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なぜ科学技術が進歩したのに働かないといけないのか?

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誰だって子供のころは明るい未来を想像するものだ。

あらゆる社会問題は科学技術によって解決し、ロボットたちに仕事をさせて、人間は労働から解放される。そんなテクノトピアを思い描いたはずだ。

けれど、現実はどうだ?

満員電車に揺られて、ストレスフルな職場に連行される日々──。

たしかに紙の新聞はスマホになったかもしれない。週末のゴルフは、取引先のベンチャー社長宅でのスプラトゥーン大会になったかもしれない。だけど、サラリーマンの基本的な生態は昭和のままだ。これが夢に見た21世紀か。技術革新とは、その程度のものなのか。

「なぜ科学技術はこんなに発展したのに、私たちは働かないといけないんだ?」

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この疑問に答えるには、まず「働くとは何か」「仕事とは何か」を定義したい。少なくとも、「商売をする人」と「誰かの商売を手伝う人」の区別はしたほうがいいだろう。「人を使う仕事」「人に使われる仕事」と言い換えてもいい。

「資本家/経営者/労働者」の階級は、古代民主制国家における「貴族/市民/奴隷」の関係に似ている。中世の「国王/領主/農奴」の関係にもよく似ているし、プランテーションの時代の「資本家/農場主/奴隷」の関係にもそっくりだ。

ごくわずかな者が本当の権力を持ち、その権力を利用して産業を企画・運用する者がいる。そして、彼らの手足となって働く人々が社会の下層を支えている。おそらく農耕と定住生活を始めたころから、人類は似たような社会階層を作ってきた。

労働者は、18世紀の産業革命以降に生まれた階層だ。この階層の人々は20世紀になってその地位を大きく向上させた。20世紀は、かつての奴隷や農奴と同じような下層民が権利を拡大する時代だった。

なぜ、20世紀に労働者は権利を拡大することができたのだろうか。理由は3つある。1つは産業革命により余剰が増え、下層民を「食わせる」ことが可能になったこと。2つ目は共産主義革命が成功し、資本主義国も革命のリスクを抑える必要に迫られたこと。3つ目は世界大戦だ。

世界大戦で大量の労働者階級が動員された結果、彼らは「自分たちは国を守った戦士なのだから、それに相応しい権利を与えられるべきだ」と考えるようになった。

教育、医療、年金──。

現代的な社会福祉制度の支出は第二次大戦後にすべての先進国で増大した。特権階級の資産は戦後のインフレで毀損された[1]。

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※出典:国土交通省、「働き方」について(pdf)

「資本家/経営者/労働者」の階層のうち、前者2つは「人を使う仕事」だ。一方、労働者は「人に使われる仕事」だ。先進国では人口の8割~9割が被雇用労働者であり、後者に属している。

そのため、「なぜ技術が発展したのに働かなければいけないのか?」という疑問は、大抵の場合は労働者の仕事を想定している。意図しないまま、「なぜ21世紀になったのに労働者の仕事は無くならないのか?」を問うている場合が多い。

人類の社会には、人を使う仕事と、人に使われる仕事がある。そして、これら2つの仕事が技術革新から受ける影響は正反対だ。この2つの仕事はきちんと分けて考察したほうがいい。

技術革新とは、突き詰めれば「人に使われる仕事」を機械に置き換えることだと言える。1000人で稼働していた工場を100人で動かせるようになり、100人で行っていた事務作業をスマホ1台でできるようになる。

これが、私たちの直面している技術革新だ。

なお、「技術革新で失業が生まれる」という発想は、長期的には誤りだ。

これは「労働塊の誤謬」として知られている。イギリスで自動織機が実用化されたとき、仕事を奪われると信じた織物職人たちは機械を壊して回った。ラッダイト運動だ。しかし現実には、技術革新は新たな産業と労働需要を生み、失業は吸収される。

たとえば日本の就業人口における農業従事者の割合は、1950年には45%だったものが2005年には5%以下になった[2]。一方、食糧自給率はそこまで急激に減少せず、現在でも4割程度を維持している[3]。

トラクター等の機械装置、そして優れた農薬や新品種の開発──。

様々な技術革新によって、よりわずかな人数で、より生産性の高い農業を営むことが可能になった。

では、技術革新で仕事を奪われた元農民たちは、失業者の群れになっただろうか?

