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「50過ぎたら楽になるわよ」の真実

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AGEING WOMAN
CONEYL JAY via Getty Images
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40歳前後の頃、50代の女性に「50過ぎたら楽になるわよ」と言われたことがある。

彼女たちは私が持っていた一般人対象の美術系講座の生徒さんで、当時53~54歳くらい。皆さんとても明るく楽しそうでエネルギッシュで、「私より全然元気だな~」といつも感心していた。

50過ぎたら楽になる。それを聞いた時、私は思わず「ほんとに?」と真顔で食いついたのを覚えている。その人は笑って「たぶんね」と言い、「ある時憑き物が落ちたみたいに、スーッと軽くなるの。ね?」ともう一人に同意を求め、隣の人は「先生くらいの年齢は一番大変なのよ。でもそこを抜けたら楽だから」と言った。そうなんですか。

確かに、その頃の私はいろいろとしんどかった。眼に見える更年期障害はまだなかったが、精神的には不安定。その中心にあったのは、加齢恐怖だ。
その頃、同世代の同性の友人と会えば、
「最近ちょっとヤバいんだ」
「うん。私もちょっともう、ここらで食い止めたい」
「なんとかしてここらで食い止めたいよね」
という話になり、それは地球温暖化でも少子高齢化の話でもなく、加齢か体重の話であった。
アラフォー世代は、年齢的にはオバサンと言われるだろうが外見はまだ若い。気分はまだ30代半ばくらいで、ちょっと若い恰好もしたい。しかし本当に若い人と比べればその差は歴然。それゆえ何かと煩悩に振り回される。40くらいで既に悟りの境地に達している人も中にはいるだろうが、大半はそうではないと思う。

私のような地味なブスは、若い頃は「ブスのくせに」という視線を怖れ、歳を取るとそれに加えて「ババアのくせに」という視線に耐えねばならない。「ブス」はともかく「ババア」を受け入れるには、40歳はまだ早過ぎる(というか、「ブス」「ブサイク」と同じく「ババア」も「ジジイ」も、実在の相手に向かって使ってはいけない言葉だと、実際にババア年齢になるとよくわかる。自分で自分のことを言う分にはいいが)。

少しでも老いに抵抗したいという切実な願いが生まれるのは、女が老いるということがこの社会では「女」としての価値の下落を意味するからだ。自分としてはそうした価値観とは別のところに重心を置いて生きてきたつもりでも、実際加齢恐怖に苛まれていたのだから、その価値観を内面化していたということだ。

歳を取っていいことなんか何もないと思っていた。だから40歳頃の私は、一回り上の女性の眼からすると、加齢と闘っている痛々しく苦しそうな感じがあったのだろう。

数年前、同年代の友人が「『不惑』なんて言うけど、40代なんてまーだまだ迷ってたよねえ」と言った。「50過ぎてやっと‥‥って感じだよね」。自分を思い返してみても本当にそうだった。

40代はまだ体力も気力もあるため、加齢問題でのジタバタ以外でもいろいろ迷ったり足掻いたりする。頑張って底力を振り絞れば、軌道修正もやり直しも可能な最後の年代だから尚更だ。

「私、50を過ぎた時、『これからは好きにできる』と思った」と、そのベテラン美容師の友人は言った。「40代の時は、まだ業界の上の方の人も元気だったから遠慮もあったし、一応私も中堅の要でそれなりに果たさなきゃならない責任もあったけど、そろそろいいかなって。もうショーでは好きなようにやらせてもらうんだって思ったよ」

画家でも陶芸家でも物書きでもアニメーターでも、50歳を過ぎてから真の意味で「自由」になるというケースはよくあるだろう。迷ったり足掻いたり振り絞ったりの蓄積があって訪れる、「自由闊達」の境地。

私は今、55歳だ。自分が「自由」になったという実感はまだない。煩悩から完全に解放されてもいない。歳を言って「全然見えませんね」と返されれば、お世辞とわかっていても心の中で「やっほう!」と叫んでいる。

