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稼げる人と稼げない人の違い/人材不足と低賃金が両立する理由

2016年08月28日 23時58分 JST | 更新 2016年08月28日 23時58分 JST

世の中には、人材不足と低賃金が両立してしまう業界がある。

たとえば介護や警備の仕事が代表的なものだろう。最近では、船員の人材不足により日本の海運業がヤバいという増田記事が注目を集めていた。船員の給与はそれほど低くはないが、労働環境のキツさには見合わない。そのため船員になりたがる若者が減り、深刻な高齢化に見舞われているという。労働力の供給過小が明白なのに、船員の待遇が向上しないのはなぜだろう?

これに似た事例として、クラウドソーシングの世界がある。

クラウドソーシングのサービスでは、いわゆる「クソ案件」が多いという。仕事内容に見合わない低報酬の発注があとを絶たず、なかには適法性が問われるような案件もあるそうだ。なぜクソ案件は無くならないのだろう。なぜ、そんなクソ案件でも、一部のクラウドワーカーは引き受けてしまうのだろう?

クソ案件が溢れているのは、何もクラウドソーシングの世界だけではない。たとえば家事代行サービスなど、インターネットを介した人材斡旋業では低価格化が進みやすいようだ。

あらゆるモノの価格は、需要と供給で決まる。人材不足とは、労働力の供給が足りないということだ。であれば、人材確保のために賃金が上がるはずではないか? なぜクソな労働環境は改善されないのだろう?

クラウドソーシングや、介護、警備、海運業──。

これらの仕事が(仕事のキツさのわりに)低価格化しやすい背景には、共通の経済学的土台があると思う。

■自由な「労働市場」は空想の産物

自由市場では、需要と供給によって、あらゆるモノにフェアな価格がつけられる。この発想そのものは間違っていない。問題は、自由市場というものが本当に存在するのかどうかだ。ある製品を買うにせよ、売るにせよ、選択の自由が双方にあって初めてフェアな価格が成立する。逆に言えば、供給側と需要側のどちらかの選択の自由が少しでも制限されてしまえば、もはや自由な市場は成立せず、適切な価格にはならない。

その点では、自由な「労働市場」など存在しないことになる[1]。

理由は2つある。

まず第1に、雇用者と被雇用者の間には、大きな情報の非対称性が存在する。企業側は、ある職業の給料の相場がどれくらいかを知っている。どれくらいの求人が出ており、どれくらいの応募があるのかも把握している。さらに、法務や労務の専門家を雇って、自分たちに有利な労使契約を合法的に結ぶことができる。

一方、大半の労働者はそのような情報は持っていない。法律や経済にも暗い。したがって、被雇用者側の「選択の自由」は、企業側のそれと比べて、大きく制限されていることになる。これは一般的な労使契約だけでなく、業務委託契約や、クラウドソーシングにも当てはまる。

たとえば「5,000字の記事を100円で書いてくれ」という依頼があったとして、それを引き受けてしまうクラウドワーカーは、ライター業の相場を知らない。インターネットが登場する以前なら、その10倍、100倍の金額が相場だった(かもしれない)のに、そのことを知らない。結果、自分にとって有利な条件を引き出すことができず、クソみたいな金額で仕事を引き受けることになる。

じつのところ、情報の非対称性が意味を持つのは労使関係に限らない。あらゆる経済的な取引は、情報強者に有利に働く。

その端的な例が、ネイサン・ロスチャイルドの伝説的な逸話だろう。有名な「ロスチャイルド家」を世界的な資産家へと育て上げた人物だ。

19世紀初頭、イギリスはナポレオン戦争を戦っていた。戦費を賄うために、大量の公債を発行していた。1815年6月18日、ワーテルローの戦いが勃発する。ここでフランス軍は敗北し、ナポレオン戦争は終結へと向かうことになる。

どういうわけかネイサン・ロスチャイルドは、ロンドン住民の誰よりも早くワーテルローの戦いの結果を知っていた。ユダヤ人のネットワークを利用したという説や、伝書鳩を使ったという説、なかにはネイサン本人が戦場で観戦していたという説もある。とにかく彼は、イギリスの勝利を誰よりも先に知ることができた。彼は圧倒的な情報強者だった。

