料に出ている。

23号は今年6月に毎日新聞に掲載された資料の原本と翻訳だ。米軍捕虜を尋問した資料で、朝鮮人が証言した部分だ。捕虜たちに日本の植民地統治全般に対する考えを聞いた資料だが、慰安婦について語った内容が出ている。彼らは「韓国売春女性は全員志願者であったか、または親によって売春業者に売られてきた女性たちだった。日本人による強制的徴発があったなら男らが激しく抵抗したはず」と話したと書かれている。

検事:この報告書には軍属と書かれてある。(補足:Civilianとしか書かれていない)民間人イ・バクド、ぺク・スンギュ、カン・キナムといった感じで。慰安所を経営した業者と推定される。そのためこのように言うしかなかったものとみられる。なぜなら慰安所に集めてくることに協力した者は処罰対象になるためだ。当然、志願者と言うほかない。自分が強制的に連れてきたのではなく、自ら来たことにしようとこんなに証言をしたのだ。したがってこの証言は信憑性が低く、慰安婦の自発性を裏付ける供述と見ることはできない。

弁護人:検事の推測だけでこの資料に信憑性がないとは言えない。

裁判官:捕虜たちが述べた内容に信憑性があるかどうか。これは注視しなければならない。

弁護人:24号証は1970年8月14日付のソウル新聞の記事だ。「花柳界の女性を動員していた日本帝国は、次第に人数が不足すると一般の娘まで召集した」との記述がある。

25号は千田夏光のインタビューの内容だ。「一種の売春婦だった」としながら「彼女たち自身が国のためだと信じていた」と話している。「従軍慰安婦」という本にも同じ認識が書かれている。

検事:『従軍慰安婦』という本には、日本人慰安婦には「祖国のために」「軍人のために」という意識があり、自分の行為を愛国心という装飾物で飾った。しかし朝鮮人慰安婦は強制連行され働いていた女性たちだ。朝鮮人慰安婦と日本人慰安婦は異なる。なのにこの『帝国の慰安婦』では日本人と朝鮮人を同等に見ており、同志的関係にあったとしている。

裁判官:強制連行とは、構造的な強制性だという話がなかったときのことではないのか。物理的な強制性のことだから。

弁護人:強制であったとしても業者によるものか、軍によるものかを区別しなければならない。(同意する)

27号は韓国政府報告書だ。韓国外交省の挺身隊問題実務対策チームが1992年7月に発表したものだ。

ここでも軍が慰安所を直接経営していたというよりは、経営は売春業者に任せ、軍は委託管理などを行っていたという認識になっている。募集方法も1938年までは都市地域の女工から募集、飲食店従業員などを人身売買の手法で募集しており、38年から40年までは貧困農民の娘から募ったと書かれている。

慰安婦には収入があり業者と収入を分配していたことなど、管理売春形態であったことが政府にも分かっていた。

検事:この報告書は、日本軍が目的や軍隊のために売春をし、軍隊が直接全面的に介入し徹底的に管理できるようにしていたことを物語っている。慰安所は軍隊に従属した集団だった。売春業という単語だけで韓国政府も売春業と認識していたことを立証のための証拠として提示しているが、韓国政府は慰安婦を売春業と認識してはいない。報告書には、日本軍の視点から見た場合、慰安所は軍隊による強姦予防や性病予防のため、そのために売春業に軍隊が介入し徹底的に管理できるようにしたという内容がある。此の頃は慰安婦研究の出発点であり、そのためタイトルも中間報告書になっている。韓国政府は慰安婦を売春と認識したことはない。

弁護人:当時、韓国政府は慰安婦を管理売春と認識していた。それに基づいて河野談話も作成された。

28号証4は軍の指示文である。この部分は「精神的な慰め」について書かれている。「現在特殊慰安所は慰安婦の数が少なく、ただ情欲を満たすためのものにすぎない。そのためもっと慰安婦の数を増やして精神的な慰安も与えられるよう指導するように」と。身体的な性欲だけでなく精神的な慰めも与えられるようにすることが慰安婦の役割だったという、慰安婦が強要された役割であった証拠資料として提出する。

