BLOG

「8時間労働」は適切な長さか

2016年07月26日 16時35分 JST

社畜のみなさん、お疲れさま。

今日のあなたの労働時間は何時間だっただろう?

ある人は定時退社をキメたことを誇るかもしれない。またある人は、長時間労働を自慢げに語るかもしれない。私たちは、勤勉は美徳だと教え込まれて育つ。身を削って働いていれば、それが尊いことだと信じたくなるのも無理はない。

日本の法律では、企業は社員に1日8時間を超えて労働させてはいけないことになっている[1]。原則論で言えば、じつは残業はただそれだけでルール違反だ。割増賃金を支払うなら、まあ、大目に見てやりましょう……という取り決めになっている。サービス残業など論外だ。

では、なぜ8時間なのだろう?

生まれたときには、すでに「8時間労働」が法律で決められていた。だから、私たちはそれを当たり前だと思っている。しかし、本当に「8時間」には根拠があるのだろうか? 私たちが効率的に仕事をできる──高い集中力を維持し、アイディアを生み出せる──時間は、本当に「8時間」なのだろうか?

今回の記事では、8時間労働が始まった経緯と、人間にとって「自然な」労働時間について考えてみたい。

■産業革命と8時間労働の成立

当然ながら、1日の勤務時間は初めから8時間だったわけではない。18世紀末にイギリスで産業革命が始まると、農村から都市部に人々が集まり、膨大な数の「賃金労働者」になった。現在のサラリーマンと同様、自らは生産手段を持たず、誰かに雇われて生きるしかない人々が現れた。

18~19世紀の労働者は、悲惨な環境で働かざるをえなかった。当時は、働く時間が長いほど生産性が上がると考えられていたので、労働者たちは格安の賃金で終わりなく働かされたのだ。労働時間は1日14時間、長いときは16~18時間にもなったという[2]。

この苛烈な労働環境により、産業革命の最初期には(経済全体は成長しているのに)大半のイギリス人の生活水準はむしろ低下してしまった。歴史学では「初期成長のパラドクス」と呼ばる現象だ。たとえば1875年のマンチェスターでは、有産階級の平均寿命が38年であるのに対して、労働者階級のそれはわずか17年だった。リヴァプールでは、前者のそれは35年、後者のそれは15年だったという[3]。

イギリスでは19世紀半ばに一連の「工場法」が成立した。これは「機械が労働者を残酷に支配している」という状況を憂慮した社会改革や労働運動の成果だ。この法律により、成人の労働時間は週55時間、子供はその半分にまで制限された。また女性と子供の夜間労働は禁止された[4]。このあたりの時代から、労働時間は次第に削減されていく。

以前の記事に書いたとおり、企業と労働者は対等な立場で労使契約を結ぶわけではない。労働市場は「自由な市場」ではなく、企業側が有利な立場にたつ不完全市場だ。そのため、労働者の賃金と労働環境はつねに低下の圧力にさらされる。

ところが1871年にイギリスで労働組合が合法化されると[5]、被雇用者は雇用者団体と対等な立場で交渉ができるようになり、労働市場がきちんと機能するようになった。結果はすぐに現れ、19世紀末には実質賃金が目に見えて上昇した[6]。賃金の上昇は人々の消費意欲を刺激し、さらなる経済発展をもたらした。

1886年5月1日、アメリカのシカゴで大規模なストライキが行われた。このとき、労働者たちは次のようなスローガンを掲げていた。「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、俺たちの好きなことのために[7]」……彼らは、いわゆる8時間労働を求めたのだ。1日は24時間で、1/3の8時間は休息に使われる。残りの16時間を仕事と家庭とで半分ずつに分けようぜ、という提案だった。

19世紀のヨーロッパでは10時間、9時間、8時間労働のどれが最も生産性が高いのかという実験が行われていたと言います。

 

例えば、鉄工所で8時間労働日を導入したところ、多職種に効果的だったこと。また、工場では8時間制を採用したことで労働者が活性化し、生産性の向上が見られるなどの結果が得られました。つまり、長時間労働を1日8時間にすることで、生産性が上昇するという実験結果が出たのです。

 ──「特集 人はなぜ、8時間働くのだろう」『Trace [トレース]』

そして、1919年のILO第1号条約にて8時間労働が採択された。これにより、労働時間は「8時間」が世界標準になった。日本では1947年に労働基準法が制定されて以来、8時間労働が実施されるようになったという。

興味深いのは「8時間」という基準がかなり恣意的に決められたということだ。

1日が24時間なので、それを3等分するという、小学生の算数のような方法で導かれている。なるほど、たしかに10時間や9時間よりも、8時間のほうが生産性が高いと実験で確かめられたのかもしれない。しかし、7時間や6時間、5時間ではどうだろう。そもそも私たちホモ・サピエンスは、1日何時間働くようにデザインされているのだろう?

