"mixiが流行した理由"をサイト設計から理解する―― 『ITビジネスの原理』著者・尾原和啓が語るSNS運営術(「プラットフォーム運営の思想」第2回)

今年初めに出版された『ITビジネスの原理』(NHK出版)が大好評の楽天株式会社執行役員・尾原和啓さん。この連載では『ITビジネスの原理』では語られなかった、より個別具体的なウェブサービス運営の歴史と、その本質を解き明かしていきます。

※この記事はPLANETSチャンネルで連載中の尾原和啓「プラットフォーム運営の思想」を転載したものです

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今年初めに出版された『ITビジネスの原理』(NHK出版)が大好評の楽天株式会社執行役員・尾原和啓さん。

この連載では『ITビジネスの原理』では語られなかった、より個別具体的なウェブサービス運営の歴史と、その本質を解き明かしていきます。

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尾原和啓(おばら・かずひろ)

1970年生。楽天株式会社執行役員、楽天株式会社チェックアウト事業長。京都大学大学院工学研究科修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Googleなどの事業企画、投資、新規事業に従事。現職は11職目になる。また、ボランティアで「TED」カンファレンスの日本オーディションにも携わる。米国西海岸カウンターカルチャー事情にも詳しい。2014年1月に初の著書『ITビジネスの原理』(NHK出版)を出版。

※ 冒頭の試し読みが公開されています NHK出版 | ITビジネスの原理

▼前回までの連載はこちらから

前回書いたように、今回からはサービス運営者がどのような発想で運営を行えばよいかを話します。

とはいえ、実は上手く行ったサービスの事業者と話していても、「何となくKPIを取っていたら、こうなってしまった」という程度の話しか出てこないのが珍しくないのも事実です。また、Twitterの「RT文化」のように、運営側が意図せぬユーザーの使い方がサービスを変えていくこともあります。

しかし、それでも意図に沿った運営の仕方を行うメリットはあります。また、全ての事業者がそうした発想を持ってくれることを願って、僕はこの連載を行っています。もちろん、ここでの話が結局は、僕の体験と観察からの主観に過ぎないのも事実です。しかし、プラットフォームが生活インフラとなった現在、これが多くの運営者の、そしてユーザーの役に立つ面はかなりあるはずだと思います。

そこで、まず今回は、まさに僕たちの生活に欠かせない存在となった「SNS」の運営手法について、mixiを例に解説することにしましょう。

現在、mixiの『モンスターストライク』の好調が話題です。しかし、やはり本体であるSNSの評判は、以前ほどではありません。僕の観察では、少しずつ上向きになっている面もあるのですが、やはり「まだまだ」という面が多いのでしょう。

一般にmixiの現在の状況は、Facebookにユーザーを奪われたためと言われています。しかし、僕の考えでは少し違います。そもそもmixi離れは、既にTwitterの登場時点で起きていました。

では、mixiが勢いを失ってしまった本当の理由はなにか。それは、Twitterの登場による脅威から、非常に優れた――しかも極めて日本的な――プラットフォーム設計と運営の在り方を、自らの手で崩してしまった点にあるのです。今回は、このmixiを巡る分析から、SNS運営について語っていきましょう。

そもそも、SNSとはどんなものでしょうか。僕の考えでは、SNSはネット上に作られた一種の「バーチャルコミュニティ」なのです。「バーチャルコミュニティ」とは、まさに仮想的に作られたコミュニティのことです。

かつて、この「バーチャルコミュニティ」を考えるときには、ネット上の人間関係だけで閉じた「バーチャルグラフ」と、リアルの人間関係に紐付いた「リアルグラフ」の二種類のソーシャルグラフを考えることが重要でした。当時を知っている人は、mixiのようなSNSの登場の衝撃が、まさに「リアルグラフ」による結びつきを強められる点にあったのを覚えているでしょう。しかし、日本においてSNSが登場して既に10年、もはや「バーチャルグラフ」と「リアルグラフ」は、ほとんど境界を失い始めていると言ってよいでしょう。