検事:むしろ計画的に慰安婦は運営されていたということが分かる。資料29号から33号(「従軍慰安婦関係資料集成」)はアジア女性基金が発行した資料だ。

(補足:この資料には契約書、営業許可書、就職許可書が含まれる。許可制にしたのは、未成年を雇用したり詐欺などで連れて来られたりすることがないようにするためだった。

軍人が暴行することもたくさんあったが憲兵による取り締まるもあった。言うならば、暴行はあったが公的に認められていたことはないという話だ。遊郭を慰安所に指定していた様子も出てくる。軍属に制服を着用させていた様子も確認できる。軍属扱いを受けた業者にも軍服が支給されたため慰安婦が軍人と勘違いした可能性もある。慰安婦は最初は同郷の人が集められた。その方が精神的な慰めにはより都合がよいと期待したのだ。慰安団のうちに日本人が90人いたという話も出ている)

弁護人:次は慰安婦問題解決案研究としての『女性家族省の用役報告書』。日帝強占下強制動員被害真相究明委員会が出した報告書だ。研究責任者は、ミンディー・カトラー(アジア政策研究所)だ。カトラー氏は米国下院の決議を引き出すことに貢献した人だが、慰安婦の募集は人身売買を通して行われたものと見ている。

検事:人身売買での売買主体は対象者ではなく「対象者を強制的または騙して連れてきた者と、その者から対象者を買う者」だ。対象者が自発的に自分の体を売るということは決してない。

弁護人:これは単純な強制連行ではなく親に売られた等の形であったことを証明する資料だ。

検事:では、親は慰安婦になると知っていて子供を売ったのだろうか。人身売買の対象としてもそのひとがどのような仕事をするのか知った上で売ったというのか?

弁護人:『帝国の慰安婦』によれば、騙されて連れてこられた場合も自ら行った場合もあるという。

36号証は2015年にアメリカの日本(歴史)学者たちが発表した声明書だ。2015年、元慰安婦たちの側に立って作られた報告書だ。性的暴力と人身売買のない世界を作るため、アジアの平和と友好を深めるためには、過去の過ちを清算しなければならないと言う。それでも慰安婦問題は人身売買と認識している。

検事:慰安婦は軍隊による組織的管理が行われたという点で、そして日本の植民地や占領地で貧しく弱い女性たちを搾取したという点で問題だ。女性の移送と慰安所の管理に日本軍が関与していたことを証明する資料が多数発見された。被害者らの証言にも重要な証拠が含まれている。証言に違いがみられることもあるが全体として控訴力のある公文書で立証されている。証拠も存在せず、証言は一貫性のないように見えるが、全体的な証言は明らかに一つのことを指している。

弁護人:被告人はその部分について意見が変わらない。慰安婦と公娼制度に関する学者の研究も多い。一部を読み上げる。「廃業届には廃業申告書を提出しなければならないが、申告書にはオーナー業者が連名捺印をするようになっていた。業者らが自らの利益に反して娼妓の自発的廃業を認めるはずがない」「軍人の性欲処理と性病予防のために公娼を設置した」...等。

検事:証拠38号から41号は起訴内容と何の関係があるのか。慰安婦と公娼制との関係とはどんな関係があるのか?

弁護人:慰安婦は公娼制度に編入されたとここに記載されている。だから名誉毀損ではないという証拠の提出だ。

検事:慰安婦を集めた場所は日本内地だ。軍ではどうしても直接手を出せないことであったため思いついたのが慰安所だ。軍属となっているが正式な軍所属ではなく、内部で「御用商人」のような存在を利用した。

弁護人:引用した部分は、必要性があり引用しただけだ。同志的関係という枠組みの中で商品扱いを受けたと明らかに述べられており、文字通りオランダ人、中国人慰安婦などの戦争相手国の女性たちと比較する目的で使用しているだけだ。

検事:参考資料として出された聯合ニュースの資料を読んでみたい。挺対協の提案が2015年4月23日掲載された。軍慰安婦問題解決市民団体と金福童が23日、東京で提示した案だ...(省略)被告人は責任を認めたというが法的責任ではない。いったい何の責任を認めたというのか。

弁護人:そんなことをなぜここで問題視しなければならないのか。だが、挺対協も法的責任に関するハードルを下げたと表現している。法的責任を要求事項にはっきりと含めなかったのだ。

