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「自然分娩」と努力至上主義

2013年06月18日 23時32分 JST | 更新 2013年08月18日 18時12分 JST

工藤啓氏が書かれていた「出産の『痛み』を和らげる手段が回避されてしまう理由」という記事がいろいろ興味深かったので、これを自分なりに、何度かやっている「日本人論」的な立場(国連でいきなり上田大使が"Shut up!"とキレてしまった訳)から見ると、どうなるか等と考えながら書いたものです。

1 「自然分娩」が一番か?

あるとき知り合いの女性の方が「帝王切開で子供を産んだことをいろいろ義理の母親から言われて悔しい」と言っていたことがあります。いろいろ理由があったと思うので、帝王切開をされた理由などは聞きませんでしたが、お子さんは元気に育っておられると聞いています。

因みに、その方が怒っていた理由は「帝王切開だと自然分娩より苦労が少ない」と言われたことや、「自然分娩が一番だったのに」等といろいろ言われていたからだそうです。

何故その話題を彼女が私に話したかというと理由があります。統計を見たことがないのでどの位の割合かはわかりませんが、中国では帝王切開が結構一般的で、中国滞在中に知り合った方は殆どと言って良いほど帝王切開で子供を出産されており、そのことをふと、話していたからです。

その知り合いの女性は、多分この話を聞いて、帝王切開は何も自分だけではないし、「自然分娩」と比較して「自然」ではないといろいろ言われていたのが、帝王切開が一般的な国もあるということを聞いて嬉しくなり、いろいろ話してくれたのかと思います。

「自然分娩」という名前そのものが「自然」で良いものだという前提で名称がつけられており、それについてもいろいろ思うところがありますが、とりあえず保留にしておきます。

2 日本人の宗教観

私が、今日話題にしたかったのは、苦労して(痛みを長時間我慢して)子供を出産することが良いものだという価値観についてです。

こうした価値観は至るところで見ることができ、日本人の宗教観にもこうしたことがみられると思っています。

日本の場合、お百度参りやお遍路などに代表されるように、何かを神仏に頼む場合には、それなりに努力すべき(対価を支払うべき)だという価値観があります。最もわかりやすい例がお賽銭ですが、基本的にこちらが何かをすれば、神仏はそれに応えてくれるという発想です。

結果、反対にきちんと祀らなければ祟りや様々な厄災をもたらすとも考えられるようになります。日本史的には菅原道真公や崇徳上皇などがその最たる例でしょうか(日本の神々について)。

別にこれが悪いとかどうこう言うつもりはなく、ただ、キリスト教に代表される一神教では、人間ごときが全世界を創造した神の考えを知ることができるはずもなければ、神に取引を求めるような形で、何かを頼むこともあり得ないということを言いたかっただけです(『ふしぎなキリスト教』)。

原因があるから結論があるという「因果応報論」はもともと仏教の発想で、何も日本だけにあるわけではありませんし、こうした発想があり、努力すれば何とかなると信じているから、人は頑張ろうとするのだという一面もあるかと考えます。

3 努力したら成功するか

ただ、中にはこうした発想を逆転させて努力なしに獲得したものは価値がないと思う方もいるわけで、結果、痛みを伴わず、時間的にも短い時間で出産した方に対して、いろいろ言う方もいるとなれば、どうかなと思ったものです。

ただその一方で全く正反対のことを考えるのも人の性として、仕方がない面もあるかと思います。fujiponさんが指摘されているように、ダイエットなどが典型ですが、本来、厳しい食事制限と運動といったかなりつらい過程を経て、やっと実現できるのがダイエットです。

しかし、各種さまざまな「お手軽ダイエット」がもてはやされているとおり、内心皆、簡単に結果が求められればという思いがあるのはどうしようもないと考えます。

そのため正直、一方で「努力をしないとそれなりの結果を得ることができない」という価値観があり(「ボッチ」でいる「自由」と、他人とのつきあい方を学ぶこと)、その一方で、「楽をして成果を得ることができればそれにこしたことはない」という思いがあるというのが本当のところではないでしょうか。

4 最後に

そのため、「自分は苦労して子供を産んだのに」という思いが強い義理の母親にして見れば、「帝王切開で楽に子供を産んだ」としか思えない嫁に対し、いろいろ言いたくなるのもわかる様な気がします。

ただ、そんなのは、義理の母親の勝手な都合でしかないのも間違いありません。斯様に、どうも日本には、しなくても良い努力をしていたり、方向性が間違った努力をしている方がどうやらいるのではないかという気がしてなりません。

受験勉強などが典型で、本当に努力しているのは誰もが認めているのに、いつまで経っても点数が伸びない方がいる反面、要領が良く、短期間で効率的な成果をあげる方もいるのが悲しい現実です。

努力をしなければ何も得られないのは間違いありませんが、努力だけを重要視したり、努力すれば必ず成果が得られるべきだと思うのは如何なものかと思ったが故の今日のエントリーでした。

「政治学に関係するものらしきもの」6月19日の記事を転載しました)