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それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由

投稿日: 更新:
COMFORT WOMEN
KAZUHIRO NOGI via Getty Images
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1、聞こえなかった声

慰安婦問題が表面化して以降、20年以上が経つのに慰安婦問題は解決されていません。そして、断言できますが、慰安婦問題への理解と解決のための方法が変わらなければ、慰安婦問題は永遠に解決しないでしょう。そして日韓関係は、今以上に打撃を受けることになるでしょう。

今、韓国の支援団体と政府はこの問題について、「法的責任」を認め、そのための措置を取るよう日本に要求していますが、50数人が存命の元慰安婦の中には、実は異なる意見を持った方々がいます。しかしその方々の声はこれまで聞こえてきませんでした。違う声があったとすれば、これまで私たちはなぜその声を聞くことができなかったのでしょうか。

これまで聞こえてこなかった声を、違う声を聞いてみようという問いかけは、実は、元慰安婦の方々だけでなく、支援団体、さらには学者にも当てはまる問いだと分かりました。韓国はもちろん、日本の支援団体や学者など関係者にとっても、慰安婦問題の主流となっている理解、常識と違う声をあげることは、思うほど自由ではありませんでした。それは他人の意思というより、むしろ自分の意思によるケースが多かったのですが、その「自分の意思」とは、実は暗黙のうちに強要されたものでもありました。そして慰安婦問題が解決されていないのは、そうした多様な声が聞こえてこなかったり、適切な言葉が与えられず、共有されていなかったりすることにも原因があると確認できました。

それで私たちは、慰安婦問題を解決するために何よりまず必要なのは、そうした声を聞くことだと考えました。また、我々自身の考えを一緒に声に出すことだと思いました。慰安婦問題は、我々が思う以上に複雑な問題であり、しかも問題発生後、長い時間が経つにつれ、さらに複雑にこじれてしまったので、そうした複雑な問題への認識や意見がただ一つしかないのは、むしろ異常なことではないでしょうか。遅きに失した感はありますが、今からでも多様な声を一堂に集め、この難しい問題を解決するための方法を考えたいと思います。

慰安婦問題が解決されなければならない理由として、当事者が高齢だからとよく言われます。しかし、実は年老いているのは、元慰安婦だけではありません。この問題の解決に長い間努力してきた支援者や学者たちも、いつのまにか高齢に達しています。この方々は、これまで慰安婦問題が表面化した初期から声をあげ、問題解決のための研究や行動を通じて、誰よりも献身的に努力してこられた方々です。それでも主張が曲解されたり忘れられたりして、慰安婦問題をめぐる議論の中心から排除された方々がいます。しかし、断言できますが、この方々が慰安婦問題の議論と運動の中心にいてくれたら、慰安婦問題をめぐる様相は今とずいぶん変わっていたでしょう。もしかしたら、とうの昔に解決されたかもしれないと私は思います。

2012年冬、この問題の解決に向け長く努力して来られた一人、清水澄子・前参院議員が逝去されました。私はこの問題を憂慮する何人かの日本人学者たちと同年7月、日本でこの問題を解決するためのセミナーを東京大学で主催しましたが、清水先生も出席されました。これまでなぜ日本でこの問題についての「立法」ができなかったかを説明していただいたことで、真摯さと献身的な努力を理解しました。清水先生の生前にこの問題が解決されなかったことが悔やまれてなりません。

こうした意味で、慰安婦問題は実はもう元慰安婦だけの問題ではありません。20年以上、関係してきたあらゆる人々、この問題をめぐる意見対立と葛藤で傷ついて涙を流し、抑圧されたすべての人々の問題でもあります。この問題の解決は、慰安婦の被害者だけでなく、この問題に長年携わってきた人々のためにも必要です。

2、朝鮮人慰安婦と「法」

今日、慰安婦を巡る議論を代表するのは「強制性」の可否です。

強制性を主張する人々は「法的責任」を主張して、強制性を否定する人々は以前よりむしろ後退し、河野談話と村山談話すら否定しています。そしてそれぞれに連携する形で、日韓両国は慰安婦問題について「売春婦」と「少女」のイメージをそれぞれ公的に記憶化し、対立しています。