この疑問に答えるためには、有史以前の世界に目を向ける必要がある。

■人間にとって「自然な」労働時間

地球上にホモ・サピエンスが現れたのは、少なくとも20万年前のアフリカだと断言できる[8]。なぜ断言できるかといえば、ヒトの遺伝子がよく研究されているからだ。世界中の様々な地域に暮らす人々の遺伝子を比較すれば、どれぐらい昔に共通の祖先を持っていたのかが分かる。その結果、いくつもの研究が30万~20万年前のアフリカでホモ・サピエンスが生まれたことを示唆している。

また、最近の研究者は、解剖学的な特徴と行動学的な特徴とを分けて考える場合が多いようだ[9]。どういうことかというと、生まれたばかりのホモ・サピエンスは、現在の私たちのような行動を取っていなかったからだ。芸術活動も、創意工夫をこらした道具の発明も、それほど盛んに行っていなかったようだ。

ホモ・サピエンスが現代人と同じような行動を取るようになったのは、証拠が残っているかぎりでは約3万年前。黒海の北で生まれたグラヴェット文化からだ。当時この地域に暮らしていた人々は、マンモスの骨格で家屋を建て、動物の骨で装飾品を作り、おそらく狩猟採集民の小さな集団(バンド)が集まって大きな共同体を作っていた[10]。彼らは間違いなく、私たちだった。

その後、紀元前8500年ごろには南西アジアで小麦やエンドウ、オリーブの栽培が始まり、紀元前7500年までには中国で米と雑穀の栽培が始まった[11]。ざっくり言えば、約1万年前に私たちは狩猟採集生活から農耕定住生活への移行を開始した。

そして、産業革命が始まったのはおよそ200年前。人類の歴史から考えれば、つい昨日のことだ。

2016-07-26-1469512755-8066361-20160624180652.jpg

今までの話をまとめると、上記の図のようになる。

ホモ・サピエンスの歴史を20万年と考えれば、じつに95%の時間を私たちは狩猟採集民族として過ごしてきた。たとえば「都会にタヌキが現れた」というニュースに、しばしば私たちは驚かされる。森の中で暮らすはずのタヌキの姿と、都会の高層ビル群とが、何とも不釣り合いに思えるからだ。

しかし、それは私たち人類も同じだ。産業革命が始まったのは約200年前で、人類の歴史からすればわずか0.1%の時間しか過ぎていない。私たちの肉体や精神は(タヌキと同様)新宿や梅田の高層ビル群で生きるようにはデザインされていない。アフリカやユーラシア大陸の平原や森で生きるように作られているはずなのだ。

では、有史以前の人々はどのような生活を営んでいたのだろう。

もっと言えば、1日に何時間くらい労働していたのだろう。

現代にも、工業文明から隔絶された昔ながらの生活を営む人々がいる。狩猟採集生活や原始的な自給農業を営む部族が、少ないなからも残っている。彼らの生活を調べれば、有史以前の人々の暮らしを推測する手がかりになるはずだ。

2016-07-26-1469512812-2900818-20160624182105.jpg

上記の表は、そういう伝統的な暮らしを守っている部族の男性の1日あたりの労働時間をまとめたものだ。狩猟採集生活や原始的な農耕と言っても、その生活のパターンは多岐に渡る。彼らと比べれば、現代先進国の私たちのほうがよほど画一的な生活を送っている(※毎朝スタバのコーヒーを飲み、空調の効いたオフィスでパソコンを叩く)。

伝統社会の労働時間は2.8~7.6時間と幅広い。ここには狩りの時間だけでなく、食事の準備や育児の時間も含まれている。中央値は5.9時間なので、だいたい「1日6時間」が有史以前の人々の標準的な労働時間だったことが推測できる[12]。