しかし一方で、なおも議論されていない重要な話題があります。それは、「バーチャルコミュニティ」がそもそも何を目的として、どのように構成されるのかという点です。ここでは早くSNSの議論に入るために、やや単純化して結論だけ話してしまいますが、大きくは以下に示す表のように二軸あると考えてもらって構いません。

まず、縦軸に当たっているのが「情報収集/関係性強化」、そして横軸にあたっているのが「オープン/クローズ」です。

「情報収集/関係性強化」は、「目的のある消費/ない消費」という言い方もできるでしょう。ただし、この二つは二者択一のものではなく、ほとんどの場合は両立しながらもどちらかの要素が強くなっていくようです。

「オープン/クローズ」は、会員制であったり検索エンジンを受け入れているかで分けます。ただし、「クローズ」型は、人間関係の結びつきの強さによって、「ストロングタイ/ウィークタイ」がグラデーションで存在しています。例えば、LINEはストロングタイですが、Facebookはウィークタイであると言えば、イメージが湧くでしょう。

上の表に、それぞれの領域の有名なサービスを挙げてみました。実感として誰もがよくわかるのではないかと思うので、今回は詳しい説明は割愛します。

ひとつ言っておくと、この表のどこにポジショニングを獲ろうとしているかで、現代のSNS事業者たちの様々な戦略が見えてきます。例えば最近、Facebookがバズメディアの露出強化などで「情報収集-クローズ」型に狙いを定めているのですが、僕の考えではそれは「情報収集-オープン」型への展開に繋げ、Twitterのポジションやを撃ち落とすのに繋げるためです。次回以降に、こうした話題もしっかり話すことにしましょう。

ともかく、この表を見ても分かるように、SNSは「関係性強化-クローズ」型でウィークタイに属するもので、まさにmixiはその典型的なサービスでした。

さて、このSNSを運営するにあたって、コミュニティ発展の以下の2つの原則を押さえるのが重要です。

1.書き手と読み手の「収穫逓増の法則」

2.読み手が書き手に変わっていく「ラダー(梯子)」をどう滑らかに登らせるか

まず、1.について。これは書き手が読み手を呼び、読み手が書き手を呼ぶということです。良い書き手がいれば、そこには良い読者がつくでしょう。そして、良い読者がいるところには、良い書き手も集まるのです。ニワトリとタマゴの関係のようですが、このサイクルをしっかりと回していくと、あまり運営者が手間を掛けずにユーザーがどんどん広がっていく(=収穫逓増)ようになります。

2.については、読者を単なる読み手のままに終わらせずに、書き手へと「ラダー(梯子)」を登って行ってもらうことです。その際に、最初は小さな形での参加から始めて、最後はコミュニティ運営者の目的に沿うような大きな参加へとナビゲートしていくのが重要です。

以上がSNSを運営する際の、大きな基本原則です。

それを踏まえたときに見えてくるのが、「最初に広く浅いコミュニティを狙ってはいけない」ということです。

なぜなら、ユーザーの熱量がない場所には、全く投稿数もなく読者も増えないからです。

そのため、My SpaceにしてもFacebookにしても、海外のSNSは非常に特殊なカテゴリの、狭くて濃い対象から徐々に広げていきました。

My Spaceの場合は音楽でした。特にインディーズアーティストが音楽作品をユーザーに提供して、ユーザーのファン同士がコミュニケーションする機能が人気を呼びました。Facebookについては、既に映画『ソーシャルネットワーク』で有名な話ですが、学校のコミュニティが大きかったです。しかも、アイビーリーグの優秀な学校から始めて、彼らと知り合いたい女子大生を掴んでいったのでした。

