勝つプレゼン資料には「感情」がある。ソフトバンク孫社長も認めたプレゼンの極意

ソフトバンク孫社長の元右腕とも言わしめた前田鎌利さん。プレゼン資料に大事なのは"余白"だといいますが、そこに秘められたものとは一体何なのでしょうか?

書家の活動と平行して十数年に渡り通信業界に勤め、プレゼンテーションスキルにおいては、あのソフトバンク孫社長の元右腕とも言わしめた前田鎌利さん

独立後、昨年発売した『社内プレゼンの資料作成術』は5万部を突破するロングセラーとなり、2月18日には新刊『社外プレゼンの資料作成術』を発表。Amazonでは一時ビジネス企画部門においてこの2冊が1、2位を独占するほど注目を集めています。

伝えたい、契約を勝ち取りたいと思うあまり、プレゼン資料にいろいろなものを詰め込むケースが多く見られる中、前田さんのそれは至ってシンプル。大事なのは"余白"だといいますが、そこに秘められたものとは一体何なのでしょうか?

聞き手の心をグッと掴んで離さないための極意と、ご自身がその理念に至るまでの経緯についてお聞きしました。

社外プレゼンは完全アウェー。まずは聞き手の気を引くところから始まる

------社内と社外のプレゼンについて、それぞれ1冊の本ができるほどの違いがあることに驚きました。まずは具体的に両者の違いについて教えて下さい

前田 社内だと対象者が限定されていて、かつ"この会議で問題を解決しなければならない"という聞く体勢が整っていることがほとんど。

対して社外の場合はほぼ初対面の方が対象なので、自分がこれから話すことに興味を抱いていないことが前提なんです。

そもそも聞き手のマインドが全然違います。まずはいかに自分の話に興味を持ってもらうかというのがポイントなので、必然的に資料の作り方もビジュアルが多くなり、心を動かす、感情をゆさぶるような演出を施します。むしろ、そこにかなり強く触れておかないといけないわけです。

------これまで経験されたプレゼンで、聞き手の心を掴んだと確信したタイミングはありましたか?

前田 とある習い事関連の事業提案をした時のことです。習い事をしたことありますか? というクエスチョンを出す前に、何枚かスライドを並べたんです。習字、そろばん、学習塾...etc.写真だけじゃなく数字(%)も入れて。

写真と数字しかないので、聞き手はしばらく疑問だったと思うんですが、実はそれが過去に習い事をしていた人の比率だった。そろばんだったら60%の人がやったことがあるというアンケートのデータをビジュアルと数字で見せたんです。

そこで"ああ僕も昔やってたな"という感じで見てくれた。つまり共感してくれたということですよね。答えを出した段階で、この後の自分の話に期待しているという雰囲気を感じました。

前田 これは一例ですが、僕は心に響く"掴み"を絶えず探しています。普段から、今考えていることのネタにならないかな、っていう目で全てを見ていますね。

本の中でも書いていますが、掴みの段階では「数字+質問」の組み合わせが最強なんです。だから、何かいい数字がないかをよく探しますね。例えば10億円という数字を伝えたい時に、それにひっかけられる比喩がないかな、とか。

人って定性的な内容って記憶に残らないんです。説明すればするほど何を言ってるかよくわからなくなる。でも定量的に数字で伝えると、客観性があるからすごく理解されやすい。だから、意思決定してもらいたい時は、数字の要素が入っていたほうが決めやすいんですよ。

もはやパワポは必要ない!?プレゼン資料自体のあり方が変わってきた

------ 最近、AmazonやFacebookではプレゼンにパワーポイントを使わないという事例も話題にのぼりましたが、これに対してはどう思われますか?