ところが彼は、まずはイギリスの公債を売却した。ロンドンでは以前からイギリス軍劣勢の情報が伝えられていたため、証券市場の関係者は「イギリス軍が負けた」と思い込んだ。彼らは、ロスチャイルドが敗北の情報を手に入れたのだろうとカン違いしたのだ。結果、イギリスの公債は暴落。底値をついたところで、ロスチャイルドは公債を二束三文で買い戻した。

その後、イギリス軍勝利の連絡がロンドンに届くと、公債の値段は一転して暴騰に転じた。ここでロスチャイルドは公債を売り払い、巨万の富を得たという[2]。これはとても有名な逸話で、エディ・マーフィ主演の映画『大逆転』にも元ネタとして使われている。

自由な「労働市場」が存在しない第2の理由は、選択肢の非対称性だ。

企業の側は、たくさんの応募者のなかから最も有利な条件の労働者を選ぶことができる。一方、労働者側の選択肢はずっと狭い。たとえば新卒採用を例にあげれば、一部上場企業には数万人の学生からエントリーがあるだろう。ところが、一部上場企業そのものは2,000社くらいしかないのだ。企業側は数万人の選択肢から相手を選べるのに対して、学生は2,000社のなかから相手を選ぶことになる。企業側と労働者側では、選択の幅がまったく違う。

どんなに割りに合わない職場でも、他の選択肢がなければそこで働かざるをえない。実際、労働者は生活がかかっているので、少ない選択肢のなかから自分の労働力を安く売ることになる。結果、その人の賃金は最安値の水準まで下がっていく。雇用者と被雇用者の間に力の不均衡が存在することは、経済学の父アダム・スミスがすでに看破していた。1776年の著作で彼はこう書いている。

すべてのこうした争議にさいして、親方たちのほうがずっと長くもちこたえることができる。地主、農業者、親方製造業者、商人は、たとえ職人を1人も雇用しなくとも、既存の資本(ストック)によって1年や2年は生活できるのが普通である。ところが多くの職人は、仕事がなければ1週間とは生きてゆけないだろうし、1ヶ月暮らせる者はごく少数で、1ヶ年となると、まずまったくいないと言ってよい。長い期間をとってみると、ちょうど親方が職人にとって必要であるように、職人は親方にとって必要であろうが、しかし、その必要の度合は、職人にとっての必要の度合ほどにさしせまったものではないのである。

 

アダム・スミスの予見どおり、19世紀の労働者は悲惨な環境で働かざるを得なかった。当時は、働く時間が長いほど生産性が上がると考えられていたので、労働者たちは格安の賃金で、終わりなく働き続けることになった。(※まるで今の日本のブラック企業みたいだ) 8時間労働が普及するのは、労働組合がきちんと組織されて、力を持つようになってからだ。

たとえば1875年のマンチェスターでは、有産階級の平均寿命が38年であるのに対して、労働者階級のそれはわずか17年だった。リヴァプールでは、前者のそれは35年、後者のそれは15だったという[3]。産業革命の最初期には、経済全体が成長しているというのに、大半のイギリス人の生活水準はむしろ低下してしまった。この奇妙な現象は、歴史学では「初期成長のパラドクス」と呼ばれているそうだ。

情報の非対称性と、選択肢の非対称性。

この2つの非対称性が存在するため、被雇用者側はつねに雇用者側よりも弱い立場に立たされる。被雇用者側の「選択の自由」は大きく制限されることになり、労働市場は、自由な市場ではなくなる。人材不足と低賃金が両立してしまう原因の1つだ。

■ネットワークの「中心」と「末端」

クラウドソーシングが低価格化することや、介護や警備、海運で人材不足にもかかわらず労働環境が改善しないことには、もう1つの原因がある。それは、人間関係のネットワークの「中心」になることができず、「末端」から脱出できない仕事だということだ。

どういうことか、順を追って説明しよう。

オハイオ州立大学の社会学者ジェイムズ・ムーディーが行った「ジェファーソン高校の恋愛構造図」という研究がある[4]。アメリカのとある高校で、誰が誰とセックスしたかを示したものだ。なぜこんな調査ができたかというと、性病が流行ったからだそうだ。感染経路を突き止めようとした結果、このような人間関係のネットワークが浮かび上がってきた[5]。