裁判官:日本に法的責任があるか否かというのは、本裁判の争点とは関係がない。

朴裕河:簡単に補充する。

1)日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦を私が同じ扱いをしたとしているが、違いについても書いた。日本人慰安婦は将校を相手することが多く相手が将校の場合、将校の人数は少ないため環境や立場がより楽だった。ただ朝鮮人慰安婦も将校の相手をした場合がなくはなかった。

朝鮮人慰安婦の中で日本人のように行動した者がいたのはむしろ二重の差別があるためだ。日本人娼婦さえ、一般女性と「同じ日本人女性」の扱いを受けるべく、国防婦人会に積極的に参加し軍人を見送ったりしながら士気を高めるていた。

2)朝鮮半島でも日本人女性たちが慰安婦になった。慰安団にも混ざっていた。朝鮮半島で日本人女性が慰安婦になるのに朝鮮人女性だけを別に強制連行するとは常識的に考えられない。当時、突然連行されたのは主に反体制思想犯だった。占領地と植民地の違いを考慮しなければならない。

検事は、安秉直教授が「慰安団」募集は強制だったと話したとしたが、その中に日本人女性も多かったという事実を見過ごした結果の認識と考える。彼女たちも一日に数十人の相手をすることもあり、程度の差はあるだろうが女性として動員され受けた苦痛の質は同じだ。

3)軍服の支給についての指摘では、慰安所に出入りするときのみと検事は言ったが、業者が慰安婦を集めに朝鮮半島へ来たときも軍服を着ていたと考えられる資料がある。追加提出する。

4)慰安所に行くことを知りながら娘を故意に売った親がいるだろうかと言っていたが、そのような親も少なくなかった。ただし養女である場合も多かった。貧しさから制度の犠牲になったケースが多いと思われる。

『中国に連れて行かれた慰安婦2』の一部を読んでみたい。

「その時十何歳だっただろうね。ああ、十六歳になった頃だと思うよ。飲み屋にも、2年くらいいたからね。祖母、祖父の判子までもらってこいといわれたよ。祖母、祖父まで印鑑を押してくれるはずがないでしょう。そこでね、父は私の話なら信じてくれていたので父の手をひっぱって川べりへ出て事情を話したんだ。『父さん、セクシ(商売女)を買いに来た人がいたの。いくらくれると言うんだけど、私、遠いところにお金を稼ぎに行く』『おい、何言ってるんだ。?私はお前がいてくれることだけを楽しみに生きているのだから。だめだ』『だめなことなんてないよ。お父さんが良い暮らしをするのを見てから死にたい。父さんにはただお金を満足に使って、ただ食べたいものを食べてもらいたい。私ひとりくらいいないものと思って、父さん、私を紹介してちょうだい。ほかに方法がない。水商売のところに2年もいたのだから。、私、もう村にいたくないよ』『どうしてもそうなら、紹介してあげるよ』『そうよ。母さん、父さんの名前を書いて判子を押して』『お婆さんお爺さんの判子も全部押すのだそうよ。どうしよう?父さん』『それじゃあ私が書こう』父が書いて、祖母と祖父の判子を押して、あとから皆の同意をもらった。それを持って博川へ行ったの。到着してから様子を見ては、父さんは『(ほかの人ではない)あなたに娘を売ったのだから、別のところにまた売ちゃだめですよ』そのような約束を(買い手と)したんだ」。

こうしたケースは少なくない。家族のために自分を犠牲にした人たち。

裁判官:重要な資料のようだ。どうして提出しなかった?提出しなさい。

朴裕河:検事の叱責を聞いて、提出の必要性を改めて悟ったためだ。似たような資料は多い。

5)許可申請書は業者側の書類だと検事は言うが、「酌婦」(当時は慰安婦を「酌婦」とも呼んだ)としての本人の許可願も必要だった。また、千田夏光を引用したことを検事は否定的に言うが、千田を本の冒頭に引用したのは「愛国」の枠組みでこの問題を見た者が、私の知る限りセンダしかいなかったためだ。私も10年前、同じ認識を持ち本にも書いたが、その時は本を読んでおらず、後になって知ったため、先立つ認識への礼として引用した。