これによって、まさに書き手が読み手を呼び、読み手が書き手を呼ぶサイクルが回転し始めたのです。

ちなみに、この二つのサイトの初期における施策として、そのコミュニティに刺さる特殊な機能をつけていたことも見逃せません。My Spaceは楽曲の評価とダウンロードの仕組み、Facebookは学校情報と実名制にもとづいた評価システムです。特にFacebookのプロフは、mixiにおけるコミュニティと同様の、後述する「バッジ」としての機能を備えていたのは重要です。

さて、先ほどSNS運営においては、「読み手が書き手を、書き手が読み手を呼ぶ」というサイクルを上手に設計することが、拡大における鍵となると書きました。それでは、先の二つのサイトの場合はどうだったのでしょうか。

My Spaceの場合は、似たようなアーティストを好きな人たちはライフスタイルが似ていることが大きく機能しました。最初は音楽ファンコミュニティから始まったものが、ライフスタイルコミュニティへと変化したのです。コミュニティが簡単にスライドして、拡張できたわけです。その中で、あるアーティストのファンが音楽のジャンルのファンを呼び、音楽のジャンルのファンが今度はライフスタイルのコミュニティを呼び......とサイクルが機能しながら上手くスライドして、最終的には一般ユーザーが増えていったのでした。

それに対してFacebookは、学校と実名制による安心感からコミュニケーションが促進されて、学校同士が、ついには世代が繋がっていくようになりました。鍵になったのは、卒業生に広がったことです。一気に規模が広がりました。

さらに、My Spaceの後発組だったFacebookは、My Spaceを追撃するためにAPIで様々なアプリケーションからのアクセスを可能にしました。特にフレンドと遊べるゲームは大流行します。これによってFacebookは、ソーシャルネットワークでコミュニケーションのボールをやりとりする場から、「人間関係のOS」とでも言うべきポジションに変わったのです。他のサービスを使うためにも、Facebookはソーシャル時代の共通IDとして「持っておくべきもの」になったのでした。

彼らの勝因が、まさにここにあります。様々なディベロッパーがFacebookのフレンド周りのAPIをベースにアプリケーションを作成し、彼らが作れば作るほどFacebookの魅力が増していくサイクルが生まれました。この新しいエコシステムが回り始め、ますます収穫逓増の法則が機能していきました。そして、何よりも重要なことに、こうした周囲の巻き込みがFacebookに「主流っぽい感じ」を与えたのです。これは決してバカにはできません。いや、むしろ最も本質的なくらいです。どうしても、人は「主流だな」と思えるサービスを使うのです。

それでは、そろそろ話をmixiに戻しましょう。こうした海外のSNSと比較して、mixiはどのようにサービスを拡大していったのでしょうか。

そもそも、日本のSNSブームの最初は、GoogleのSNS「Orkut」の日本上陸の知らせでした。それ以前にも小さなSNSはありましたが、ここで都内の業界人を中心に大きく注目を浴びたのです。そこでいち早く始めたのがGREEで、それに続いたのがmixiでした。しかし、GREEがいち早くIT好きのユーザーを集めながらも伸び悩んでいる中で、mixiは一般層への普及を始めていきます。

SNSには「50万人の壁」と「400万人の壁」があると言われています。50万人程度まではITに強いユーザーたちが使うだけで届くのですが、その先は有名人戦略のカンフル剤を用いたり、一般層への普及を強く推し進める何かが必要になります。mixiの場合は、ある段階以降で有名人の開設が話題になったのも事実ですが、それ以前に後者の一般層への普及が始まっていたと僕は記憶しています。

その一般層への普及の理由としてよく語られるのが、mixiがオレンジ色のデザインであったことです。青を基調としたビジネス色の強いGREEに対して、mixiのオレンジは女性ユーザーが親しみやすく、それがアーリーアダプタの壁を突破する鍵になったという説明です。

確かに、そうした側面はあったかもしれません。実際、初期に女性ユーザーに普及したことは、mixi躍進の大きな鍵です。SNS内に女性が増えると、男性も増えていくからです。