答えはノーだ。

農家の子供たちは「金の卵」として都会に送り込まれ、工業に従事して戦後の高度成長を支えた。技術革新は新たな産業を産み、失業を吸収するのだ。

     ◆

ところで、現在の技術革新の特異性は「究極には人がいらない」ことだ。

かつては簡単な足し算でさえ、人の手で計算しなければならなかった。20世紀半ばまでは「計算手」という職業があり、今の私たちがExcelでやっているような計算をメモ帳とペンとそろばんで行っていた。気が遠くなりそうな仕事である。しかし現在、計算手は消えた。

誰かに計算をさせるより、PCにさせたほうが正確で早い。

誰かに翻訳させるより、

誰かに資料を探させるより、

誰かに書類を作らせるより、

誰かに素材を加工させるより、

誰かに部品を組み立てさせるより、

機械のほうが正確で早い。

これが、今の私たちが直面している技術革新だ。

今はまだ、データ入力は人間の手作業で行う場面が多いだろう。が、画像解析の技術が向上すれば、これは自動化できる。今はまだ、自動作成された書類を人間の目で最終チェックする必要がある。情報技術さえあれば、その書類はそもそも必要ないかもしれない。

今はまだ、検索キーワードを人間の頭で考えなければいけない。ところがAIがもう少し進歩すれば、「何となくこんな感じのことが知りたい」と相談するだけで、コンピューターが適切な検索キーワードを教えてくれるようになるだろう。

技術発展により人の仕事はなくなるのか?

この疑問には、2つの答えがある。

「人に使われる仕事」は、順当に行けば無くなる。

人を使うよりも機械を使ったほうが効率的になる。

一方、「人を使う仕事」は無くならない。

「機械を使う仕事」に様変わりするだけだ。技術革新が進めば労働者階級は消失する。

「技術革新で失業が生まれる」という発想は、長期的には誤りだ。

しかし、短期的には正解である。機械に仕事を奪われた人は、新しい仕事を見つけなければならない。ヒトの学習能力には限界があるため、学習能力を超える速さで技術革新が進めば、そこでは一時的に失業が生じる。

ヒトの学習能力を考えれば「一時的な失業」が10~20年という単位で発生する可能性がある。たしかに長期的に見れば機械が失業を生むという考え方は誤りで、労働塊の誤謬なのだろう。しかし長期的には私たちは全員死んでいるのだ。あまりにも苛烈な技術革新は危険だ。

そう思っていた時期もあった。

けれど、今の私は考えが変わった。

失業を生む危険性をはらんでいたとしても、技術革新は進んだほうがいい。むしろ、とてつもない速さで技術革新が起きるべきだ、と考えるようになった。社会階層の固定化を崩すほぼ唯一確実な方法が、技術革新を進めることだと思うからだ。

     ◆

そもそも産業革命以降、なぜこんなにも急速に技術革新が進んだのだろう?

答えはシンプルで、人件費よりも機械に投資したほうが安上がりな状況が続いたからだ。

「人を使う仕事」をしている人々は、労働者が安い環境では技術に投資しない。人件費の安すぎる国が、先進国の仲間入りをしにくい理由だ。高額の田植え機を買うよりも、農民に手で植え付けさせたほうが安上がり──。

そういう国では機械への投資額が増えず、経済発展は遅々として進まない。

18世紀初頭、トーマス・ニューコメンは蒸気機関の商業利用に世界で初めて成功した。この機関は鉱山の排水装置として使われたが、イギリスでしか利用価値がなかった。イギリス以外の国では、人の手でポンプを動かすほうが安上がりだったのだ。

当時のイギリスは石炭産業が盛んで、排水装置の需要が高く、また燃料が安価で手に入った。なおかつ、人件費が比較的高かった。だから黎明期の蒸気機関でも、充分に投資を回収できた[4]。

その後、蒸気機関は改良が進み、製造コストや燃費が安くなった。イギリス以外の欧米諸国でも利益を見込めるようになった。

当時の欧米諸国は、世界でもとくに人件費の高い地域であり、「人より機械のほうが安い」という状況になりやすかった。産業革命が(日本や中国の沿岸部ではなく)欧米で始まった理由の1つは、人件費の高さだった。

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人件費の高い環境で技術革新が起きると、労働者の行っていた仕事が機械に置き換わる。すると、労働者やその子供たちは、新しい産業に対応するため高度な教育を受けるようになる。教育水準の上昇は人件費の高騰をもたらす。

また、技術革新によって生まれた「新しい産業」では、常に人手不足が起きる。その産業に熟練した労働者がいないからだ。

その結果、わずかでも経験を持つ労働者の奪い合いが起き、需要過多・供給過少の状態になる。このことも人件費の高騰につながる。

これは現在のIT業界でも馴染みある現象だ。優れた技術を持つエンジニアには、フリーランスで年収1000万円以上を稼ぐ人も珍しくない。

IT産業が誕生してから日が浅く、労働需要に対してスキルを持つ人材が少ない。だから平均年収の倍以上を受け取れるのだ。

人件費の高騰は、機械に投資するインセンティヴを生む。その結果、さらなる技術革新が起きる。人件費と技術革新は正のフィードバック・ループを持つ

18世紀から現在に至るまでの経済発展は、このフィードバック・ループが維持された結果だ。

先進諸国では、人件費の高騰は技術革新よりも常に早いスピードで進んだはずだ。人件費高騰を追いかける形で新技術への投資が増え、新しい技術が開発され続けた。

そうでなければ、現在までの科学技術の発展はなかった。

排水装置を蒸気機関で動かすようになってから200年足らずで、人類は月面に降り立ち、世界中をジェット旅客機で結び、地球の裏側の人々とMMORPGで遊べるようになった。なぜ人々はこれほどまでに科学技術に投資をしたのだろう。なぜ、かつての軍事技術が公開されるたびに、民間企業が飛びついたのだろう。