前田 この事例には、理由が2つあると思っています。

まず、事業提案自体が形骸化してしまったパターン。上手く見せて上手く話すからいいものに見えるんだけど、実際蓋を開けてやってみたらうまくいかなかった。だからシンプルにword文書でいいという結論になったのではないかと。

それともう1つは言語的な問題で、英語は文章で書かないと通じないから。

でも日本語って短くても伝わるんですね。漢字がもつ意味合いや、そこに対する補足のメッセージを添えるだけでちゃんと相手に届く。

本にも書いてありますが、タイトルは13文字以内がいいっていうのは日本語だとできるんですけど、英語では無理ですよね。だから外資の会社では文章で書いてある資料を"読む"というやり方が通用するのだと思います。

ただ海外の方でも脳の構造は同じなので、本でも触れているようにグラフが左、メッセージを右に据えたほうがすーっと頭に入ってくると思います。

目的はあくまでも短い時間で言いたいことをシンプルに伝えることであって、びっしり書かれた資料を作ることがゴールではありません。見る人の立場や条件を想像し、ある程度の余白を持たせることが大切なんです。

「プレゼン」にも「書」にも通じる"余白"の大切さ

------"余白"とは具体的にどのようなことですか?

前田 文字通り、びっしり書き込まずに余白を残すということです。

例えばポインターで「ここです、ここです」って指すのは、どこのことを話しているのかわからなくなるからだと思うんですよね。でも、指されると目もチカチカするし、疲れる。僕から言わせると、見る人に対して失礼です。要点だけを端的に分かるように絞り込むと、必然的に文字で全部埋めるような資料にはならないはずなんです。

キーメッセージの上下にはきちんと余白ができていて、何を言いたいかまとまっている。僕はポインターを使わなくても通じるようにしています。

前田 同じように、書でも余白をとても重視しています。

文字を書くというのは、紙を黒い線で切り取っていく行為なんです。白い余白があるから文字として認識できる。その白をどう残すか、どう切り取るかというのが個性となり、書を楽しむ要素だと思うんです。

字は上手い下手で見るのではなく、好きか嫌いか。黒い線を見るよりも、黒い線を切り取った白い部分を見ると、面白みが増してきます。

そもそも人の字はあまり見る機会がないので、いろんな価値観が身につかない。そうするとどうしてもお手本通りの、上手い下手でしか判断しなくなってしまうんですよね。例えば相田みつをさんの書を見て、みんな「好きだ」っていう。「あの柔らかい味のある字が好き」って。

上手い下手で言ったらお手本通りではないのですが、感覚的に"好き"なんです。僕はそれでいいと思っています。

いっぱい書くのは保険でしかない。相手にしてみれば「つまらない」

前田 相手の価値観をどの程度許容できるかというのは、芸術でもビジネスでも肝になってくると思います。

いっぱい書くって保険なんですよね。抜けもれなく話せるし、安心する。何か聞かれてもそこを読めばいいから。

でも見ている人から言うと"こいつ読み上げてるだけじゃん"って、冷めちゃうんですよ。だから、プレゼン資料に字はたくさん書かないほうがいいんです。

よく言うのですが、ラブレターだっていっぱい書いてあるから伝わるわけじゃない。ちょっと気の利いた1行のほうが心に響いたり、全部書いてないくらいのほうが逆に気になるじゃないですか(笑)。

------シンプルにそぎ落としていく、というのもまた難しそうですね

前田 そうなんです。シンプルだけどそこには究極の"面倒くさい"が詰まっているんです。

例えば書を完成させるには、墨をすり、筆を選び、文字を決め、ものによっては100枚、200枚と書くんです。そしてその中からいい作品を選ぶ。書いたら終わりというわけではなく、上質な筆だと洗い終わるまで2時間くらいかけなきゃいけない。まあ、面倒くさいんです(笑)。

前田 かたやプレゼンテーション資料も、作る前からものすごく大変。僕の場合、5分間で少なくとも50、60枚のスライドを使うのですが、長いと100枚以上にも及ぶんです。アペンディックス(付録)も入れると300枚くらいになってしまう。

ストーリーを組み替えたら、話すためにスライドの順番も覚えたり、練習もしないといけない。しかも一度作ったら使い回しできるわけではなく、相手が変わる度にアレンジする。まあ、面倒くさい(笑)。

そう考えると両方とも一緒。でも時間をかけ、念い(おもい)を込めたほうが伝わるものになるのかなと。"これは書くべきかどうか"という問答を自分の中でやりとりする時間を楽しめたら、やっぱり伝わるものになるのだと思います。