ただ、僕はその際に重要だったのはオレンジの色調よりも、mixiが持っていたあまりにも強力な「ラダー(梯子)」設計だったと考えています。特に優れていたのは、「日記」へのナビゲーションです。そして、この「日記」という表現形式は、日本人の、中でも女性ユーザーが得意とするものなのです。

それでは、ここからが今回の本論です。一体、mixiの「ラダー(梯子)」設計はどう優れていたのでしょうか。

「ラダー」とは先にも述べたように、ユーザが敷居低く気軽に行えるところから徐々にコミットの度合いを上げて、最終的には運営が望む敷居が高い行為へと自然に誘っていく手法です。初期のmixiは、読み手をリピートさせながら、最終的には本格的な書き手に導いていくこの流れを、大変に上手に作っていました。しかも、彼らはその際に、とても素敵な「日本的」設計をしたのです。

具体的に、説明しましょう。

まずは皆さんもご存知の「足あと」です。LINEの既読もそうですが、あの機能があると「他人が見ている」と思ってしまい、どうしても「自分も踏み返さないのは失礼ではないか」と思って、アクセスしてしまいます。何回も何回も踏んでいるのに何もコメントを残さないと、それこそストーカーっぽくなるからです。

そうなると、今度は自分が嫌な人間に思われる不安から、人間は「コメント」を書くようになります。すると書かれた相手の方も、コメントを返答していきます。第一回目にお話しした「好意の返報性」です。

そして、そのコミュニケーションの中で、読み手は「ネットで日記に色んなことを書けば、みんなから反応してもらえる!」と楽しさを学び、「自分でも日記を書いてみようかな」と思い始めるのです。

こういうふうにして、mixiは「足あと」 「コメント」 「相手の返答」というスムーズな流れで、読み手を「日記」の投稿へと誘って行く「ラダー」を設計していました。本来、日記は書くのに時間も掛かるし、投稿にも勇気がいる行為です。こうした心理面と時間面での負荷が、一連の「ラダー」で乗り越えられていくのです。

何より重要なのは、日本人が「日記」を読むのが大好きなことです。実は日本という国は、ネットの黎明期からなぜか個人の「日記」へのアクセスが、本当に多くを占めるのです。したがって、一度書き始めてしまえば「読み手と書き手の"収穫逓増の法則"」のサイクルに綺麗に乗るのです。

余談ですが、他の国では日本ほど「日記」は人気がありません。よく理由は僕もわからないのですが、何か日本人の深いところに根ざしている気はします。そもそも日本人の「日記」好きは、ネット以前からのものです。個人的には、月並みな説明ではありますが、やはりこの国の同質性の高さや四季の存在などが、細やかな日常の機微を読み取る感受性を育てているのが大きい気がします。

さて、もう一つmixiが面白かったのは、「コミュニケーション消費」を利用して、コミュニティを育てたことです。ここでの「コミュニケーション消費」とは、ネタを中心にしてユーザーどうしがコミュニケーションを取って、その中で少し変わった表現をしたり、それで自分を良く見せたいと思ったりする振る舞いを指していると思ってください。

ここでまず重要なのは、mixiのプロフィールページを訪れると「友だち一覧」の下という、最も目につきやすい場所に「コミュニティ一覧」が置かれていたことです。

その結果、ここに何も貼り付けていないと、自分のページがどこか抜け殻のように見えます。友だち一覧にはアイコンが入っているのに、コミュニティ一覧は何もないのは、どこかアンバランスです。アバターサービスで最初は無地のTシャツを着た姿が表示されるのと同じで、"やましさ"が生まれてくるのです。しかも、コミュニティ一覧は、プロフィール画面に置かれていることもあり、自分の趣味や属性を示す機能を果たします。つまりこれは、コミュニティ一覧のふりをした、自己紹介の「バッジ」なのです。そうなると、ユーザーはコミュニティに入会しなければいけない気になります。これがまず、「ラダー」の第一段階です。

