「ごっこ遊び」って悪いこと?/自己満足で終わらないために

私は、意識高い系の大学生が苦手だ。フリーペーパーを発行してみたり、ミスコンや、企業訪問イベントを主催してみたり。もちろん、なかにはプロ顔負けの高クオリティな成果を残す団体もあるのは認めよう。だが、大抵は内輪の盛り上がり以上のものにはならない。カネと時間のかかった「ごっこ遊び」で終わってしまう。

私は、意識高い系の大学生が苦手だ。

フリーペーパーを発行してみたり、ミスコンや、企業訪問イベントを主催してみたり。もちろん、なかにはプロ顔負けの高クオリティな成果を残す団体もあるのは認めよう。だが、大抵は内輪の盛り上がり以上のものにはならない。カネと時間のかかった「ごっこ遊び」で終わってしまう。

そして「ごっこ遊び」であるにも関わらず、俺たちイケてるだろ? みたいな空気を振りまく。その空気が苦手なのだ。外部からの「ごっこ遊びでしかないよね?」という意見は、イケてないやつの負け惜しみとして無視される。だから、私は意識高い系の学生が苦手だ。

しかし、だ。

「ごっこ遊び」それ自体は、決して悪いものではないと思う。

新しい何かを始めるときのいちばん効率的な方法は、先行している誰かを真似することだ。

アリストテレスによれば、あらゆる創作の基本は模倣だという。作家ジョナサン・レセムは「何かを"オリジナル"と呼ぶやつは、十中八九、元ネタを知らないだけ」と言った。

たとえばネット上のシロウト小説や、文学フリマの同人誌を見てみるといい。「個性や創造性を重視したい」と信じる人ほど、模倣をせず、練習をせず、身につけるべき技術を持っていない。自分の言葉に陶酔するばかりで、読者に「語りかける」という視点がない。

小説であれ、ゲームシナリオであれ......あるいは新聞や雑誌、ブログの記事でもいい。文章はコミュニケーション・ツールだ。意思疎通の道具だ。誰かに「語りかける」つもりで書くべきものだ。語りかける相手が「自分」だけでは、他人からは評価されない。

では、他人を意識した文章力を身につけるにはどうすればいいのか:

他人の文章を真似るのがいちばん効率的だと、私は思う。

文章に限らず、優れた創作者は何かしらのコピーをしている。ただペーストしないだけだ。

模倣すらまともにできないやつに、創造などできるわけがない。

学生フリーペーパーの発行は、雑誌編集を真似した「ごっこ遊び」かも知れない。

学生ミスコンは、エンタメ業界の「ごっこ遊び」かも知れない。

企業訪問イベントは、人材業界の「ごっこ遊び」かも知れない。

しかし、すべてはそこから始まる。

幼児が「ままごと」を通じて家庭内の立ちふる舞いを学ぶように、学生たちは大人を真似した「ごっこ遊び」を通じて、人生に必要な何かを学ぶのだろう。

「ごっこ遊び」の先に進めるかどうかは、消費者を意識できるかどうかにかかっている。読者でも観客でも、顧客でも、呼び方は何でもいい。自分たちの作っているものを消費する人の視点に立てるかどうかが、成果物のクオリティを左右する。

ただし、内輪の盛り上がりで満足している人々にかぎって、「俺たちは消費者の視点に立っている」と慢心しがちだ。俺たちは他の学生がしないことをしている。他の人よりも優秀で、イケてる人間だ。だから消費者の気持ちも手に取るように分かる。なぜなら、俺たちはイケてるからだ。そんな考え方に染まって、目が曇ってしまう。

消費者を意識する第一歩は、批判的になることだと思う。

自分たちの作ったものを、大嫌いなやつが作ったものとして見てみる。自分たちのやっていることを、いけすかない誰かの行動に置き換えてみる。親の仇を見るような目で、徹底的に批判してみる。そうすれば、内輪の盛り上がりから一歩、外に出られるだろう。

その一歩が、なによりも難しいんだけどね。

(2013年11月12日「デマこいてんじゃねえ!」より転載)

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