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「普通に愛されたいのになぜ」DV・恋愛依存、産後うつの土台は愛の渇望

2017年06月06日 00時52分 JST

医療問題ジャーナリストの熊田梨恵と申します。私は2015年、長男を出産後に「産後うつ」を経験し、初めてその苦しみと孤独を思い知りました。

仕事柄「産後うつ」という言葉は産婦人科医から聞いたことはありましたが、まさか自分がそうなるとは思いませんでしたし、妊娠中は誰からもそんな大変なことがあるとは聞かされませんでした。

私の場合は、産後うつや睡眠不足、片頭痛などから日常生活が送れなくなりました。そんな私がどうやって産後うつの苦しみと向き合い克服していったのか。このブログでは、産後うつ経験者として一つの体験談をお伝えしたいと思います。

前回までは、①初めての赤ちゃんと向き合うことの不安と孤独  ②産後うつの苦しみ ③なぜ子どもの泣き声がつらいのか ④幼少期の心の傷 ⑤自傷行為や買物依存について書きました。私が産後うつになる土台には、両親の愛を求める子どもの頃の自分がいたのです。

今回は、私の過去の心の傷が原因で引き起こされた恋愛依存症、DV(ドメスティック・バイオレンス)などについて書いてみます。

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私のもう一つの大きな依存症が、恋愛依存だった。

恋愛は、家族以外で最も近い対人関係だから、自分の価値観や求めるものが顕著に表れる。

  

私はとにかく愛されたかったし、認められたかったので、相手の男性が自分に興味を示したら「目標達成」となり、途端に冷めた(でもそれだと相手に悪いと思って、ずるずる付き合ったりしていた)。

一人の相手と深い関係を築くことができず、不特定多数からの愛情を欲しがった。

自分に自信がないから、一人でも多くの人から認められたかったということだ。

しかし本当に欲しいのは親から認められることであり、自分でこんな自分を許せて好きだと思えることだったから、いつまでたっても満たされることはなかった。

カオナシ(宮崎駿の「千と千尋の神隠し」のキャラ)のように次から次へと欲しがり、そうすればするほど満たされない自分が増殖し、もっと欲しがるという負のスパイラルだった。

本当に欲しいものは自分の中にあるのに、外に求め続けていたから、当然だ。

相手の男性も傷付けたし、自分自身も傷付けていた。

相手ではなく、自分を見ていただけだ。何をやっても満たされない自分を。

この時期の恋愛は恋愛ではなく、親と自分への一方的な片思いだった。

しかし当時は、自分で何をやっているのか、まったく分かっていなかった。

でも何かおかしい、何かが決定的に私には足りない、満足できない、安心できない、何かが違う、いつもそんな感覚だった。

友達の恋愛は幸せそうに見えるのに、私のは何かが違うと。

まるで霧の中で首を絞められながら、でも何に絞められているのか分からなくて探すけど外せなくて、どちらに行けばいいのかも、今いる場所が正しいのかも分からない、そんな感じだった。いつも、不安だった。

対人関係ではいつも相手の反応が気になったし、相手の考え方に自分も合わせなければいけない、と思い込んでいた。

嫌われたくなかったので、迎合することが多かった。

でも、認められたかったし、すごいねと言われたかった。誉めてもらいたかった。

それだけだった。

社会人になってからは、共依存関係、恋愛依存、DVに陥りやすくなった。

私と親しい人なら、ちょっと書くと「これってあの人のこと?」と想像がついてしまうし、相手のプライバシーもあるので、詳述はしない。(もちろん皆が皆DVや共依存だったわけじゃないです)

私は恋愛依存やDVの関係を経て、心身がボロボロに傷ついた。

「これはおかしい、何かが違う。相手を好きなはずなのに、大切にしたいと思っているだけなのに、どうしてこんなに傷付け合ってしまうのか、私はいつも泣いているのか、苦しんでいるのか、こんなのが恋愛と言えるのか?」

とうっすらと思っていたことが、自分の限界に近づくにつれ現れてきた。

そして必死にカウンセリングや自助グループを探し、とても相性の良いカウンセラーと出会え、同じような悩みを持つ人たちと思いを共有できて、「これは自分だけじゃないんだ」と思えた。