それら新技術を使うほうが、人間を使うよりも利益を出せたからだ。

技術革新は「人を使うよりも機械を使うほうが安い」という環境で進む。逆に言えば、人件費が充分に安ければ、機械に投資するメリットはなく、技術革新は止まる。「人を使う仕事」をする階級と、「人に使われる仕事」をする階級とに分断されたまま、社会階層は固定化される。

    ◆

「技術が発展すれば人の仕事は無くなるか?」という疑問に戻ろう。

「人に使われる仕事」は無くなる。一方、「人を使う仕事」は無くならず、「機械を使う仕事」に置き換わるだけだ。

技術革新は労働者階級を消失させる。古来より続いてきた「資本家/経営者/労働者」という階級制度を崩すことができる。

だからこそ、技術革新を止めてはならない。

時計の針を「国王/領主/農奴」の階層構造に支配されていた時代に戻してはならない。人件費と技術革新の正のフィードバック・ループが止まったとき、産業革命以降の人類の発展も止まるだろう。18世紀以前のマルサスの罠に捕らわれた世界に戻ってしまうだろう。

技術革新によって労働者階級が消えるとして、彼らはどこに行くのだろう?

言うまでもなく、技術革新によって生まれた新たな産業に吸収されるはずだ。つまり、「機械を使う仕事」をするようになるのだ。充分な教育さえあれば、かつて「人に使われる側」の仕事をしていた人々が、「人を使う側」と同じように働けるようになるだろう。

悲観論者は、経営者の仕事さえも機械に奪われると考えるようだ。なぜなら、遠い未来には人間よりもAIのほうが数値予想も判断力も優れるようになり、人間は必要なくなるからだという。

しかし、現在の経営者も自分1人で経営判断を下しているわけではない。大企業なら経営企画をする部署があり、エリート社員たちが経営状態の把握と新規事業の企画立案に従事している。

彼らの出したアイディアに承認印を押すことが、経営者の実質的な仕事になっている場合も多い。なるほど、エリート社員よりも安くて正確なら、AIが導入されるだろう。けれど、それで経営者の仕事が失われるわけではない。

むしろ問題は「充分な教育」だ。

現代では、ほぼすべての労働者が「人に使われる仕事」をするようにトレーニングされている。

「人を使う仕事」の教育を受けていないばかりか、それがどういうものかさえ想像できない人が多い。

そういう人が技術革新で仕事を奪われたとして、急に「機械を使う仕事」を始められるはずがない。昨日まで誰かの考えた商売を手伝っていたのに、明日からは自分で商売を考えなければならない──。

そんなの無理だ。学習能力の限界を超えてしまうからだ。

結果として低賃金の仕事に就かざるをえない人が増え、所得格差が固定化する可能性はある。

たとえば技術革新について行けなかった「使われる側」の人々が、「機械を使う仕事」への転換に失敗したとする。彼らは低賃金を甘んじて受け入れざるをえず、新たな下層民になる。進歩した情報技術によって監視されるディストピアだ。

簿記・会計。経営学。財務。労務。そして最低限の法律の知識──。

こういった知識は、現在の学校教育では後回しにされがちだ。「人に使われる仕事」では、あまり必要ないからだ。

現在の学校教育の原型は、18世紀のイギリスで生まれた。

教室に子供を集めて教師の指導に従わせるのは、現場監督に従う工場労働者を育てるためだった。学校教育はその誕生からして、「人に使われる側」を育てることを目的としていた。

大量生産の時代には工場の勤務表の読み方を教え、ゴールドラッシュの時代にはツルハシの使い方を教え、 情報技術の時代にはプログラミングを教えようとする。それが18世紀から続く「人に使われる側」の教育だ。

「人を使う側」なら、自分がツルハシを握る必要はない。プログラミングができなくてもいい。重要なのは、できる人を雇って何をやらせるか、である。

「人を使う側」の教育をどう広めていくのか。学校では足りないものを、各家庭でどのように教えるのか。すでに大人になった「使われる側」の人々に、どうやって浸透させるのか──。

子供のころに夢見たテクノトピアを実現できるかどうかは、たぶん、このあたりが鍵になる。

※「日本企業はITの導入が遅く、技術革新の恩恵を充分に利用していない」という話をしばしば耳にする。それが本当かどうかは分からない。けれど、もしも日本企業が新技術の導入におよび腰だとしたら、それは日本人労働者の給与が安すすぎて、機械に投資するメリットがないから……かもしれない。

[1]トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房) p493-495ほか

[2]広島大学食料資源経済学山尾研究室 講義レジュメ(pdf)

[3]農林水産省/食料自給率とは

[4]ロバート・C・アレン『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』(NTT出版) p47-48ほか

(2015年9月24日「デマこい!」より転載)