BLOG

日本語を世界に普及させるためには何が必要か

2013年08月20日 15時08分 JST | 更新 2013年10月19日 18時12分 JST

最近ブログで翻訳を殆ど行っていないので、すこし後ろめたい気持ちがありますが、今日は何度かやっている(外国語を話すということ。、日本人が英語を話せない理由(中国人の分析))語学ネタです。

『読売新聞』が掲載していた「日本語の普及 海外で知日派を育成するには」という社説がいろいろ興味深かったので、これについて少し。

1 記事の紹介

「日本語を海外に普及させ、国際社会での日本の存在感を高めたい。外務省の有識者懇談会が、こんな報告書をまとめた。政府は、日本語普及策として予算化を検討する」という記事です。

「漫画、アニメ、ファッションなど『クール・ジャパン』が世界の若者の心をとらえている。こうした状況を積極的に生かそうという狙いは、的を射ている」としています。

その上で、「こうした政策によって、日本語を学ぶ外国人が増えれば、日本への理解は深まり、知日派、親日派の層も厚くなろう。海外進出が増加している日本企業が、現地で日本語を話せるスタッフを確保する面でも役立つに違いない」と利点を強調します。

「外務省が、日本語普及策を検討する背景」として、「海外での日本語熱が冷めてきた」を指摘します。その原因の1つとして中国語に言及します。

「経済成長の著しい中国の魅力が高まっている」だけでなく、「中国は、孔子学院など、政府系機関を世界各地に配置し、中国語教育や教材提供、教員育成に力を入れている」現状を紹介しています。

そして、「政府は今回の提言を踏まえ、日本語普及への戦略を抜本的に立て直してもらいたい」と結んでいます。

2 日本語の「排他性」

確かに中国が積極的に中国語を理解する人材を増やそうとしており、それに対して日本はこうした中国の取り組みから見れば、日本語を理解できる人材の育成に力を入れてこなかったと言われても仕方がないというはそのとおりかと思います。

ただ、私はそれ以前に日本人の日本語に対する「外国人が日本語を話せるはずがない」という変な思いとでも言うべきものが大きな影響を与えていると思います。

実際、そんな馬鹿なことはないわけで、実際日本がで生活する外国人が全く日本語を話せなければ、いざ何かあったとき、全く意思疎通ができなくて困るわけですが、外国人(特に欧米人)は英語が話せるから普段から尊重されるようなところがなきにしもあらずと思っています。

実際、かなり日本語を話せる外国人がいても、アクセントがおかしいな日本語となれば、(自分は全く外国語ができないことを棚に上げて)陰では結構いろいろ言う者がいるのが実情かと思います。

別にこれは外国人に限った話ではなく、方言でもよその地域の人が現地になじもうと、その地域の方言を話すと、思いっきり嫌な顔をする人がいる等、日本人同士でもあることですが・・・

3 中国語の「排他性」

こうした語学の面で日本と中国を比較するという話は良く聞きます(日本人は中国人に勝てないのか?)。対比なので、意図的に違いを強調することが多いわけですが、本当にそうかというのが私の感想です。

確かに中国の記事に良くあるように、中国の長所を強調するあまり、中国語の普及率などについて、いろいろ良い面ばかりを強調する記事というものは存在します(最も学ばれている外国語は中国語?)。

しかし、実際問題、中国のソフトパワーの影響力の少なさというのは中国もいやという程認識しており、結果元記事にあるような「孔子学院」という話になっているわけで(「価値観外交」とソフト・パワー)、こうした政策はどう見るかによってかなり異なる評価になると考えます。

先に日本の悪口を書きましたが、中国でも「ウチ」と「ソト」と呼ばれる現象は良く見られることで(中国に「反日教育」は存在しない(反日デモも言うほど怖くなかった)?)、結果同じ様な排他性というのは存在します。

しかし、中国の場合あまりに広すぎて、広東語に代表されるように方言というのはあまりにも違い過ぎるものが存在するように、東洋人であれば、多少発音がおかしい中国語を話しても、変な方言を話す中国人と思われてしまうことがあります(日本人独特の発音の癖があるので、日本人の話す中国語に慣れている中国人にはすぐ日本人だと分かってしまいますが)。

結果、思うに中国人自身はそれなりの排他性を持っているわけですが、語学という面では、あまり「排他性」が強調されない形になるかと思っています。

4 最後に

確かに元記事の主張することは正論で、反対する気はありませんが、こうした日本語の「排他性」をどうにかしないと外国人が日本語を学ぶ意欲をなくしてしまうのではないかと思います。

思うにこうした「排他性」が外国語を習得するのは大変だという思いからきている面もあり、日本語で日本語を教える日本語教師に対する不当なまでに低い評価(給与、待遇)にも大きな影響を与えていると考えます。

結果、日本語を教える人材も不足しがちという悪循環に陥ってしまっているという面もなきにしもあらずではないでしょうか。

(※この記事は、2013年8月20日の「政治学に関係するものらしきもの」から転載しました)