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「自主避難」という行動に対する責任と賠償請求

2014年03月15日 01時14分 JST | 更新 2014年05月13日 18時12分 JST

j-castニュースが配信していた「東京、神奈川などから九州への自主避難者 『一定の汚染ある』と賠償請求、に疑問相次ぐ」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。

1 記事の紹介

「原発事故後の不安から、東京や神奈川など関東地方から九州に移り住んだ自主避難者らが国や東電を相手に損害賠償を求めて提訴すると報じられた」ことを受けての記事です。

「福島県からの避難者らが国などを提訴し」ましたが、「関東からの自主避難者らも9月までに訴訟を起こすことも報じられ」ました。

「避難者らは、事故後の放射線拡散の不安から九州に転居し」ましたが、「住み慣れない土地で精神的苦痛を受けたと訴えている」とのことです。

記事では、「東京都葛飾区から福岡県内に家族3人で避難した元高校教諭の男性(60)」が紹介されており、「40年の教師人生で培った人間関係が断ち切られたことが一番悲しい。国と東電の責任を追及したい」と会見で話したそうです。

これを受けネットでは、「ホットスポットの問題はあるものの、自主避難で賠償まで求めるのはどうなのかと疑問が相次いだ」という記事です。

2 不信

確かに原発事故はかなりの不安を巻き起こし、特に小さい子供を持たれていた家庭ではかなりの不安があったのは確かかと思います。

それに政府の対応にも問題があり、本来真っ先に出すべきデータを開示しなかったことや(原発事故に関する「言論統制」)、データの公表に問題があったり(原発事故2題)「大丈夫」と言っておきながら、結局避難せざるを得なくなってしまった地域もあります。

こうしたことが政府に対する不信感を招いたことは間違いなく、私自身も当時の政府や東電の対応は大いに批判されてしかるべきかと思います。

ただ、その一方で、国民の対応についてもどうかと思うものがあったことも確かです(放射線と差別)。

また、確かに政府発表が信用できないとは言っても、全てが全て信用できないという態度もどうかと思っており(震災がれき受け入れ反対と新興宗教)、全く信用できないから九州まで逃げる、それに掛かった金額の賠償を求めるというのもどうかという話です。

3 裁判

裁判は個々の事案で判断されるべきなので、一概にどうこうというつもりはありませんが、一般論として、それほど危なくないところから「自主避難」したのであれば、それは基本的に自己責任の範囲内ではないでしょうか。

あとは個別具体的に近くにホットスポットなどがあったのであれば、転居の必要性は認めるが、果たして九州が妥当だったかという判断をしていき、賠償額を決めるという話になるかと思います。

ただ、ここでやっかいなのは、「それほど危なくないところ」と言うのは、後になってわかるという話で、往々にしてわかってから逃げたのでは間に合わないことが良くあります。

人は何かをなすとき、自分自身で様々な情報を得て判断していくわけですが、必ずしも全てが全て最良の選択ができるわけでありませんし、当時の切羽詰まった状況では、得られる情報も限られていたでしょうし、先に述べたように信用できなかったいうのもわからないではありません。

結果、後から考えると、おかしな行動になってしまうことはよくある話ですが、そのことについての「責任」といった場合、どこまで他人の干渉があり、どこまでが自分の責任と認められるかという話ではないでしょうか。

4 最後に

取り返しがつかなくなる前に行動しようというのもよくわかる話で、後から特に子供の健康を第一に考えれば、はっきりしていない状態なのだから、最も安全な策をとろう、最悪のことを考えて行動しようというのもわからないではありません。

なければないでこしたことはないものの、実際、万が一ということもあり、もしかしたらということのために行動するという心理は大変良く理解できます(ただ、程度問題で、これが行き過ぎると不安障害などになってしまうわけですが)。

そういう意味で一概にこうした「自主避難」という行動を批判するつもりはありませんが、自分の行動(選択)には自分で責任をとるというのが原則である以上、自分でした避難という行動(選択)について、損害賠償まで求めるのは特別の事情がない限りどうかというのが私の基本的な意見です。

(2014年3月8日「政治学に関係するものらしきもの」より転載)

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