さらに、多くの人は「バッジ」を1枚だけ着けることはなく、何枚も着けるのが普通です。そのとき、人間はネタっぽい、ニッチな「バッジ」をあえて着けたくなるのです。「自分がいかに面白いか」「自分がいかに個性的か」「最先端のネタを知っている」などを伝えたくなる自己顕示欲が生まれるからです。皆さんにも、覚えがあるのではないでしょうか。

さらに、これは運営が意図していたかは謎ですが、アニメーションGifが使えたためにバッジの見た目そのものの独自進化まで起きてしまいました。こうなると、コミュニティそのものも、ますます多様化していきます。しかも、こうしたニッチなコミュニティは凝集性が高いために盛り上がりやすく、これが増えるのは運営にとっても嬉しいのです。これが、「ラダー」の第二段階です。

そして、最後の第三段階です。mixiの構造の優れていたところは、この個性を表現するバッジの一つ一つがコミュニティにつながっていることでした。

そうなると今度は――日本的インターネットの特徴ですが――コミュニティの中に「自己紹介のコーナー」が必ず登場します。ただただ初心者が「今度新しく入りました。よろしくお願いいたします」と言っては、常連の人が「ようこそ。みなさん」「●●ちゃん、来てくれてうれしいです」と書く場所です。

これによって新しい出会いが生まれると同時に、投稿のハードルが下がります。また、承認を返す人がいることで、好意的に受け入れられた感覚を与えます。そうなると自分もコミュニティにどんどんポストして、コメントバックしていこうと考えるのです。

現在もなお、mixiの日記とコミュニティがまだ力を残しているのは、ここまで説明してきた「ラダー」の基本設計が非常に秀逸だったからです。それに対して、Facebookなどはこのコミュニティに対しての「ラダー」設計に失敗しているために、まだ十分にコミュニティが育っていません。

ただ、現在の状況を見ていると、mixiは自分たちの強みを上手く言語化できていなかったように見えます。それが、TwitterやFacebookのような全く異なる強みを持つサービスが上陸したときに、ブレてしまった理由ではないかと思います。

最初のつまづきはTwitterの登場でした。Twitterはオープンアーキテクチャで、かつ小さい投稿がバンバン飛び交うものですから、ソーシャルグラフとして強力なように一見みえます。それに危機感を覚えた彼らは、対抗策として「つぶやき機能」を入れてしまいます。

そうなると日記のようなハイコストな作業へと向かう「ラダー」は破壊されて、つぶやきから入ったユーザーはそこで完結してしまいます。しかも、つぶやきで高い利用頻度を得る発想と、足あとの機能は相性が悪いのです。結局、mixiは当時盛り上がっていた「足あと機能」への批判もあって、足あとを外す選択をしてしまい、自ら「ラダー」の一旦停止してしまいます。

しかし、最も問題だったのは、ここでmixiは自分たちの情報のストリームをどうすればいいか判断できなかったことです。つぶやきによる頻度の高いストリーム、日記という頻度は低いがじっくり読まれるストリーム、そしてコミュニティというみんなでワイワイ楽しむストリーム――この性質の違う3つのストリームをmixiは上手に統合できませんでした。

例えば、つぶやきからユーザーを日記へと誘う流れなどを作れていれば、だいぶ見え方は違ったでしょう。一方でつぶやきからコミュニティとなると、ともに高頻度の投稿が行われるサービスであるため調整がそもそも難しいのですが、画面内での見せ方を工夫したり、あるいはFacebookのように思い切ってタイムラインに統合するなどの手を試していくべきだったと思います。

実はこの時期、都内の外資系のIT業界人などの間では、確かにTwitterへの移行が起きていました。しかし、地方ではまだ十分に「ラダー」は生きていたのです。しかし、これによって勝負の土俵は完全にTwitterに奪われてしまいました。当たり前ですが、つぶやきの「ラダー」設計に関してはTwitterの方がずっとよく出来ています。

