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手塚治虫になる方法/コンテンツの質と量について(2)

2014年04月25日 18時49分 JST | 更新 2014年06月24日 18時12分 JST

製作物の「質」と「量」はトレード・オフの関係になりがちだ。これはモノ作りに関わる人間なら、誰もが経験的に知っている法則だろう。

ところが世の中には、質と量を両立したクリエイターがいる。たとえば小説家の西尾維新は速筆ぶりで知られている。さらに極端な例をあげれば、手塚治虫は生涯に15万枚以上の原稿を描いたと言われている。『こち亀』160巻ぶんで原稿3万枚弱。手塚治虫のすさまじさがわかる。

製作点数が多く、なおかつ製作物の品質が高い──。こういう「優れたクリエイター」になるにはどうすればいいだろう。彼らは質と量のトレード・オフから離脱した存在なのだろうか。それとも、この法則に縛られた私たちでも、努力次第で彼らに近づくことができるのだろうか。

クリエイターが技能を伸ばすためには、「まずはとにかくたくさん作れ」と言われることがある。一方で、「製作点数を減らしてでも一点あたりの完成度を高めろ」という意見もある。

そのどちらも正しいことを、今回の記事では論理的に説明したい。

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人間が使える時間は有限だ。

たくさんの製品を作ろうとすれば製作物1つあたりに割ける時間は短くなり、結果として品質の低下を招く。品質を高めようとすれば製作物1つあたりの製作時間を増やさざるをえず、結果として生産量を増やせない。これは時間以外のあらゆるリソースに当てはまる。

もちろん経験を積めば技能が伸び、より短時間でより高品質の製作物を作れるようになるだろう。しかし、そうなるまでには時間がかかる。ある時点におけるクリエイターの技能には限界がある。品質を維持したまま製作点数を増やすには妖精さんに手伝ってもらうしかない。そして妖精さんは実在しない。

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ある時点において、1人のクリエイターの製作物の品質と生産量はトレード・オフになる。上図は、それを二次元のグラフで表現したものだ。図中の青いグラフをここでは「創造性曲線」と名付けよう。すべてのクリエイターは、それぞれ個別の創造性曲線を持っている。

今回の記事では、優秀なクリエイターになる方法を考察する。

そのためには、まずどんなクリエイターが「優秀」と呼べるのか定義しなければならない。

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たとえば、品質がほぼ同じクリエイターが二人いたとする。しかし片方の人物は、もう片方よりも短時間で作品を完成させられる──つまり生産量が高いとしよう。この場合、後者のほうが「優秀なクリエイター」と呼べるだろう。上図はそれを表現したものだ。

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また生産量はほぼ同じだが、品質に明らかな差がある場合も考えられる。一枚の絵を仕上げるのに要する時間が同じでも、技巧に明らかな差があれば、より絵のうまいイラストレーターが「優秀」と呼べるはずだ。生産量が同じで品質が高い場合、その人は「優秀なクリエイター」だといえる。これを表現したのが上図だ。

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つまり優秀なクリエイターとは、創造性曲線の全体が右上にある人物だといえる。上図の破線で示したように、同じ生産量であればより高品質なモノを作れるし、同じ品質であれば生産量を多くできる。優秀なクリエイターとそうでない人との違いは、創造性曲線がどれだけ原点から離れているか──図中の右上にあるかで表現できる。

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したがってクリエイターの技能向上とは、創造性曲線を右上にシフトさせることにほかならない。

以上で、「優秀なクリエイター」と「技能向上」を定義できた。西尾維新や手塚治虫のように質と量を両立しているクリエイターは、つまり創造性曲線が極端に右上にあるだけだと考えられる。創造性曲線を原点から離れた位置にシフトさせ続けることができれば、どんな人でもいずれ彼らの域に達することができるだろう。(※その「いずれ」よりも先に寿命が来てしまうかもしれないが)

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さて、ここで冒頭の話に戻ろう。

クリエイターが技能を伸ばしたいと誰かに相談した場合、得られるアドバイスは2つのタイプに大別できる。

1つは「まずはとにかくたくさん作れ」という意見。数をこなすことが技能向上に有益なことを、私たちは経験的に知っている。

もう1つは「製作点数を減らしてでも一点あたりの完成度を高めろ」という意見。駄文をどんなにたくさん書いても文章は上手くならない。技能を飛躍させるためには、一点あたりの完成度にこだわったほうがいい。

一見すると矛盾した2つの意見だが、どちらが正しいのだろう。

どちらも正しいと、私は思う。

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上図は、クリエイターの技能向上の過程を図示したものだ。

クリエイターの成長は、「とにかくまず作ってみたい」という衝動から始まる。子供のころにクレヨンで描いた一枚の絵や、テープに吹き込んだワンフレーズの歌。そういったものをきっかけに、人はモノ作りを始める。最初はただ作るだけで楽しいので、品質にこだわらずに生産量を増やしていく。上図でいえば(1)の段階だ。

ところがある程度まで生産量が増えてくると、他人の存在が気になり始める。そして、愕然とする。世の中には自分よりも遥かに技術的に優れた人がいると気づくからだ。「あんなモノが作れたらきっと楽しいに違いない」「私もあんなモノを作ってみたい」そういう衝動から、作品一点あたりの品質を高めようとする。上図でいえば(2)の段階だ。

技術面がある程度の水準に達すると、ふたたび生産量を増やしたくなる。身につけた技術を活かしてチャレンジしたい題材がたくさんあるからだ。製作物の品質を維持したまま製作点数を増やすようになると、作業の効率がどんどん良くなっていく。そして生産量の増大につながる。上図でいえば(3)の段階だ。

以上のように「製作点数を増やす段階」と「製作物の品質を高める段階」を交互に繰り返して、クリエイターの技能は伸びていく。図中をジグザグに昇りながら、創造性曲線を右上にシフトさせていくのだ。

「とにかくたくさん作れ」と「一点あたりの完成度を高めろ」のどちらが正しいのか。

「どちらも正しい」が正解だろう。

大切なことは、クリエイター自身が「自分はいまどの段階にいるのか」を理解することだ。製作点数を増やす段階なのか、品質向上に務める段階なのか、それとも両方を同時に進めようとしているのか。自分の状況をきちんと把握したうえで、技能の向上につとめたい。

      ◆

製作物の質と量はトレード・オフになりがちだ。これを2軸のグラフで表現すると、創造性曲線という右下がりの曲線になる。そしてクリエイターの「技能の向上」は、創造性曲線が右上にシフトすることで表現できる。

技能を伸ばしつづけ、曲線を右上にシフトさせ続ければ、いずれは手塚治虫や西尾維新のような質と量を両立したクリエイターになれる。かもしれない。

「かもしれない」と弱気なのは、私が手塚治虫でも西尾維新でもないからだ。

今回の議論を私自身はまだ実証できないが、みなさんの創作活動の一助になれば幸いだ。

※と、ここまで書いておきながらアレだけど、手塚治虫や西尾維新レベルに速筆なクリエイターはやっぱりネジが外れているというか半分人間をやめてて、普通の人類は精神と時の部屋でもなければたどり着けないような気もする。

※なお今回の記事のグラフは、以前の記事に登場したグラフと形がよく似ているが、本質的に別のものだ。今回はあくまでも個人的・ミクロ経済的な現象を考察しているのに対して、以前の記事ではマクロ経済的な視点から考察した。

(2014年1月17日「デマこいてんじゃねえ!」より転載)

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