はっきりと自分は共依存状態に陥っていると自覚できたのは、20代後半だった。

それから各種心理学の本を読んだり、講座を受講したり、自分に何が起こっているのかを客観的に見つめ始めた。

そのころになってようやく自分の心に何が起きていたのか、少しずつだが、霧が晴れるように見え始めてきた。

恋愛や人間関係についていえば、私のように相手(親)の基準を無理に受け入れ続けてきた人、もしくは放任され過ぎた人は、相手と自分との間に境界を持つ、ということに慣れていないことが多い。

そうすると、相手と自分との境目がはっきりしなくなり、相手と自分を同一視しやすくなる。

すると、相手は自分のことを分かっていてくれて当たり前なのに自分の思い通りに動いてくれない、と腹が立って思い通りにコントロールしたくなったりする。

相手からすれば、自分はしたいようにしているだけなのに、なんで怒られないといけないのか分からない。

相手との境界をはっきり持つことができていれば、相手の境界にずけずけと侵入しないし、コントロールしない。かつ自分の境界に必要以上に入らせない。自分と相手を尊重した関係、つまり互いに心地よい距離感を保てる。

(この辺りは心理学の本などに詳しく書かれているので、もっと知りたい方は専門の書籍をご覧ください)

恋愛依存やDVなどの共依存状態は、互いの境界に侵入し合うために尊厳が冒され、傷つけ合い苦しむことがほとんどだが、心が通じ合えた(本当に通じてはいない)時の歓喜は稲妻のように大きく、中毒になる。感情のプラスとマイナスの振れ幅が大きく、その感覚をもって「この人には自分しかいない、運命の相手だ」とか勘違いするからタチが悪い。

そして何より、相手が自分に基準をくれる。

自尊心や自己肯定感が育たないと、自分の中の考え方や行動の基準に自信がなく、常に不安に揺れている。他人の目線や言葉、評価が気になり、つい言われるままに行動してしまう。何より、他人に従っている方が考えなくていいので現実逃避できて楽だったりする。(カルトや新興宗教にはまる人の心理はここにあると思っている)

私の場合も18年間親の考え方が私の基準になってしまっていて、自分で考え行動することを知らなかった。

だから、自分でやりたいようにやれと言われても、どうしていいか分からないし、自信がなかった。そうすると周囲の言動に振り回される。

しかし恋愛相手ができると、自分が「この人だ!」と思った人が基準をくれるので、完全に相手の基準に沿った考え方や行動に染まってしまう。自分は楽だし、相手は自分をコントロールできている優越感に浸れる。

恋愛依存やDVに陥りやすい人は、「こいつはコントロールしやすいやつだ」「この人は私を庇護してくれる」と、見事なほど瞬時に相手を見抜き(意識してないかもしれないが)、共依存関係にはまっていく。そして泥沼の大恋愛悲劇を、二人で手を携えて繰り広げる。

なんにせよ、互いの境界に侵入して支配し合う共依存状態は、健全な人間関係ではない。

自分の境界をはっきりと持ち、時によって境界を動かせる自己制御ができ、互いの境界を尊重し合える関係が心地よい人間関係だと思う。

(言葉で書くのは簡単だが、慣れてこなかった人は日常の中で練習することが必要。私も日々練習している)

 

恋愛とは結局、相手を通して自分を見ているにすぎない。

人間関係も同じで、相手という鏡を通して、自分の考え方のクセを見ているだけ。

同じ人の言動を見ていても笑ったり、怒ったりと、人によって反応が異なるのはそのせいだ。

他人は自分の鏡。

鏡はいつまでたっても鏡なので、相手に変わってほしかったら、自分が変わるしかない。

そのことに気づくまでに、親元を離れてから10年近くかかった。

  

  

 

 

(2017年5月19日「ロハス・メディカルブログ」より転載)

 

 

前回の記事①産後、何が、なぜ大変になるのか? 私が「産後うつ」の苦しみを語る理由

     ②「誰かこれで大丈夫だよと言ってほしい」初めての出産で経験した産後うつ

     ③「抱っこしなければ」の奥底にあるもの 私が産後うつを語る理由

     ④「お父さん、お母さん、私を愛して」幼少期の心の傷が産後うつに

     ⑤「死にたい」過去の傷が引き起こした自傷行為や買物依存、産後うつの土台

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