ところが1965年に作られたある韓国映画(鄭昌和<チョン・チャンファ>監督『サルビン河の夕焼け』)は、そのような公的な記憶があくまで、1990年代の時代と社会が必要としていた記憶に過ぎないということを明確に示しています。

太平洋戦争時代のビルマ戦線が舞台のこの映画は、映画に登場する朝鮮人学徒兵たちが、まだ40代だった頃に制作され、公開されました。それだけに、学徒兵たちの記憶とかけ離れたイメージを生み出すことはできなかったはずです。

この映画には慰安婦が登場しますが、朝鮮人将校は、彼女たちは自発的に来たのだと思っています。これは認識の真偽とは別に、慰安婦をめぐる1960年代の韓国の記憶が、1990年代の記憶とは異なることを示す場面です。しかし、ここで慰安婦の女性は「看護婦になると思って来た」と言います。だました主体はおおむね日本軍よりも業者でしたが、女性はその部分を具体的には話さず、「日本軍が強制するわけがない」と言う「親日派」学徒兵将校に向かって言います。「日本帝国主義にだまされたことがないんですね」

この場面は朝鮮人慰安婦問題の本質を明確に示しています。つまり、まず日本軍が直接、強制連行や人身売買を指示したことはないという事実、にもかかわらず、彼女をそこに連れてきた主体は他ならぬ「日本帝国主義」だったという事実です。これはかなり正確な認識と言えます。なぜなら、植民地化された土地の若者たちにとって、慣れた故郷を離れ、遠くビルマまで行って生命を脅かされる状況にしたのは確かに「日本帝国主義」だったからです。この女性は将校に配属されたことを幸運に思いますが、それは「兵士のところに行ったら地獄」だったという言葉からも分かるように、この問題における本質でもあります。

この女性がその後、どうなったのか、この映画は関心を示しません。戦場で死んだり、見えない傷だらけになって帰国したり、現地に残留したりしたでしょう。言ってみれば、全員が戦場に配属されたわけではありませんが、慰安婦の運命は基本的には戦争遂行のために命を捧げなければならなかった「軍人」と大差なかったのです。もし生きて帰ったとしても、彼女たちは身体の一部を毀損された、たとえるなら傷痍軍人的な存在でした。

ところが戦争に動員された軍人に対する補償の中で、死んだ人が中心ではありますが、男性のためには、補償の枠組みとしての「法」が存在したのに、慰安婦にはそうした法律自体が存在しませんでした。「代替日本人」になって日本の戦争に生命を落とした朝鮮人兵士たちは、靖国に祀られ、約束された補償は後日、1965年の国交正常化に伴う日韓基本条約で、不十分ながらも議論されました。そして不完全ながらも、韓国政府を通じて補償金が配分されました。

言ってみれば同様に戦争に動員されたのに、慰安婦のための法は存在しませんでした。(帝国)国家は男性を戦争に動員し、男性のための「法」は準備しましたが、女性のための法を作らなかったのです。そういう意味では慰安婦問題で日本の補償と謝罪は必要ですが、それを問うための法自体が存在しない事実を見過ごすことはできません。もちろんこれは、近代国家のシステム自体が男性中心だったからです。

したがって、日本に対し「法的な責任」を問いたくても、その根拠となる「法」自体が存在しないというのが私の考えです。「法的責任」を問うには、まずそこに返って議論しなければなりません。その意味でこの問題は、韓国が要求する問題というより、むしろ日本が主体的に考えるべき問題です。

同時に、「法」という概念がそもそも国家システムを支えるものだけに、国家を代表する「法」にこだわる発想が、倫理的な解決にどれほど役立つのかも議論されるべきでしょう。「法」は、時に気持ちがこもることもありますが、この問題をめぐる「法律論争」が、おおむね謝罪の気持ちを持っていた90年代の日本国民を完全に無視したことも念頭に置くべきです。国家と国民と謝罪の関係についても問わなければなりません。それは「1965年に補償は終わった」と主張する日本政府や、「個人の請求権が残っている」と主張する韓国政府がともに再考する問題でもあります。