この図を見ると、まず、大きなネットワークを作っている人々と、そのネットワークから分断されている人々がいることが分かる。西武線でいえば、西武新宿線と池袋線は巨大なネットワークを作っているのに対して、西武多摩川線はそのネットワークから切り離されている。これによく似ている。

また、人間関係のネットワークには「多数の相手と関係を持つ中心的な人物」と、そういう相手としか関係を持てない「末端の人物」が存在することが分かる。いわば、ハブ空港と地方空港、新宿駅と方南町駅のような関係だ。

このようなネットワークは、おそらく、恋愛以外の人間関係にも当てはまる。多数の人間と取引できる「中心的な人物」と、特定の相手としか取引できない「末端の人物」が存在するはずだ。

似たような例では、心理学者スタンリー・ミルグラムが1960年代に行ったチェーン・レターの実験が知られている。彼はネブラスカ州オマハの住人から160人を選び、それぞれに手紙を郵送した。手紙にはマサチューセッツ州シャロンに住むある人物の名前と住所が書かれていた。手紙を受け取った人は、自分の名前と住所を書き足し、もしもシャロンの人物と面識があれば本人に、無ければ、この人物を知っていそうな友人に手紙を転送するというルールだった。

当時のアメリカ人口は2億人に達しようとしていた。オマハは北米大陸のド真ん中、シャロンは東海岸であり、要するにめちゃくちゃ離れていた。にもかかわらず、このチェーン・レターの大半は、わずか5段階から6段階を経て、シャロンの住人に届いた[6]。

この実験結果から「六次の隔たり仮説」や「スモールワールド仮説」という考え方が生まれた。私たちが暮らしている世界は、意外と狭い。1人の人間が100人の知人を持っていると仮定したら、5段階先(※友だちの友だちの友だちの友だちの友だち)の人数は100億人──つまり、地球人口を超えてしまう。

重要なのはここからだ。

シャロンの住人の自宅に届いた24通の手紙のうち16通は、とある織物商の手で直接本人に渡されていた。また残りの手紙は職場に届いたが、その大半はブラウン氏、ジョージ氏の仮称で呼ばれる2人の人物を通じていた。合計すると、シャロンの住人に届いた手紙の半分が、これら3人の人物から届けられていた[7]。

たしかに、私たちの暮らす世界は意外と狭い。

だが、その狭さは平等ではない。

ごく少数の人が、わずかな段階でその他すべての人とつながっており、残る人々はこの特別な少数者を通じて世界とつながっているのだ。織物商やブラウン氏、ジョージ氏は、人間関係のハブ、いわば新宿駅や東京駅のような存在だ。人間関係のネットワークで中心的な立場にいる。だからこそ、アメリカ大陸を旅したチェーン・レターが最後に集まる場所になり、シャロンの住人へとつなげることができた。

私たちが生きる人間社会には「中心」と「末端」がある。このことを直観的に感じている人も多いだろう。ジェファーソン高校恋愛構造図と、ミルグラムのチェーン・レターの実験は、その直観が正しいことを裏付けている。

人間は、1人では生きていけない。

誰かと資源の交換ができる人は、それができない人よりも豊かな生活を送れる。

であれば、取引できる相手が多くなるほど、生活の豊かさは指数関数的に向上していくはずだ。人間社会の中心になる人物は、仕事を紹介される機会が多く、商売のチャンスにも恵まれているだろう。一方、末端の人物は、そのような好機に巡り会わず、低い生活水準を余儀なくされるはずだ。

小規模な狩猟採集民族が「原始共産主義」と呼ばれるような平等な社会を作れるのは、関係する人間の数が限られているからだ。数十人規模の集団なら、全員が他の全員と取引をする。物々交換をするし、信用貸しをする。そのような社会では経済的格差は生まれない。人間関係に中心と末端が生じないからだ。

ところが人口が増えると、人間関係にも偏りが生じるようになる。リーダー格の人物はたくさんの人間と取引ができる一方、あまり立場の強くない人物は、わずかな相手としか取引ができないだろう。集団の人口が数百人、数千人の規模まで膨らむと、社会は階層化していき、経済的な格差が生じる。

地域の人口規模と社会形態のあいだには相関関係がある?