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アメリカ人は本当に銃を持ちたいのか

連邦法を変えることができたらアメリカはおのずと変化する。

2017年11月02日 16時38分 JST | 更新 2017年11月02日 16時48分 JST

アメリカ史上最悪の銃乱射事件が発生した。

ネバダ州、ラスベガスの中心部で59人が死亡、500人以上が負傷した。

様々な意味で非常に悲しい事件である。子供まで犠牲となったことは到底許せることではないし、国として恥じるべき状況であることは否めない。

トランプ大統領は、この事件を受け、容疑者について非常に病的であると述べ、

犯罪を犯す者の精神状態などの問題に取り組むことが必要だと主張した。

こうした反応は、銃撃事件などが発生した際に銃の所持を支持する団体が支持する、政治家の典型的な意見とも見てとれる。

約3億丁の銃が存在しているといわれるアメリカ。昨年のある銃乱射事件の調査では、66年から12年の間に世界で発生した銃乱射事件の3分の1はアメリカで発生したという。多発している銃に関する事件に慣れてしまっていることも、私たちはあらためて異常であると認識するべきことであろう。

私は一人のアメリカ人として、この事件をなおざりにするのではなく、アメリカは何か行動を起こさないと国家の品格が保てないと思った。

武器の所持を保障されているアメリカ

アメリカでは、建国に銃が大きく関わっている。

建国時、アメリカには組織された軍隊が存在せず、銃で武装した民兵がその役割を担っていた。言うまでもないかもしれないが、1791年成立の憲法修正第二条で無制限の銃器所有権を全国民に保障していると考えるアメリカ人は少なくないだろう。

また、1776年の独立宣言にも政府(イギリス)の専制に対する市民の抵抗を保障するという思想が反映されていることから、銃器の所有や抵抗を銃の所持と結び付けていると考える。

さらに、2008年、最高裁がコロンビア特別区(ワシントンD.C.)の短銃規制について、武器の保有権を定めた合衆国憲法修正第2条に違反するとした違憲判決を下した。コロンビア特別区の短銃規制は、個人の短銃所持を一律に制限する、全米でも最も厳しい規制となっていた。連邦最高裁判所が、修正第2条の銃規制をめぐって違憲判決を下したのは初めてで、修正第2条が個人の銃器の保有を保障していることも初めて明確にしたものであった。

しかし、こうした権利や思想があるからといって殺人を犯して良いと解釈するのは明らかに間違いである。そして、どのような武器の所持が許され、どのように使用するかなどは明記されていないのだ。

本当に日常に銃はあふれているのか

某調査機関の発表によると、10人中4人は家庭に銃があり、銃を所持している人の67%がその目的を自衛ためと返答している。別の調査では300万人が銃を毎日携帯しているという。

また、銃撃事件、乱射事件が発生すると銃規制の議論が盛んになり、護身用の銃が売れて、銃関連企業の株価が上がるとも言われるようにアメリカの経済活動にも影響を与えている。

しかし、私は銃とは関係のない世界で生活をしている。私がこれまでアメリカで生活してきた中で、警察官以外、日常生活の中で銃を携帯しているものや使用している現場に遭遇することはなかった。日本の日常生活とアメリカのそれは変わらないという意識を持っている。

銃撃事件に関する報道から受けるネガティブなイメージから、銃の所持者は精神上状態に問題があったり、生活に困窮した者が犯罪を犯すと捉えられるかもしれないが、

こうした銃の事件が発生すると、友人との会話の中において身近である友人も銃を何丁も所持しているのだと知ることがある。その友人の学歴や所得などバックグラウンドも様々である。

銃に関する意見は擁護派と規制派と二分されていて、支持政党によってもその傾向を見てとることができるが、全般的な傾向として、2009年以上、擁護派と規制派はほぼ同数といわれている。

政治を語るのと同様に、その人の信念が表出しやすい話題であることからビジネスなどのオフィシャルな場面ではもちろん、友人と話すときにも慎重にならざるを得ない場合もある。

国民は本当に銃所持を望んでいるのか

一方で、銃擁護派の意見があまりにも強いと感じることがある。擁護派の代表格はNRA、全米ライフル協会で、武器製造会社や軍隊、政府など連携して活動している。

会員には元大統領、俳優、スポーツ選手などが名を連ねており、会員数は500万人以上とも言われている。その組織力と年間2億ドルといわれる資金力によって、銃擁護派の政治家を支援している。トランプ大統領を支持していることも周知の事実である。

これは私の実感であり、裏づけがあるわけではないがいくつかの擁護派の団体は、被害妄想というべきか表現が難しいところであるが、こうした事件が発生すると、「規制」という部分にセンシティブに反応し、その規制の範囲を話し合うテーブルに就く以前に拒絶しているかのようだ。

ちなみに、過去にはこんな例もあった。コネティカット州で2012年に発生したサンディ・フック小学校銃乱射事件等を受けて、オバマ前大統領が提出した銃規制法案は翌年に上院で否決された。この時、NRAはオバマ前大統領の銃規制改革を批判する広告キャンペーンに法案が議決される当日だけで50万ドルを費やしたとも言われている。

この否決を受けて、オバマ大統領は「9割のアメリカ人が支持する改革案が通らないのであれば、政治家はいったい誰の代表をしているのだろう」と述べている。

というのは、この改革案は民主党の議員だけではなく、共和党の議員等によって提案され、そのひとつには「身元調査の完全義務化」も盛り込まれていた。「身元調査の完全義務化」については憲法修正第二条にも抵触せず、現実的で常識的なものであると考えられたからだ。

厳密に9割の国民というわけではないが、ほぼ全国民が支持しているであろう二つの党から出された改革案が通らないことに対しての疑問を呈する言葉であったと私は受け取った。

弁護士の視点から考える銃規制

ところで、憲法で武器の所持が認められているからこそ、大きな変化をもたらすのは正直難しい。しかし、前述の通り、憲法では銃の所持は認めていても、どんな銃であるか、どのように使うかなど詳細は書かれていない。ゆえに規制はできるのだ。

例えば、今回の銃乱射事件が発生したネバダ州は銃規制がゆるいことでも知られている。同州では銃購入時の身分証の提示は義務付けられておらず、州への所有登録もない。一方で、ニューヨーク州は銃規制に厳しいとされ、2013年にさらに規制を強めた。規制対象となる襲撃用銃器の定義を広げたほか、弾倉に装填できる弾丸を従来の10発から7発までにした。さらに、また精神科医らに対し患者が危害を加える可能性がある場合は市や郡に通報することを義務化。インターネットによる銃の売買も禁止されている。

このように現在は州ごとに取り締まっているが、連邦法を変えることができたらアメリカはおのずと変化する。

銃の所持を憲法に盛り込んだアメリカの未来を考えたとき、やはり、銃犯罪に麻痺した感覚を目覚めさせ、銃の使用についての意識を変革させていかなければならないと私は考える。繰り返すが銃を所持してよいとしても、殺人を犯してよいと主旨を摩り替えてはならない。私は法曹界に身をおくものとして憲法改正のハードルが高ければ連邦レベルで法律を変えていく努力をしていきたい。