この表から分かるとおり、狩猟採集民族や伝統社会の人々は、私たちよりも余暇の時間が長い。また、すべての社会で「8時間労働」よりも短時間しか働いていない。比べて、産業革命以降には労働時間が長くなってきたことが分かる。

2016年4月の総務省の調査によれば、日本の正社員の平均的な労働時間は1日9時間だった[13]。日本のサラリーマンの場合、状況はさらに悪い。残されたわずかな余暇の時間を削って、食事の準備や育児に充てる必要があるからだ。

人によっては、こう考えるかもしれない。

こういう伝統社会に暮らす人々は怠惰で、なまけ者で、余暇をむさぼっているだけだ。だから労働時間が短いし、その報いとして貧しい生活を余儀なくされているのだ、と。

2016-07-26-1469512859-1868167-20160624183815.jpg

ところが、その考え方は成り立たない。なぜなら彼らの「労働」は、目を見張るほど生産性が高いからだ。上記の表は、伝統社会で暮らす人々が生産する食糧のカロリーを、労働1時間あたりで割ったものだ。ご覧のとおり、わずかな労働時間でも高いカロリーを産出することに成功しており、その水準は産業革命初期のイギリス人よりも高い。

この表を見ると、「長く働いたから先進国の人々は豊かになった」とは思えない。どちらかといえば、私たちはあまりにも生産性が低くて貧しかったからこそ、長く働かざるをえなかったのではないか。

また、この表で興味を引かれるのは、ベネズエラのヒウィ族やパラグアイのアチェ族だ。前者では、男性の狩りの30%に匹敵するカロリーを女性が生み出している。後者では立場が逆転し、カロリーベースでは女性の産出する食糧のほうが多い。

アチェの男たちは狩りの興奮に身をゆだねるよりも、「女の仕事」に励むほうがいいということになってしまう[14]。もちろん、栄養のバランスを考えれば男女のどちらのほうが重要とは言えない。注目したいのは、男女ともに生産活動に従事しているという点だ。

ヒトには生まれながらに「男は外で仕事をして、女は家を守る」という役割分担がある──。

そう素朴に信じている人は少なくない。

しかし、その発想は完全に間違っている。

狩猟採集民の生活を見れば分かるとおり、有史以前から人類は男女ともに生産活動に携わってきた。日本でも1950年代くらいまでは、農村では女性が労働力として重宝されていた[15]。

「男は外で仕事、女は家事」という役割分担が生まれたのは、まさに産業化の影響だ。産業革命により、男たちは工場に日銭を稼ぎに出かけ、女は家庭を守るという生活が誕生した。私たちが当たり前だと思っている生活は、伝統的でもなんでもない。せいぜい200年──日本ではわずか60年──の歴史しかないのだ。

■農耕がもたらしたもの

伝統社会の人々が、わずかな時間しか働かないことが分かった。おそらく有史以前の私たちの祖先も、1日に6時間くらいしか労働していなかっただろう。

では、なぜ私たちは勤勉になったのだろう?

どうして、退屈な仕事を毎日繰り返すという習性を身につけたのだろう?

充分な食糧と安全な寝床を手に入れて、それでもなお働こうとするのは、生物として当たり前でも、自然なことでもない。

生物学の分野では、さまざまな鳥類や哺乳類の「労働」時間──すなわち、休息をしておらず、食糧の確保や移動、なわばりの防衛、社交活動に費やされる時間──が調査されている。その結果、ヒトにもっとも近い類人猿の場合、1日の平均労働時間はわずか4.4時間だった[16]。私たち現代人が、肥満や糖尿病になるほどの食糧を手にしながら働き続けるのは、他の動物に比べれば異常である。

私たちが勤勉になった理由の1つは、農耕を始めたことかもしれない。

農耕開始にどんなイメージを持っているだろう?

さらなる繁栄を目指して食糧を増産するようになった──。そんなイメージではないだろうか。しかし近年、研究者たちはまったく逆の見方をするようになりつつある。周囲の動植物を食べ尽くして、食糧の入手が難しくなったために、その順応策として農耕を始めたというのだ[17]。

狩猟採集生活は、農耕定住生活よりもさらに広い土地を必要とする。現代の狩猟採集民族は、おおむね250~500平方キロメートルの広さの土地に25人ほどの集団(7~8家族)で暮らすという。この人口密度でいけば、マンハッタン島の広さに2~4家族しか