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いいコンテンツは必ずバズる。

2014年06月27日 20時01分 JST | 更新 2014年08月27日 18時12分 JST
Lluís Real via Getty Images

 数人のえらい人が「いい」と批評したコンテンツよりも、数万人のふつうの人が「いい」と評価したコンテンツのほうが、普遍的な「よさ」を持っている可能性は高い。インターネットの美点は、いいコンテンツが、えらい人の一存で黙殺されないことだ。いいコンテンツには必ず熱烈なファンがつく。ファンが拡散してくれるので、いいコンテンツは必ずバズる。

 私はブログを書いているので、この記事では主にテキストコンテンツについて考えている。が、イラストや音楽などの他のコンテンツでも基本的に同じだろう。作ったコンテンツが「いい」なら必ずバズるし、もしもあなたの作ったモノがバズらないとしたら、それは普遍的な「よさ」に欠けていると考えたほうがいい。

 では、インターネットでバズるのは「いいコンテンツ」だけだろうか?

 流行にのったコンテンツだけがバズっているのではないだろうか?

 また、いいコンテンツでもバズらないケースがあるとしたら、どのような場合だろうか?

 

 

 

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 WEB上には、いいコンテンツとそうでないものがある。

 また、バズるコンテンツとそうでないものがある。

 まず、それらを場合分けして考えてみよう。

 

 

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※またつまらぬマトリクスを作ってしまった。

 

 

 よくないコンテンツがバズらないのは当然だ。普遍的な「よさ」を持たないコンテンツは誰にもシェアされないし、リツイートもされない。したがってバズらない。

 また、いいコンテンツがバズることにも不思議はない。

 みんなが「いい!」と感じて、思わず誰かに紹介したくなる──。そういう普遍的な「よさ」を持ったコンテンツは、SNSで拡散される。注目度が高まれば、大手ニュースサイトなどのメディアにも転載される。動画や音楽なら、テレビで紹介される場合もある。エロネタ、犯罪ネタなど、SNSでは拡散されづらいコンテンツもあるだろう。しかし消費者の心を掴むコンテンツならば、2ch等の匿名メディアで拡散される。まとめサイトに転載される等、被リンク数が増えれば検索順位も上がる。そして、コンテンツへのアクセス数が増え続けるというわけだ。

 ただし、バズっているからと言って「いいコンテンツ」だとは限らない。

 いわゆる「釣り」や「炎上」によってアクセス数を稼いでいるコンテンツがあるとして、それを「いいコンテンツ」と呼ぶことはできないだろう。平凡で退屈な内容の記事でも、ケンカを売るようなタイトルをつければバズることがある。しかし釣りや炎上で集まるのは、頭に血の昇った読者だけだ。過激なことを書くほど冷静なファンは離れるので、長期的にはトクをしない。

 またマス広告で過大評価された場合にも、「よくないコンテンツがバズる」という現象が起こりうる。たいして面白くない小説やマンガ、映画を、マス広告で無理やり流行らせようとする場合だ。ネットが普及する以前の世界では、クソみたいなコンテンツでも広告のやり方さえ上手ければ売れたようだ。しかし今では、広告の評価が実情にともなっていないと、すぐさまインターネットの浄化の炎に焼かれて消える。

 バズっているからと言って、いいコンテンツだとは限らない。

 しかし、いいコンテンツならば必ずバズる。

 誰かに教えたくなるコンテンツ、みんなが「いい」と感じるコンテンツ。そういうコンテンツはSNSで拡散され、必ずバズる。膨大なアクセス数を稼いでくれる。したがって、いいコンテンツを作っているはずなのにバズらないなんて状況は極めてまれだ。もしもそういう状況に陥っているのなら、自分の個人的な美的感覚と、世間の普遍的な「よさ」との乖離を疑うべきだ。

 

 

 

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 流行にのったコンテンツはバズりやすい。しかし、流行に追従しているからといって、いいコンテンツだとは限らない。消費者の心の琴線に触れて、新しい流行を作り出す。そういうコンテンツこそ、ほんとうの「いいコンテンツ」と呼びたい。