韓国が主張してきた「法的責任」要求の問題の一つは、90年代初めに慰安婦問題の本質を「少女の強制連行」と考えていたときに提起された主張だという点です。その後20年余りの間、慰安婦問題について新たな知識が多数生じたにもかかわらず、最初の要求が全く変わっていないことへの説明も必要です。

新たに明らかになった事実とは、問題を提起した韓国の支援団体が、挺身隊と慰安婦を勘違いしていたこと、業者が軍隊と慰安婦を媒介したこと、村山談話が実は、自民党の戦後処理についての思考につながっていたこと、韓国には責任回避の「小細工」としか理解されなかった「アジア女性基金」が、実は河野談話と村山談話の精神を受け継いだものだったこと、その基金から「償い金」を受け取った元慰安婦が60人もいること、日韓国交正常化の時、日本は個人への賠償を残しておこうと提案したのに、韓国政府が代表して受け取ってしまったことなどです。もちろん、これらすべてを考慮しても、女性たちに「地獄」を経験させた責任が日本帝国にあることは言うまでもありません。問題は、どのような形で謝罪と補償をすれば、これらすべての事項を念頭に置きつつ、両国民の理解と合意を得られるかという部分です。これまでの主張や拒否は、いずれもこの部分への注意を払っていませんでした。

さらに重要なことは、韓国が固執する「強制連行された少女」の認識は、「売春」に対する差別意識を作るもので、日本の否定派が主張する「自発的売春婦」観を実は支えているということです。つまり、慰安婦問題を論じるにあたって、物理的な強制連行なのか、純真無垢な少女なのか、売春婦なのかの議論はこれ以上重要ではありません。実際に元慰安婦の経験をみると、その経験の残酷さは、そうした「原点」とは何の関係もないと明らかになっているからです。先の映画に登場する、いわゆる「売春婦」のように見える慰安婦にも「地獄」は存在したということも、それを物語っています。

3、日本の「否定」の問題

日本では今、河野談話を否定する動きが起きています。しかし、当時の日本軍、日本男性に、植民地の女性がどのような存在だったかは、以下のような日本人の意見が如実に物語ります。

私はいま眼のまえにひとりの女を想定する。それが性的の対象と仮定する。彼女が朝鮮の婦人であれば、われわれは容易にサディストになりうるのである。もし彼女が欧米の婦人であれば、われわれは容易に不能者に変わりうるのである。われわれのエロスはこの二つの極のあいだを揺れる。性行為による主体の抹殺・消去が快楽の極みであるのと同じように、われわれのロゴス(論理)も主体の抹殺を通してファシズムに容易に近づきうる性質をもつ。われわれのエロスもロゴスも、ともに自己もしくは他者の権力の領土内において発揮されていた。

(村松武司「性と専制」、1976。<遥かなる故郷―ライと朝鮮の文学>)

ここでの関係が「暴力」以上の何者でもないということは、「主体の抹殺」という想像を可能にした征服欲~植民地化したことで可能になった~に表れます。そして朝鮮人慰安婦とは、彼らがいつでも、そうした「征服者」の気持ちを味わえる対象でもありました。慰安婦問題が「性的暴力」の問題というのは、必ずしも強制的あるいは物理的な暴力だからではありません。まさにこうした精神的な暴力が存在したからです。

また、以下の文章は、どうして朝鮮人慰安婦が多いのかについて、背景の一部を示しています。

昭和19年に入って湘桂作戦に伴う兵員の動きは慌ただしくなったものの慰安所は表面上いつもと変わりなくにぎわっていた。

借金を皆済した女たちは航海の危険のために内地への旅行が困難となり、「自前」として慰安所に残るか、民間料亭の仲居になった。(中略)

湘桂作戦前段作戦で京漢鉄路が開通すると、朝鮮人慰安婦は華北経由で陸路補充されたが、内地慰安婦の補充は、東支那海、揚子江の航行の困難が増すにつれて、先細りになるのは目に見えていた。

(「漢口慰安所」、221ページ、図書出版社、1983)

