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紅茶にまつわるバングラデシュの新しい飲用文化

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バングラデシュでは、イスラム教の教えが厳しく守られていて飲酒文化というのは全く発達していない。飲酒文化が発達していない国では、その隙間を埋めるために何かを必要とした。そこで紅茶にまつわる新しい飲用文化が発達してきた。

まず、バングラデシュはどんな国か少し紹介しておきたい。バングラデシュは南アジアに位置する、日本の面積の2.6分の1ほどの小さな国である。その国土はインドに囲まれており、殆どは、沼地か田んぼである。

インドのアッサム州とミャンマーのラカイン州に面した僅かな地域は山脈地帯になっている。その斜面では19世紀の半ばごろから紅茶が栽培されている。

小さな国とは言え、人口は1億6千万人にのぼる。そこに暮らす人々は、人種的にはインド系でイスラム教を信仰している。バングラデシュは1947年に旧英領インド(インド、パキスタンとバングラデシュ)からパキスタンとして独立し、1971年に更にパキスタンから分離独立した。つまり、1947年までインドと同じ歴史を辿ったのであり、社会文化的な構造はインドとほぼ同じであると言える。

現在のバングラデシュでは、紅茶は食生活に不可欠なものであるが、紅茶の消費が始まったのは、19世紀、紅茶の栽培が開始された時期と重なる。つまり、ベンガル地域に旧英領インド政府が茶園を開いたのをきっかけに、バングラデシュ人(インド人)も紅茶を飲み始めたのである。

旧英領インドによる紅茶栽培の開始までの歴史についても触れておく。中国はかなり昔から紅茶を飲んでいた国として知られているが、中国における紅茶栽培は歴史的に古く、中世期時代から中国は世界一の紅茶の産地であった。

19世紀初頭、イギリス帝国は中国に隣接するインド東北部の地形と環境が中国西南部のそれと似ていると考え、支配地であった旧英領インドにおいて紅茶を栽培する計画を立てた。具体的な栽培地となったのは、アッサム州等であった。

アッサム州では、そのころ既にある少数民族によって紅茶が作られ飲まれていたことが判明したこともあり、アッサム州に茶園を作る計画が進んでいった。当時のインドでは一般の人々が紅茶を飲み物にするとは考えてもいなかったが、それにも関わらず、イギリス人が紅茶作りに踏み切ったのは、当時ヨーロッパでは紅茶が輸入品として注目を集めていたためであった。

そのため、イギリス政府はイギリス人のビジネスマンに無償で土地権を与え、茶園を開くことを可能にした。バングラデシュ東北のシレット地域は当時(19世紀の半ばごろ)アッサム州の領域内にあったが、現代インドのアッサム州の他の地域と共に茶園が開かれた。バングラデシュの東南のチッタゴン地域でも、シレット地域と地形や気象が似ていたため、茶園が開かれた。現在でもバングラデシュでは新たな茶園が開かれ続けている。

イギリスの紅茶生産会社が紅茶の栽培を始めたといっても、一般のバングラデシュ人が紅茶を飲むようになるには、さらに百年もかかった。旧英領インド人が紅茶を飲み始めたのは、イギリスの紅茶生産会社によって推進活動が行われたためだと考えられる。

例えば、1907年にはBrooke Bondによって、旧英領インドにおける紅茶の推進活動が進められた。紅茶生産会社の馬車が、カルカッタ等の大都市にやってきて、住民たちに紅茶を試飲させたり、無料で茶粉末を配ったりした。その際には、紅茶の強い味を和らげるために、砂糖とミルクを加えた。こうして旧英領のインド人の口に合う独特な紅茶の飲み方が生まれたのである。

ここでバングラデシュで栽培されている紅茶の特徴を紹介しよう。バングラデシュ産の紅茶は力強い味と、わずかな土の香りを特徴とする。紅茶自体の色は黒味がかった褐色をしており、ミルクティーに向いた紅茶である。

バングラデシュでは、紅茶が普及した初期には、もっぱらミルクティーを飲んでいたが、近年では、ミルクと砂糖の入ったミルクティー以外にも、様々なスパイスを加えた紅茶も飲まれる。例えば、生姜入りのアダ・チャ(生姜ティー)、レモン入りのレブ・チャ(レモンティー)、カルダモンやシナモン入りのモショラ・チャ(マサラティー)等がある。

バングラデシュでは、紅茶の栽培が始まってからほぼ百年後、つまり1950年代に紅茶が一般的に飲まれるようになった。現在、ほとんどのバングラデシュ人は朝・昼・晩と必ず紅茶を飲む。家や職場に客が来たときも先ず紅茶を一杯出す。お茶を出すことは、単なる礼儀の問題以上のことで、それは客に対する敬意とおもてなしのシンボルなのである。

紅茶を美しいカップに入れ、それをお皿に乗せて出す。逆に客がそれに手をつけないことが失礼にあたる場合もある。紅茶は家の中でも、家の外でも飲まれる。人々は朝食後に紅茶を飲み、それから仕事に出かけ、さらに午後にも紅茶を飲む。

午後の紅茶にはおやつが伴われる。おやつには様々な手作りのものがあってどれも非常に美味しい。代表的なのはシンガラ、ソムチャ、プリ、パクラ、アル・チョプ、ジラピー、チョトポティ等である。お茶とお皿に盛ったおやつで午後の時間を過ごすのは、バングラデシュの日常的な光景である。

紅茶が普及してから、チャエル・ドカン (喫茶店、茶屋台、紅茶カフェ)という店が町やバジャールで見られるようになった。友人や仲間を「(チャ・カオア・ジャク)紅茶を飲もう」、「(チャ・チョルベ・ナキ)紅茶はいかが?」、「(チャ・ケテ・ケテ・コタ・ボラジャク)紅茶を飲みながら話そう」等と声を掛けて誘い、皆で紅茶を飲みに行く。

そしてチャエル・ドカンでお喋りしながら楽しい時間を過ごしたり、一休みしたりするのである。こうしてチャエル・ドカンは、庶民の集いの場所として栄えてきた。

今ではバングラデシュの街中やバジャールのあちらこちらで、チャエル・ドカンに庶民が集まるのを目にすることができる。チャエル・ドカンには、紅茶を飲む目的で来る人もいれば、紅茶を飲むのをだしにお喋りしに来る人もいる。

したがって、紅茶を飲み終ったらすぐに帰る人もいれば、長い時間お喋りしている人もいる。チャエル・ドカンはあたかも欧米のカフェのようであり、人々はそこに集まって国の最近の政治や社会問題について議論することもある。

つまり、チャエル・ドカンは、バングラデシュの社会公共機関のような存在なのである。そういう意味で、チャエル・ドカンは日本の飲み屋にも似ている。日本の飲み屋には夜しか人が集まらないが、バングラデシュのチャエル・ドカンでは、朝、昼、晩いつも人々が集まる。

このように、バングラデシュ人は紅茶の名前さえ知らない民族だったが、イギリス人による紅茶栽培をきっかけに、紅茶の有名な産地になり、国内でも紅茶にまつわる新たな飲用文化を生み出した。そして、この飲用文化は、バングラデシュ社会を映し出す存在になったのである。