ただ、15年くらい前に言われた「50過ぎたら楽になるわよ」の意味は、少しわかってきた気がする。わかってきたというか、時々「ああこれか」と体感できるようになった。具体的には以下のようなことだ(あくまで「私の場合は」。40代や30代でこういう心境に達している人も、60過ぎてもそうじゃない人もいるだろう)。

1. 異性の視線をスルーできる。

 「異性の視線が自分をスルーする状況が心地よい」と言った方がいいか。後ろから来て振り返り「なんだ‥‥」という失礼な視線にも出会わない。一人で飲んでいてもちょっかい出してくるオッサンはいない。若い時は、人間が男か女に二分されていることが息苦しかったが、今そのカテゴリから自分が少し横に出かかった感じになっているのが、なんとなく楽。

2. 可愛いものを心置きなく愛せる。

 幾つになっても可愛いものが好きな女性は結構いる。「オバサンのラブリー好み」が危険なことは皆知っているから、さすがに身につけるものは避けるが、小物は盲点に。バッグから取り出したハンカチがミッフィーだと、40代なら「え」と思われそう。だが、もう50過ぎていれば誰でも大概諦めて見逃してくれる(と当人は思っている。当人が何の根拠もなくそう思い込めることが重要)。

3. 若い頃に読んだ本、観た映画をもう一度新鮮に味わえる。

  これは50を過ぎなくても多くの人が経験していると思う。特に古典。歳を取ると趣味が保守化するのは、新しいものに感覚がついていけないからだとよく言われる。それも確かにあるだろうが、古典に再度出会ってその魅力に改めて嵌る人も多いのではないか。あと忘れっぽくなるので、30年くらい前に読んだ本なら初めての気分で読めるのもお得(持っていたのを忘れて買ってしまうという失敗もたまにある)。

4. 目標が絞られてくる。

  40代までで自分の器や限界を知り、更に集中力や体力がだんだん落ちてきて残りの時間でやれることが見えてくると、人との付き合いも含めてさまざまな物事を一旦整理しなければならなくなる。「このことはもう気にしない」「これには手を出さない」と思い切って削いでいくと、するべきことが絞られてくるし、気も楽になる。ネットでは「はてな関係の話題や揉め事には食いつかない」と決めてから(最近だが)、だいぶ楽になった。

5. 謙虚になれる。

 「自分で自分を謙虚だと言うことほど謙虚じゃないことはないだろう」ってツッコミはなしで。それまでの(自分なりの)謙虚さは、「私はまだまだ未熟者です」という対人的・社会的な謙虚さであり、はっきり言えば処世術として装うこともできた。今自分の中にあるのはそれではなく、人間とか社会とかいったものを越えた何かに対する畏敬の感情に近い。と言うと宗教がかって聞こえるかもしれないが、ペットから親まで近しい者の死をわりと続けて体験したことが、こういう感情の醸成に影響していると思う。

なんとなくは予想していたが、書き出してみて、私の「50過ぎたら楽になる」とは「諦め」に裏打ちされたものだとわかる。ある種の「諦め」を経て手に入る「楽」である。

もうちょっと積極的に諦めて捨てればもっと身軽で楽になるなぁと思いつつ、まだその時ではないなと思って取ってあるものもあるので、要はバランスなのだろう。自分の中でバランスが取れていればよく、他人から見てどうかというのはあまり関係ない。このように割り切れるようになったのも、わりかし最近のこと。

「諦める」なんて惨めで厭だ、だから歳を取るのは厭なんだ、自分の50代など想像したくもない‥‥と40代の初めの頃は思っていた。でもいざそうなってみると、思っていたほど悪いものでもないよ。15年前の自分にそう教えてやりたい。

●「加齢」関連記事(結構書いてた)
おばあさんの体

「おばさん」というもの
50歳
人生のピークって何だろう
おじさん三題
「おばさん」という呼称
丸くなるということ
「再び大人になる」ということ

(2014年9月2日「Ohnoblog 2」より転載)

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