戦争末期に朝鮮人慰安婦が大量動員されたのは、地理的な背景があったためとみられます。植民地的な貧困とともに、このような背景も多数の「朝鮮人慰安婦」を生み出したのでした。そしてこの部分こそ、日本が朝鮮を「植民地化」したために実現可能だったことでした。

そして、以下の文章は前に述べたように、慰安婦が売春婦なのか無垢な少女なのかという区別が、慰安婦の体験の残酷さを考える上でこれ以上意味がないことを明示しています。

その頃(注:ミンダナオ島のタバオにいた時)は、現役の若い兵隊さんばかりで一日7、8人が限度、楽じゃないけど体を悪くすることはありませんでした。半年ぐらい働いて、 去年の10月末にこのラボウルに来たんです。ここでは、大きな部隊(38師団<名古屋>)の専属になって、とても忙しかったんです。毎日朝から12、3人もの兵隊さんの相手をさせられてお金にはなりましたけど、辛いんですよ。それで、辛いというと、「最前線の女は、一日30人もの相手をするのに、お前たちはなんだ」と叱られるのです。でも30人なんてとても、せいぜい20人がやっと、1週間も続いたら体を悪くしますよ。そのうちに専属の部隊が、ガダルカナルに出ていって、すっかり暇になり、そこでそんな慰安婦ばかりが集められて、通過部隊専用にされたんです。ところが半死半生で帰ってきた人ばかりで商売にならず、陸軍船舶部隊(暁部隊)の慰安婦にかわったのですが、暁部隊は出航して行ったら全滅で帰ってこないんです。出航前の青い顔をしたおどおどした人ばかりと寝ていると、私もおかしくなりかけて、そんな時、この店ができて働かないかと誘われたんです。この家だって、料亭なんて看板出しているけど、慰安所と同じ、ただ客が将校というだけです。そのかわり泊りだけで、昼間の時間の遊びがたまにある位だから楽なんですが、お金にならないの。

(「青年将校と慰安婦 」、みやま書房、1986、66ページ)

この文は、日本人慰安婦のものです。彼女たちも一日に多数の兵士を相手にしなければなりませんでしたが、韓国では日本人慰安婦の存在自体が意識されていません。慰安婦問題は、実は日本国が自国の女性たちにも強制した問題でもあります。河野談話を修正しようとする否定派が「強制性」あるいは「売春」の議論をするためには、こうした苦痛を味わわされた自国の女性たちを先に思い浮かべなければならないでしょう。植民地の女性たちは、彼女たちを「代替」するために投入された存在に過ぎませんでした。

4、韓国の運動方法と結果

韓国に純真無垢な少女像を定着させたのは、韓国の慰安婦運動を率いてきた支援団体です。大事なのは20年以上経ち、新たに判明した事実が、少しずつ運動と展示に反映されながら、そうした認識の変化がメディアで公式には明らかにならなかったことです。その結果、変わらぬ運動の主張が20年以上韓国社会に定着することで、90年代には確かに存在した日本国民全体の「謝罪する気持ち」が20年後の今日、むしろ著しく減少したことです。

残念なことは、韓国が批判する安倍政権の誕生に、そうした韓国の運動と政府の対応が影響を及ぼした部分がないとは言えない点です。言い換えれば、日本の右傾化は自然発生的なものではなく、韓国の対日姿勢がそうさせた側面があります。最近目に見えて増えた嫌韓現象も同様です。個人の関係だけでなく、国家の関係も相対的なものだからです。彼らの中には深刻な差別主義者が存在しますが、運動が必ずしも正確ではない情報を流布する限り、彼らに対する批判の効力は弱まるしかありません。

にもかかわらず、そうした状況はきちんと認識されず、韓国の運動は世界へと領域を広げ、1億人署名運動、記念碑建立、韓国政府の閣僚や大統領が世界に発信した日本批判によって拡散しています。問題は韓国の広報専門家、サイバー外交使節団、歌手、女性部ホームページまで巻き込んだ活動が、必ずしも正確な情報のみに依拠していないという点です。

