最低賃金を2倍にすると何が起こるか

想像してほしい。最低賃金を時給1,700円に引き上げて、アルバイトにも社会保険や有給休暇を徹底し、サービス残業は完全禁止、ちょっとした違反でも厳しく取り締まる......。そんな世の中になったら、いったい何が起こるだろう。

さあ、新聞記者にはできないくらい突飛なことを書こう。

学者にはできないぐらいバカげたことを考えよう。

なぜなら、私はブロガーだからだ。

想像してほしい。最低賃金を時給1,700円に引き上げて、アルバイトにも社会保険や有給休暇を徹底し、サービス残業は完全禁止、ちょっとした違反でも厳しく取り締まる......。そんな世の中になったら、いったい何が起こるだろう。最近では「雇用流動化」を旗印に、労働者の賃金は引き下げられる一方だ。では、それに逆行してみたら、どんな世の中になるだろう。

こちらの記事では、経済産業研究所の「サービス産業における賃金低下の要因」というディスカッションペーパーを紹介している。この資料によれば、国際競争に巻き込まれているはずの製造業よりも、むしろ国内的なサービス業(※とくに小売業、飲食業、運輸業)で賃金の下落が進んでいるらしい。原因は非正規雇用が増えたこと、そして(※パートタイムが増えたのだから当然)労働時間が抑制されたことだという。

これはとても興味深い。

たとえばフィリピンではBPO分野が急成長しており、世界中の企業の管理部門やコールセンターが集まってきているという。またかつて貧困に苦しめられていたマレーシアのインド系住民だが、最近では裕福な層が増えているらしい。大陸からITエリートたちが移住してきているそうだ。

IT技術者や会計、経理などの仕事は、激しい国際競争にさらされている。グローバル化で賃金が下がるのはこういう分野であるはずだ。富山県のジャスコでレジを打っているのは富山県民であって、マニラやセブ島の住人と競争になるわけがない。

「グローバル化」を敵視する人がいるのは、それが賃金を引き下げるための方便として使われているからだ。世界の経済格差が緩和されるのは、本来なら望ましいことだ。人道的に正しいというだけでなく、消費者が増えて市場が拡大するという意味で、経済的にもすばらしい。にもかかわらず「グローバル化」という言葉に苦々しい気持ちを覚える人がいるのは、この言葉が、国内の格差拡大に正当性を与える言葉として利用されているからだ。この言葉を盾にして、グローバル化とは全然関係ない人たちの低所得化が進んでしまった。

ここで冒頭の疑問が浮かんでくる。

もしも最低賃金を大幅に――たとえば時給1,700円に――引き上げたら、どんなことが起こるだろう。アルバイトにも社会保険や有給休暇を徹底し、サービス残業は完全禁止、ちょっとした違反でも厳しく取り締まる......。いわゆる「雇用流動化」とは相反することをしたら、どんな世の中になるだろう。

まずは地方に目を向けてみよう。

国道沿いのジャスコやスタバ、マクドナルドのなかでも、収益性の低い店舗は次々に閉店するだろう。人件費が高すぎて儲けを出せないからだ。人口密度のとくに低い地域では郊外型店舗さえもなくなり、モノも仕事もなくなる。本格的に人が暮らせない場所になる。そして住民たちは近隣の都市部へと移住する。

生活のコストは分散して暮らすほどが高くなり、密集するほど低くなる。人々が都市部に集まれば、もはや山を切り崩して余計な道路を作らなくてもいいし、水道管や電線も必要最低限で済む。自然環境にも行財政にも優しいのだ。さらにモータリゼーションとファスト風土化で分断された人間関係が、人口密度の高い地域では復活している。

また地方から都市部へと脱出した人々のなかには、相当数の農業従事者がいるだろう。が、自分たちの農地をタダで手放すわけがない。耕作放棄をするのではなく、野心的な生産者へと貸し出すなり売りつけるなりするだろう。こうして資本集約的で現代的な農業が可能になり、生産規模は現在よりもはるかに大規模になる。日本の農産物の価格は下落して、国際的な競争力を取り戻せる。

以上が、「雇用流動化」を逆行した場合の地方への影響だ。

では、都市部ではどうだろう。

ワタミのような飲食チェーン店、また大手スーパーやコンビニなどの小売店では自動化・機械化が進むはずだ。人が集まる地域ではこれらの業態をやめるわけにはいかない。しかし、アルバイトの人件費が高ければ利益を生み出せない。そして、そもそも「人を雇わない」という方針へシフトするだろう。いささか比喩的な表現をすれば、居酒屋やファミレスでは料理がベルトコンベアで運ばれてくるようになるし、コンビニは巨大な自動販売機になる。

さらに運輸業では、無人運転が本格的に検討されるはずだ。

すでにモノレール等で始まっていることが、鉄道や大型車両に波及していく。港で貨物を積み込んだトラックは、高速道路の入り口までは遠隔操作で、高速道路上は自動運転で走るようになる。こうして1人のドライバーが自宅から複数のトラックを管理できるようになり、人件費、ひいては輸送コストが低下し、あらゆる製品の価格が下落する。いずれは遠隔操作さえも必要なくなるだろう。

こうした機械化・自動化は、現在の技術ならば充分に可能だ。法規制などは、財界の要請があれば簡単に変わってしまう。現在、機械化が進まない最大の理由は人件費の安さだ。自動化を真剣に研究するよりも、人間を使い潰したほうが安上がりなのだ。だから小売業や飲食業、運輸業などの分野では、人間が機械のような扱いを受けてしまう。

ワタミなどの飲食業、コンビニなどの小売り、そして運輸。これらは非正規雇用の増加により賃金の下がった分野だ。

いわゆる「雇用流動化」を錦の御旗にして、非正規雇用を増やせと訴える人がいる。しかし、現実には非正規雇用の拡大で増えるのは生産性の低い単純労働者だ。付加価値を生み出すような専門性を持たない人々、専門化のチャンスを奪われた人々だ。そういう人々は、本来なら機械化すべきマックジョブに従事せざるをえない。そして低所得層から抜け出せなくなり、経済格差は固定化される。これのどこが流動化なのだろう。

労働者に保護的な政策を行うと、地方ではモノや仕事がなくなり、人口が都市部に集約される。行財政が効率化され、ファスト風土化が解消される。さらに農地の整理が進み、大規模で生産性の高い農業生産が可能になる。また都市部では小売業、飲食業、運輸業の自動化が進む。人件費や輸送コストが削減され、あらゆる物品を低価格で入手できるようになる。農業生産性の向上と合わせて、とくに食品の価格が下落するものと思われる。

こうした「人減らし」は、短期的には失業をもたらす。

しかし、長期的な視点では確実に私たちの暮らしを豊かにする。

たとえば江戸時代、日本の食糧自給率は100%で農業従事者は人口の85%だった。しかし現在、食糧自給率は4割程度まで下がった一方、農業従事者は人口の3%に満たない約260万人(※2010年10月現在)だ。つまり、農業従事者1人あたりの生産性が激増しているのだ。農業の生産性は、ここ100年ほどで急上昇した。農作業から解放された人々が新しい産業を生み出し、豊かな日本を作った。

自動化により「人減らし」が進むとしても、同じことが起こるだけだ。2010年に需要のある仕事上位10位は、2004年にはまだ存在していなかった。

日本では「グローバル化」を名目に、グローバル化とは関係のない人々の賃金が引き下げられている。また「雇用流動化」を名目にした非正規雇用の拡大は、実際には所得階層の固定化を招いた。「機械よりも人間を使ったほうが安上がり」という状況が変わらない限り、日本では産業の生産性が向上しないままだろう。

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