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「24時間テレビ」という形態に対する疑問

2013年08月26日 00時48分 JST | 更新 2013年10月25日 18時12分 JST

さて今年も恒例の24時間テレビが放送されましたが、いろいろ思うところがあったので、これについて少し。

1 ギャラの問題

やはりどうしても最初に考えてしまうのは、出演者のギャラの問題です。チャリティと銘打って一般の人から募金を集めることが目的なわけですが、極端な話、金に色はないので、芸能人(芸人)に払う金があったり、24時間放送する内容をつくる金があったら、それをそのまま募金した方が早いと考えます。

もし本当にテレビ局が募金第一だというのなら、番組の制作費をそのまま寄付して、24時間全く何も放送しない、もしくはただ淡々と募金の様子だけを放送するという方法もあるのではないでしょうか。

実際、東日本大震災のときなどは、長期間コマーシャルが流れないということがあったわけですから、企業もその気になれば、企業名だけだして、いくら寄付したという形の報告だけという方法もあるかと思います。

2 チャリティ

そうは言っても金の問題だけではなく、障碍者など困っている人のことを知ってもらうという意味もあるという話もあります。

確かに普段スポットが当たらない話題に対し、芸能人を利用することによって、人々の関心を集めるということは意味があることかと思いますし、彼(女)らの抱える様々な問題を社会が共有するというのはとても大事なことかと考えます。

しかし、思うのは、年に1回こうした形でスポットライトをあてるだけで良いのかという話です。私自身の話で恐縮ですが、ブログを書いている目的の1つにどうしても他人に関心をもってもらいたいというものがあります(ブログを書いていて他人から認められないとつらい?)。

続けていると、たまに誰かが取り上げてくれたりすることがあります(私の経験から言うとやはりYahooの影響力はすさまじいというのが実感です)。すると、その時はすごいアクセス数となるわけで、思わず喜んでしまうわけですが、所詮一過性のものに過ぎません。

テレビのスポットライトというのはこれと同じようなもので、確かに取り上げてもらわないよりは取り上げてもらった方が嬉しいわけですが、本当に必要なのは日々の関心(定期的に来てくれる読者)であることは間違いありません。

3 中国の話

このチャリティという問題を考えるとき、私はよく中国の事案が思いだされます。といっても、中国のチャリティが素晴らしくて日本の参考になるという話ではありません。

実際、あれだけ汚職の激しい国なので、中国赤十字も例外ではなく、かなりの醜聞をまき散らしているというのが本当のところで(中国赤十字に対する「醜聞」中国赤十字に対する「醜聞」2)、結果誰も募金をしなくなってしまっています。

中国ではロクに社会保障も整備されておらず、生活に困っている人は大勢いるわけですが、貧富の差が激しく豊かな人は本当に豊かな生活を送っています(中国で忘れ去られた人々(写真)中国のいかにも成金といった人たちの写真)。

結果、こうした貧しい生活を送っている人は、本当に困ると最後の手段として、何とかこうした豊かな人達の同情心に訴えて金をもらうしか手がなくなることがあります。その際、肝心なんは、如何にして人目を集めるかという話になりがちです(女性が30mのクレーンに登って給料未払いを抗議)。

結果、ヤラセ等の問題も出てくることになります(「金持ちの息子」の言葉を信じた慈母」「「金持ちの息子」の言葉を信じた慈母2」)。

こうした点からも確かに目立つこと(社会の関心を集めること)は大事だと思いますが、果たして関心を集めればそれだけで良いのかというのは、いつも考えてしまう問題です(関心が無いよりは有った方が良いわけですから)。

4 最後に

最後に、すごく身も蓋もないことを書いてしますと、テレビ的には10円玉や100円玉をボトルに集めて持って来てくれた人などを取り上げることがよくあります。

確かに、如何にも子供がお小遣いの中から少しずつためてくれたという感じで、すごく絵になるわけですが、実際問題、金額を数える手間(含む人件費)などを考えるとどれだけの効果があるかは疑問です。

それよりは明らかに大金持ち(企業)が1000万単位の金を寄付してくれた方が遙かに手っ取り早く、効果も大きいわけですが、どうもそうしたことは番組の趣旨にはそぐわないようです。

困っている人に対して、何が最も効果的で、効率的かということを考えると、私はどうしても今のままの24時間テレビという形態はかなり無駄が多すぎると考えると思ったが故の今日のエントリーでした。

(※この記事は、2013年8月25日の「政治学に関係するものらしきもの」から転載しました)