 先日、ドワンゴ会長の川上量生さんが、技術革新でマーケットが自由になるほど人々の創造性は奪われるという趣旨の発言をしていた。

 クリエイティブの楽園なんかにはなりません。オープンなマーケットで、みんながコンテンツをつくれるようになるほど、コンテンツの実質的な多様性は減るっていうのが僕の持論です。

「いま、好きなアニメをつくれるのはジブリくらい。」

 (小説家になろうに)投稿されている小説の中には本来多様性があるはずなんだけど、ランキング上位に来るものは全部似たようなものになる。ニコ動だって、いろいろな作品が投稿されていますが、何かが流行るとそれ一色になりがちです。参加数が多いってことは、逆に実質的な多様性を減らす効果があるんです。

「いま、好きなアニメをつくれるのはジブリくらい。」

 この主張は間違っている。

 なぜなら、供給側の多様化と需要側の多様化を混同しているからだ。ランキング上位の多様性を支配しているのは消費者の嗜好であって、供給者の数ではない。

 「ニコニコ動画」や「小説家になろう」などのプラットフォームは、コンテンツの供給側を多様化させたにすぎない。ところが消費者の嗜好は、まだ充分に多様化していない。消費者の好きなものの種類が増えていないのに、供給者だけが増えれば、過当競争に陥るのは当然だ。消費者の嗜好を多様化させる努力が充分かどうかを検証もせずに、技術革新が創造性を失わせると結論するのは早計だ。

 では、一見すると技術革新が創造性を失わせているように見えるのはなぜだろう。「なろう」や「ニコ動」のランキング上位に、似たようなコンテンツが並んでしまうのはなぜだろう。

 ポイントは、消費者が好みのコンテンツにたどり着くまでの時間だ。

 たとえば同じ1万PVを稼ぐ場合を考えてほしい。人気ボカロPの曲ならば、投稿後の数時間で達成できるだろう。一方、流行りから外れたボカロPの場合なら、投稿から1年経っても達成できないかもしれない。流行のコンテンツとは、つまり、より多くの閲覧数を、より短い時間で達成できるコンテンツのことを言う。

 流行のコンテンツと、そうでないコンテンツには、「一定の閲覧数を獲得するまでに要する時間」にタイムラグがある。

 このタイムラグは情報技術の発展によって大きくなった。

 たとえば見たい映画を探すとき、今なら動画配信サイトでワンクリックだ。ところがインターネットの誕生前夜には、近所のレンタルビデオ店に足を運ばなければならなかった。お目当ての作品が貸出中なら、他のビデオでガマンしなければならなかった。さらにレンタルビデオ店ができる以前は、近所の映画館で放映されるのを待たなければならなかった。そして映画が誕生する前の世界では、旅芸人の一座がやってくるのを待たなければならなかった。それでも、見たい演目が見られるとは限らなかった。

 情報技術の発展により、消費者が好みのコンテンツにたどり着くまでの時間は著しく短くなった。反面、好みではないコンテンツを試す機会が減った。結果、一定の閲覧数を達するまでに必要な時間を比較した場合、流行りのコンテンツとそうでないコンテンツのタイムラグが大きくなった。

 技術革新が進むほど、流行のコンテンツと、そうでないコンテンツのタイムラグは大きくなる。流行にのったコンテンツはより短い時間で多数の閲覧者を獲得できるため、結果としてランキングを席巻することになる。

 ランキング上位の顔ぶれが似てしまう現象に、供給者の数はあまり関係がない。たしかに12チャンネル少々しかなかったテレビの時代から、YouTubeが登場していきなり数万人の供給者が現れたときの影響は大きかっただろう。しかし1人の人間がコンテンツ消費に割ける時間には限界があるため、一定数を超えると「供給者の数」はインパクトのある因子ではなくなる。投稿者数が10万人だろうと、1000万人だろうと、ニコ動のランキング上位には似たようなコンテンツが並ぶだろう。

 ランキングが流行一色に染まる現象は、供給者の数が原因ではない。消費者が好みのコンテンツに達するまでの時間が原因だ。また、消費者の嗜好の多様化が進んでいない状況下で供給者だけが増えれば、過当競争に陥るのは当然だ。