同じものを買うにしても念いがある人から買いたいですよね。生産者が手をかけ念いを込めて作った大根と、人工の光で勝手に育ってきたものだったら、やっぱり農家の方が土にまみれて一所懸命作ったものを食べてみたいな、とか。それと同じだと思います。

究極のプレゼンテーション理念を生み出すまでは、試行錯誤の日々だった

------ここに行き着くまでには、どのような背景があったのでしょうか

前田 当然、最初からできていたわけではありません。僕が勤めていた会社というのは、ある時期は営業主体文化、ある時期はちょっとお国の要素が残った感じ、外資、ベンチャーといろんな経営母体に変わっていきました。

その都度違う文化に触れてきたので、自分が環境に合わせないと話が通じなかったんです。その中で"こうしたほうが通じる"っていうのをいろいろ模索していった感じです。

僕は5歳からずっと書を続けています。幼い頃は頑張って書くことで親に褒められたり、学校で表彰されるのがただ嬉しかった。

でも、ある時を境に書との向き合い方がガラッと変わったんです。僕の両親というのは事実上祖父と祖母で、実の父が他界したため僕ら兄弟を養子として引き取ってくれていたのですが、僕はそれを小6までずっと知らなかったんです。

二人は大正の生まれで、そして文盲でした。そのことですごく苦労したから同じ思いはさせたくないと、僕に字を習わせてくれていたのだと。

その話を聞いてから、僕が5歳から書を始めさせてもらえたことは大きな意味があるんだと強く実感するようになりました。

高校までは先生のお手本が自分の中での"書"だったのですが、大学で書道を専攻すると、何千年と残っている中国の有名書家の作品や、日本の名書、近現代の前衛の書など、いろんなものに触れることができた。そこで初めて深く学び、書に対する膨大な情報量を仕入れたんです。

その一方、中高生の頃は体育会系の部活にも所属していました。そこにあるのは勝ち負け、つまり"勝つために頑張ろう"なんですよね。

でも文化系だとお互いの価値観を認め合うのが評価軸になるので、認め合うためには自分の価値観を持たなきゃいけないし、相手の価値観を理解できるように知識レベルを上げていかないといけない。

そうなると、自分が他を理解するということに時間を割いていくことになるんです。学生時代に両方を体感できたのは、すごく大きかったと思います。

------「勝ち負け」と「お互いを認め合う」こと。反目する価値観を、両方を持ちえているバランス感覚が素晴らしいですね

前田 そういった経験があったので、ビジネスの世界に入った時にどっちも役立ちました。営業は体育会系でよかったんだけど、経営戦略を立てて行く時って数字で明確に見えるものでもないので、やっぱり勝ち負けだけだとちょっと微妙で。

ビジネスのバックオフィスになればなるほど、評価方法って難しいんです。売上が伸びただけで査定ができるわけでもない。期日までに納品できたから評価できるものもあれば、もっと足の長いもので途中経過でも評価しなきゃいけないケースもある。

その時にいかに査定していくか。ある程度定量的に見つつも、人にも価値を見出していくという作業は、大学の時に書を交わしながら芸術論を身につけたことが大きく影響しましたね。

日常生活は毎日がプレゼンテーションの連続!

------新刊『社外プレゼンの資料作成術』をどんな方に読んでもらいたいですか?

前田ビジネスパーソンやプレゼンをする方はもちろん、学生さんにはぜひ一度手に取ってもらいたいですね。また、これから独立、もしくは講師業で何かやっていきたいと思っている方にもおすすめしたいです。

資料を作るかどうかは別として、プレゼンテーションにおける具体的な論理展開のイメージ「課題→原因→解決策→最後の決断における効果」という流れは、普段の生活でしゃべる時にも意識したいところなんです。

資料を作ることが全てではなく、相手の気持ちを動かし、その上で自分のことをしっかりお伝えするのが重要。

だから風邪をひいて病院で自分の症状を説明するのも、喫茶店で飲みたいものを注文するも、毎日がプレゼンテーションの連続なんです(笑)。それが練習につながるものだと思っています。

『社内プレゼンの資料作成術』はこちらから

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