例えば2014年3月、ある支援団体が主催した大学生イベントは「20万人の朝鮮人少女が連れて行かれた」という内容のポスターを使用していました。さらにその行事はソウル市が支援していました。問題はこうした状況が、日本の否定派たちの偏った情報と認識を反省させたり弱体化させたりするのではなく、むしろ強化し、嫌韓認識を拡散させていることです。今日の両国の対立の背景には、実はこうした状況があります。すでに問題自体をよく知らない両国民までも、不正確な情報と、否定的な感情だけが共有され、もはや慰安婦問題が解決されたとしても、両国民の感情を修復するのは簡単ではなさそうです。

2014年1月にフランスで開かれ、日韓間に摩擦を生んだアングレームの漫画展は、そのような日韓間の現状を端的に示した出来事でした。

韓国は日本の反発を、ただ謝罪意識がないからだとしか思いませんでした(実際にそういう考えの人はいなくはないようですが)。しかし反発の根源は、慰安婦についての表現に、事実とかけ離れたものがあったからです。にもかかわらず、アングレームの展示はソウルの中心部で展示され、多くの学生らに観覧されて日本に対する敵愾心を育てています。

女性部は、今年はシナリオを募集するとしていますが、現在のようなやり方が慰安婦問題の解決に役立たないということは、この20年あまりの月日が証明しています。

5、「語れない構造」を越えて

韓国社会の「語れない構造」は、一種類の意見と認識だけが受け入れられる、極めて硬直した社会構造が生み出したものです。重要なのは、その構造の中に元慰安婦までもが囚われていることです。「違う」考えを持ちながらも言わなかったり、言えなかったりする構造は、今日まで韓国社会全体に強力に生きています。2011年の夏の憲法裁判所の判決に批判的な法学者すらもそうでした。

その理由はもちろん恐怖ですが、それは彼らの誤りというより、むしろ一つの声以外は容認しない私たち自身が作ったものです。

2014年4月、セウォル号の悲劇を通じて、私たちは今、韓国社会の価値観が一つに集約された結果として引き起こされた、あまりにも脆弱な社会構造を見ました。そしてこの問題を巡っても、韓国社会は分裂と混沌の様相を見せています。慰安婦問題をめぐる状況がセウォル号の悲劇をめぐる状況と無縁ではないと考えるのは、そのせいでもあります。

一つの考えだけが尊重される社会、国家にその声を代表させる社会は「違う」声を容赦なく抑圧して排除し、自らを国家化します。しかし、多様な生き方が認められる社会が健全な社会であるように、韓国社会がより健全で賢明になるためには、多様な声が急ぎ必要です。しかし、言わない限り、現在の認識や構造は維持されます。そして慰安婦問題も解決されないでしょう。

折しも、日韓の局長級協議が始まりました。私たちは過去に、慰安婦問題を解決するチャンスを2度逃しました。1990年代と2012年春です。今回は3度目にして最後のチャンスです。これ以上、元慰安婦を国家や団体の自尊心のための人質にしてはなりません。過去に戦争遂行のため、国家に動員された方々を、再び国家の、あるいは男性たちの「メンツ」が利用することもあってはなりません。

セウォル号沈没事故で、韓国の大統領は日本の救助支援の提案を拒否しました。そうさせたのは就任後、ずっと日本との対話を拒否してきた大統領のメンツのせいかもしれません。しかし、実は大統領をそうさせたのは、日本関連の学者や支援団体や、彼らの不信を共有した私たち自身でもあります。そのような意味では、若い生徒たちを殺した構造から、私たちは誰も自由ではありません。そのためにも私たちは遅いとはいえ、声を上げなければならず、耳を傾けなければなりません。まずは各勢力によって長いこと人質になっていた元慰安婦のために、元慰安婦をこれ以上、反目と不和ではなく、許しと和解の主体に生まれ変われるようにするために。

(2013年4月29日「慰安婦問題・第3の声」での発言を一部改稿)

【訂正】 2014/11/10 0:30AM
当初、鄭昌和<チョン・チャンファ>監督の映画名を『哈爾浜江の夕焼け』としていましたが、正しくは『サルビン河の夕焼け』でした。