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身の回りから消える墨。1200年の歴史を攻めて守る、墨職人の次の一手

2017年04月12日 22時32分 JST | 更新 2017年04月12日 22時34分 JST

「書道」が習い事の定番ではなくなる?

正座して、硯に向かってゆっくりと墨を磨(す)る。柔らかく立ち上る墨の匂い。筆に墨をたっぷりと含ませて、半紙に落とす。ひとたび筆を走らせれば、模様が浮かび、墨が滲み、意味を成す。「文字を書く」というシンプルな行為に精神性を求め、文化にまで昇華させたのが、他ならぬ書道だ。

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しかし今、書道は大きな岐路に立たされている。消滅の危機に瀕しているのが「墨」だ。最大の産地の一つである三重県鈴鹿市、伝統工芸品として名高い「鈴鹿墨」。かつて鈴鹿に数多くいた墨職人は、残り1人になってしまった。

「時代の変化」と言ってしまえばそれまでかもしれない。レジャー白書2015によれば2005年から書道人口410万人は2013年には300万人、市場規模900億円にいたっては4割減少の550億円にまで落ち込んだ。

かつては「読み書き算盤」として"習い事の常連"だった書道はその存在感がなくなりつつある。鈴鹿墨もそのあおりを受けた。

鈴鹿墨の起源は1200年、平安時代にまで遡ると言われている。平安初期に鈴鹿の山で採れる松材を燃やして墨の原料となる「すす」を作っていた。江戸時代には寺子屋の発達で墨は庶民にまで広まり、長い歴史を持つ鈴鹿墨は紀州徳川家の庇護の下、伝統工芸品としての地位を築いていったのだ。

墨の産地、三重県鈴鹿で最後の墨職人

祖父の代から約100年にわたって、墨を作り続けてきたのが伊藤亀堂の一族だ。3代目になる亀堂は墨業界では「ただ1人の伝統工芸士」として認められている。

墨の作り方はシンプルがゆえに奥が深い。原料となる粉末状の「煤(すす)」と動物の骨と皮を凝縮した「にかわ」を煮てドロドロに溶かしたものに香り付けとなる香料を混ぜていく。煤の種類によって墨の発色が異なり、にかわの量が多いと墨液が滲むようになる。混ぜた後は粘土状になった墨を練り、成形したら吸水率がいい梨の木枠に入れる。すぐさま万力で圧縮し、木枠から取り出して乾燥させていく。

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「元は白かったんだよ」という作業場の壁は煤がつもり真っ黒だ。ラジオや携帯などの電子機器は煤が入って「ワンシーズンでだめになっちゃうよ」と笑う。

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photo by 神藤 剛

墨作りは自然との戦いだ。毎年10月から4月の厳寒期の早朝に墨作りは始まる。墨の大敵であるカビが少ないことと、にかわが腐りにくいからだ。「気温が1度違うと配分はまったく変わる。自然には逆らわないように」と作り方を教えてくれた。早朝の作業場の気温は0度に近い。手の感覚がなくなるほどの寒さだが、腰を使って墨を練り上げていく。

現在、多くの墨作りの現場では機械化や分業化が進んでいる。煤は化学物質のブラックカーボンに、にかわは工業ゼラチンに代替されるようになった。だが「1200年くらいの歴史があるのにさ、私らが楽して変えたら先人に申し訳ないよ」と亀堂は語る。

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photo by 神藤 剛

墨を磨ると立ち上る"墨の匂い"としか形容できない独特の香り。みんなで机を並べて墨を磨った小中学校の書道の時間を思い出す読者もいるだろう。だが、そんな光景もなくなりつつあるようだ。

鈴鹿在住の書道家で2016年の伊勢志摩サミットでもパフォーマンスを披露した書道家の万代香華さんは「ここ鈴鹿市でも小学校の書道はほとんどが墨汁です。墨汁は墨とはまったく別物なんですよ。墨汁は化学物質を使っているから筆の痛みは早い。それでも便利なんですよね。今の小学校って書道を学ぶ『総合学習』の時間は1時限だけ。45分だけしかないんです。墨を磨ってる時間がないのも仕方ない」と語る。

これからは墨の磨り方を知らない小学生も増えてくるかもしれない。それほど日本人と墨は縁遠いものになりつつあるのだ。

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だが「墨は元々は城の城壁にも塗り固められていたり、化膿止めにもつかわれていたり、身近なものだった。だからなんらかの形で残していければ」と亀堂は語る。

その思いに答えてみせたのが亀堂の息子・晴信だ。幼少期から墨とはまったく無関係な人生を歩み、一時は漫画家を目指して上京したものの、21歳で父・亀堂に弟子入りした。

「墨を残すためにはなんでもやりました」との晴信の言葉通り、亀堂たちの店には墨の豊かな色合いで染めたTシャツや墨の破片を集めた「香り袋」、果ては和菓子屋とのコラボレーションで生まれた「墨クッキー」なるものまで、ずらりと並ぶ。

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中でも2人が期待を寄せるのが建築塗料としての墨の可能性だ。研究機関(東海技術センター)の調査によって墨にはアンモニアとアセトアルデヒドを減少させる効果があることがわかった。

万代さんの家は書道家にふさわしく、墨で塗られている。「朝日に照らされる墨の色ってピカッと光るんですよ。方や夕日に照らされる墨の色って、ちょっと艶のない漆黒のような感じがするんですよ」と亀堂は語る。

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今や1200年の鈴鹿墨の歴史は亀堂親子2人にかかっている。「『道』ってつく文化って結構書道以外でも非常に減ってきているんですよね。それで目に見えるものを残しておきたいっていうのが自分の中にある。例えば携帯の端末の中にあるものを皆さん大切にしますけども、それが将来半永久的に残るとは思えないんですよ」。

話の終わりに、万代さんに筆をとってもらった。描いてくれたのは「墨守」と三重県を象徴する言葉、「常若」の二つの言葉。伝統を"墨守"しつつも「常に新しく」という精神。三重県鈴鹿市、そこには時代を紡ぎ、次代に託そうとする職人たちの姿があった。

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Text by 武田 旋