BLOG

犯罪者の親の責任と謝罪を要求するマスコミ

2014年02月26日 23時54分 JST | 更新 2014年04月28日 18時12分 JST

ビジネスジャーナルが掲載していた「名古屋・暴走車無差別殺人未遂事件~表に出てこない父親は、不祥事続く愛知県警の幹部」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。

1 記事の紹介

 「2月23日日曜日の白昼、大勢の人でごった返すJR名古屋駅前の歩道を自動車が暴走し、男女13人を次々はねるというショッキングな事件が起き」ました。

 容疑者(30歳)が逮捕され、「家族と折り合いが悪かった」と述べているそうですが、「編集部の調べでは、父親は愛知県警の総務部というセクションの幹部」で「これまでのところ、父親が被害者に謝罪したという話は聞こえてこない」そうです。

 更には「県警自身が、父親の身分をつまびらかにせず、表に出さないようにしている節がある」ともしています。

 「殺傷事件などが起きた場合、本人に代わって親族がマスコミを前に謝罪することがある。ましてや、犯罪を追及してきた警察官であれば、堂々と姿を現して息子の非をお詫びして被害者の感情に応えるのが筋ではないか。愛知県警では最近、暴力団関係者に捜査情報を漏らしたとして次々に警察官が逮捕されている。コンプライアンスが厳しく問われている時に、今度は隠ぺいか、などと言われかねない」という「大手紙の社会部デスク」の声も紹介しています。

 他に同じ方の「五月雨的にマスコミが押しかけ、いわゆるメディアスクラム状態になってしまうと、加害者側の親族が精神的に追いつめられるケースがある。・・・もちろん、成人している容疑者については、その親族は謝罪する義務がない、という理屈も成り立つが、被害者感情が許さない。警察当局は日ごろから、メディアスクラムを起こすマスコミに批判的だ。今度こそ、身をもって加害者側家族として被害者に向き合ってほしい」という意見も紹介しています。

 そして「隠ぺい体質といわれないためにも、ここは潔い対応が望まれるところだろう」と結んでいます。

2 マスコミの取材

 私はマスコミの過剰な取材についてはかなり批判的で、本筋と関係のない個人の趣味などを報道することについても如何なものかと思っております(農薬混入事件の容疑者のコスプレ趣味を報道する理由)。

 元記事では、「親族は謝罪する義務がない、という理屈も成り立つが、被害者感情が許さない」と格好の良いことを書いておりますが、だったら被害者に直接親族が誤れば良い話で、マスコミの前で会見をする意味が全く私は理解できません(亀岡市の無免許事故で、警察や学校が個人情報を漏洩した理由)。

 それに、元記事では偉そうなことを書いておりますが、マスコミはだったら自分が不祥事をおこしたときにどのような対応をしてきたかという話で、常日頃他人を批判する者として本来であれば自分に厳しくあるべきなのに、どうも自分たちの不祥事については、なかったことにされてしまうことが多いようです。

3 親族の責任

 親族(直接問題になるのは親でしょうが)の責任と言った場合、私は基本的には成人した者の責任を親(親族)がとらなくてはならないというのは如何なものかと思っております(『加害者家族』)。

 以前みのもんた氏について、息子の犯罪行為に関連して批判したことがありますが、あれは彼が常日頃から親の責任について言及しているからです(親の責任に言及したみのもんた氏と普段の行動)。

 つまり、他人の不祥事に関しては、親の責任についていろいろ言う一方で、自分の子供が何かしでかした場合は、親の責任は無いというのはおかしいという観点からのみの批判です。

 親について、確かに道義的に全く責任がないとは言いませんが、あくまで親が自発的に行うものであり、他人から強要されるのはおかしいというのが私の基本スタンスで、そうした謝罪を強要するマスコミは「何様」としか私は思えません。

4 最後に

 マスコミにしてみれば、売れるネタをあさっているだけに過ぎないわけですが、さすがに、そうは書けないので、いろいろ「被害者」などを表にだして自己正当化を図っているわけですが、それはそれで被害者に対し、失礼ではないかと考えます。

 政治家を批判するときは、「国民の代表」に勝手に就任し、国民は怒っているなどと勝手に発言するわけですが、それについても同じ理屈で、私は国民に対し、大変失礼なことをしているのではないかと思っています(ジャーナリストが反対する法は「悪法」?)。

(2014年2月27日「政治学に関係するものらしきもの」より転載)