 したがって「技術革新でクリエイターが増えるほど、創作物の創造性が失われる」という主張は成り立たない。私たちがなすべきは、消費者の嗜好を多様化させる方法を考えることであって、絶望することではない。

 

 

 

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 消費者の嗜好の差は、プラットフォームごとの違いとして現れる。

 たとえばニコニコ動画のランキングは、YouTubeとは違う。「小説家になろう」のランキングは、amazon KDPとは違う。プラットフォームが違えば、流行も文化も違う。みんなが揃って「東京ラブストーリー」を見る時代ではなくなった。消費者すべてに共通のメガトレンドを生み出すのは、現在では極めて難しい。供給者ほど劇的ではないが、消費者の嗜好も少しずつ多様化しているのだ。

 このことから、「いいコンテンツなのにバズらないケース」について考察できる。

 前述のとおり、いいコンテンツなら必ずバズる。

 いいコンテンツを作っているのにバズらないとしたら、十中八九、自身の審美眼に問題がある。では、残りの一、二の可能性を考えてみよう。普遍的な「よさ」を持ったコンテンツを作っているにも関わらず、バズらないケースだ。

 これには2つの場合が考えられる。1つは媒体が悪い場合。もう1つはタイミングが悪い場合だ。

 このブログ「デマこいてんじゃねえ!」の記事は、いくつかの媒体に転載されている。とくにハフィントンポストでは、定期的にバックナンバーを掲載している。個人的な経験談になってしまい恐縮だが、媒体やタイミングの違いを感じることが珍しくない。

 本家「デマこいてんじゃねえ!」でウケたネタが、ハフィントンポストでもウケるとは限らない。逆もまたしかり。本家でイマイチだったネタが、ハフポストで息を吹き返す場合もある。また、拡散経路もどうやら違うらしい。「デマこい!」では、はてなブックマークがまず付き、続いてTwitterやGunosyなどのプラットフォームへと拡散していく。一方、ハフポストではFacebookでのシェアをきっかけに拡散されていく場合が多いようだ。

 また、コンテンツを発信するタイミングも重要だ。映画の感想をブログに書いている人は「金曜ロードショーでその映画が放送されるとアクセス数が増える」という現象を経験しているはずだ。コンテンツの閲覧数は、内容や媒体とは別の、外的要因に影響される。STAP細胞が話題になった直後、生物学系の解説記事を書いているブログは一斉にアクセス数が増えただろう。

 適切なタイミングに、適切なコンテンツを送り出す──。これが重要なのは、何もブログだけではないだろう。機会損失の許されない商業コンテンツなら、なおさら大切なポイントになるはずだ。

 

 

 

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 いいコンテンツはファンを増やし、バズりやすくしてくれる。一方、よくないコンテンツを「釣り」や「誇大広告」でバズらせた場合、ファンを失望させることになり、長期的にはトクをしない。

 また、技術革新でコンテンツの供給者が増えれば創造性が失われるという説は、誤りである。なぜならランキング上位の多様性を支配しているのは消費者の嗜好であって、供給者の数ではないからだ。

 消費者の嗜好は、供給者ほど急激には多様化しないようだ。現在では、主に媒体ごとの流行・文化の違いとして嗜好の多様性が現れている。あなたがコンテンツの供給側の人間なら、消費者の多様化をうながすことを長期的な目標にするべきだろう。

 では、短期的な目標は何だろう。製作したコンテンツをバズらせるためには、何をすればいいだろう。

 まずはコンテンツを発信する媒体に注意を払うこと。そして、タイミングを外さないことだ。極めてまれなケースだが、いいコンテンツでも媒体とタイミングが悪ければバズらない場合がありうる。

 そして何より、いいコンテンツを作り続けることだ。安易な「釣り」や「炎上」に頼るのではなく、閲覧した人から熱烈な歓迎を受けるような、普遍的な「よさ」を持ったコンテンツを作り続けるべきだ。クソみたいなコンテンツを100個作れば、そのうち1つか2つは、いいコンテンツが転がり出てくるものだ。

 雨乞いを絶対に成功させる方法は、雨が降るまでそれをやめないことだ。同様に、コンテンツを流行らせる秘訣は、それを作り続けることだ。

 いい?