しかも、その際にmixiはオープン化を推し進めたのですが、その結果、Twitterに移った都市部の層がその後「やはりクローズドの方がいい」などと言いだしたときに、彼らがmixiに戻らずにFacebookに行ってしまった副作用もありました。

さらには、GREEやDeNAのような実質的にゲームの会社に比較されたのも、もう一つの悲劇でした。「向こうは利益率が50%もあるじゃないか」と言われて、mixiは終わったという噂がたちました。そもそも、当時のmixiの利益率は20%です。確かにソーシャルゲームの会社に比べれば低いですが、実に素晴らしい数字です。でも、無くしてしまった「主流感」というのはボディブローのようにユーザ離れを起こし、次の「主流感」あるFacebookやLINEへの追い風となってしまいました。

このように様々な面でブレていった結果、mixiは現在の状況になったのだと思います。

しかし、「足あと」から「日記」というヘビーな自己開示のメディアに繋げていくあの動線設計は、先にも書いたように、日本という私小説の国に極めて適したものだったのではないでしょうか。

それでは、ここまでの話題を踏まえて、運営の大原則について考えます。

一般的に「運営」で行われるのは、他サービスとの機能比較で必要な機能を漏れなく入れたり、使いやすいような作りを考えることです。実際、mixiは当時のHP文化の中で使われていた様々な機能が、そのまま簡単に使えるようになっていました。しかし、それは「当たり前品質」を提供しているだけであって、ヒットするサービスの必要条件でしかありません。

重要なのは、ここまで述べてきたように最終的な目的地に向けて、サービスの導線を設計していくことです。一体、どういうユーザーにどんな行動をして欲しいのかを考えて、mixiのバッジや足あとのように人間の心理を上手に利用しながら、どう滑らかにユーザーにラダーを登って欲しいかを考えましょう。今回伝えたかったのは、そういうお話です。

ちなみに、このmixiの「ラダー」設計の秀逸さの分析については、「良いところは褒めなければいけない」という思いもあって記しています。

例えば、LINEが一時期、Facebookっぽく「ウォール機能」を入れたことがありました。現在、改善が進んでFacebookが普及していない地方ユーザーに使われているのも事実ですが、当初の導入は「ラダー」なく突然別の機能をいれてきたという感が否めませんでした。こうした部分については、僕たちが自らの優れた点をしっかりと構造化してこなかった問題があります。mixiにしても、自分たちが痛い目にあった理由をしっかり分析して、ちゃんと社内で共有できているのでしょうか。また、我々の方も単に「mixiは自爆しただけ」くらいに思っているのなら、また同じことを繰り返すでしょう。

日本では、自分たちの工夫が言語化されないまま、無自覚に消えていくことが多いです。それでは、突出したプレイヤーの知識が横展開されません。実際、かつてのトヨタウェイやカイゼン主義も、言語化したのは結局アメリカ人でした。だからこそ、失敗を反省すると同時に良かった点をしっかり共有していくのも強調したいです。誰かが良いアーキテクチャを作っていたら、ちゃんと褒めようよ――そう思います。

その点で、LINEが「ウォール機能」のあとに入れた「メモ」の機能は、大変に素晴らしいものだと思います。

トーク画面の中に重要な写真を残せる機能なのですが、これによって本来はフローなコミュニケーションでしかなかった、相手との思い出の記録がストックできるようになりました。この中に思い出が溜まれば溜まるほど、他のサービスに乗り換えられなくなるわけです。僕も嫁と一緒に、自分の娘の50MB相当の動画を残しました。この妻との「メモ」の素晴らしさなんて、ソーシャルストリームに流しても絶対に他の人には通じないでしょう。全くもって、なんともパーソナルでハイコンテクストな機能です。

でも、どうですか?――mixiの日記、コミュニティのバッチ、LINEのメモ、これらって、素晴らしく日本的で素敵な機能だと思いませんか?

(続く)

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※この記事はPLANETSチャンネルで連載中の尾原和啓「プラットフォーム運営の思想」を転載したものです。

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