6)検事は慰安婦が軍属であっても性奴隷だ、と言う。ところが日本の国会での議論について書いた文書を見ると、日本の従軍慰安婦が戦闘者として認識されていたことが分かる。手榴弾を運んだり、洗濯したりしたことについてだ。補償策を作らねばならないという議論があった。後に提出する。

7)18号の連合軍資料は信憑性がないと言っているが、その発言の前後は、日帝の過酷さについて話している。だからその部分だけを検事が願ったニュアンスではなかったという理由で、信憑性がないとする理由はない。しかも、三人の証言者のうち一人の個人調書があるが、その人は炭鉱夫だった。検事が推測する「責任を回避するために嘘をつく業者」ではない。全体的に日本の過酷さを強調しているのに慰安婦関連事項だけを異なる姿勢で話しているとか考えるべき根拠はない。後に提出する。

8)アメリカの歴史学者たちも慰安婦問題に関して私と似たような認識を表した。2015年5月のことだ。私が削除版<帝国の慰安婦>に声明を入れた理由でもある。長い間、慰安婦問題に対してもっとも良心的に報道してきた朝日新聞が2014年8月に奴隷狩りをしたという吉田清治の証言を検証し、虚偽という結論を下した。しかし、韓国ではこのニュースはその趣旨が報道されなかった。

9)「同志的関係」についてもう一度説明しよう。まずは形態的な意味だ。韓国が日本帝国に占領されたため、「日本人」として動員したという意味だ。そんな話をしたのは慰安婦について少女たちをむりやり連れて行き軍人たちが強姦したという認識だけが広く普及されてきたからだ。植民地統治下での国民動員の一種とみるべきだ。そうした時、実際どれほど自らすすんでの行為だったかの判断は極めて難しい問題だ。

そうした状況の中で軍人と慰安婦が社会の最下層の者同士や、故郷を遠く離れた者同士などが、心を通わすこともあった。形態的枠組みは民族的関係だが、実際の関係は男女関係や階級的な関係だ。民族関係としての同志的関係ではないかと恐れ、否定する理由はない。

そのような状況を知ることの出来る資料をもう一つ読んでみたい。『ビルマ戦線、日本軍慰安婦文玉珠』という本だ。亡くなった方だ。

「私は軍人たちの機嫌を損なわないように、楽しんでもらえるようにできるだけ努めた。兵士たちの家族やふるさとの話を聞き、一緒に日本の歌を歌った」「所帯持ちの兵隊たちもかわいそうだった。いつも妻や子供のことを思い出しているようだった。泣きながらこんな歌を歌う人もいた。戦地の軍人たちの思いとわたしたちの思いとは同じだった。ここにきたからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かなければならない、と。わたしはその人たちの心持がわかるから、、一生懸命に慰めて、それをまぎらしてあげるような話をしたものだった」

文さんは好きだった軍人もいたが、戦争が終わると彼は日本に行こうと言われ自分は朝鮮に行かなければならないと言ったところ、その軍人は「それなら自分が朝鮮にいこう。ヨシコが日本人になってもいいし、自分が朝鮮人になってもいい」と言ったと話した。また「一週間に一度ヤマダイチロウがくるのが生きがいになって、わたしは慰安婦の生活に耐えられるようになった」と。

「その刀は、天皇陛下からもらったものじゃないか。敵に向かって抜くべきものを、はるばるこんな遠くまであんたたちを慰安にきている私に向かって、朝鮮ピ―、朝鮮ピーといってばかにして。わたしたち朝鮮人は日本人じゃないか。」

「世の中というものは、ひっくり返ることがあるのだ。ある日突然立場が逆転すると、こんなふうに人間の関係も変わってしまう。それがわたしには悲しかった。それまで『日本は世界でいちばん強いのだ。日本人はいちばん上等ななのだ』といっていた軍人たちが、国が負けたら小さくなってしまっている。情けなかろうとまた泣けてきた。

その時のわたしは、まだ日本人の心をもっていたのかもしれない」

「私はタテ八四〇〇部隊の軍属だった」

裁判官:その2冊の本を証拠として提出するように。次は被告人尋問を2~3時間行う。資料は次の期日まで受け付ける。最終弁論は3週間ほど後、最終弁論をして結審したらどうだろうか。11月29日午後2時に変えてはどうだろうか。3週間後の12月20日火曜日に結審公判をすることにしよう。

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