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曲がった釘の思い出

2014年03月26日 16時12分 JST | 更新 2014年05月25日 18時12分 JST

暖かくなったので、放りっぱなしだった庭を片付けることにした。

いつ何を解体したのかも忘れてしまったくらい古い角材が、隅に7、8本積んである。それに付いたままになっているL字金具を取り、釘を引っこ抜いてから、ノコで適当な大きさに切って可燃物の袋に詰める。

散らばった釘を拾い集めていたら、父のことを思い出した。

休日に、父はよく庭でいろいろな作業をしていた。鉢植えの植え替え、庭木の剪定、薪割り、日曜大工、左官‥‥。父は何でも自分で、わりと器用にやる人だった。また、物を非常に大切にしていた。

子どもの頃から家の内外の肉体労働を手伝ったり、ちょっとしたものは手作りするのが当たり前だった戦前生まれの世代である。結婚した昭和32年当時、父はまだ貧しく、母もほとんど嫁入り道具など持たずに嫁いだので、家の中にロクな家具がなかった。本棚もちゃぶ台も林檎箱で代用していたという。

少しずつ家具を買い揃えるようになって、いらなくなった林檎箱を解体した。その板きれは薪(昭和30年代、私の家は竃で薪を燃やして風呂をたてていた)にし、抜いた釘も捨てずに取っていた。

釘は釘抜きで抜くと大抵少し曲がってしまう。それを父は、コンクリートの三和土の上で一本一本、金槌でトントンと叩いて伸ばして真っすぐにしていた。再び使えるように。

どんな小さな釘も材木から引っこ抜き、そうやっていちいち曲がったのを直す。完全に真っすぐになるわけではないが、父によれば「また使えるんだから捨ててはいけない」。一度使った針金なども、やはり金槌でトントン叩いてできるだけ真っすぐにしてとっておくのが習慣だった。

その頃、子どものいる家庭に貰い物でよくあった泉屋のクッキーの四角い空き缶に、プラスチックの仕切りをそのまま利用して、父は几帳面に大小の釘や金具を分類して入れていた。

その中に真新しい釘はなかった。1回か、どうかすると2回くらい使用済みのものばかりで、すべて錆が浮いて黒ずんでいた。

だから子どもの頃の私は、釘は黒いものだと思っていた。家の建て増しで大工さんが入った時、初めてピカピカ光る釘を見た。

父の「物を捨てない」主義は徹底していた。

高校の教員をしていたが、テストの問題用紙や答案用紙や自治会のビラなどの余った紙類を持って帰って、全部同じ大きさに切り揃え、裏をメモ用紙の代わりにしていた。私や妹が落書きするのも、漢字の練習をするのも、作文の下書きも、何もかもその紙。その頃、紙に何かを書くことは今より多かったような気がする。

「物を捨てない」と同時に「物を買わない」のも父の"主義"だった。靴から電化製品に至るまで、私の家にある物は慎重に慎重を重ねて購入され、使用期間が本当に長かった。破れたり壊れたりしても、直して使う。

チビた鉛筆は必ず金属のホルダーを嵌めて、ギリギリまで使いなさいと言われた。そもそも鉛筆というものを買った覚えがあまりない。父が勤務先から、取りに来ない忘れ物や捨てられていたのを持って帰ってくるからだ。

1960年代から70年代にかけての日本は、大量生産・大量消費の時代と言われる。高度経済成長期で所得がどんどん増えていった一般庶民は、次々と出る新しい製品を競って買い、少し古くなったり次のモデルが出たらまた次々と買い替えていったのだと。

今朝、NHKBSで再放送していた『プレミアムアーカイブス 映像の戦後60年』の第2回(1960~1975)でも、そうしたストーリーが語られていた。たしかに世の中全体の動きとしては、そうだったのだろう。

でも父のような人は、当時まだいたのではないかと思う。物資のない戦中、戦後を生きて、物を祖末してはいけないという思いが肌身に染みついているような人、世間の消費の速度に背を向けているような人が。

もちろん父のあまりの節約ぶりを、恨めしく思ったことは何度もある。私も当時の子どもらしく、筆箱に真新しいユニの鉛筆をずらりと並べてみたいという渇望に囚われていたから。

しかしそんな父も経済的な余裕ができるようになると、お金のかかる趣味に没頭し始めた。最初は洋ラン(温室を自分で建てた)。次に錦鯉(池を自分で作った)。そして骨董。大して見る目もないのに欲しいと思うと我慢できずに次々と買ってしまい、その総額は母に言わせれば「マンションが買えた」。

若い頃に節約したことの反動が来たかのように父は散財を重ね、家にはガラクタが溜っていった。

それらも年老いてから結局すべて、買った時の何分の一かの値段で売り払ってしまい、今は何も残っていない。少しは良い物もあって母がとっておこうとしたが、売り払いたいとなるともう父は我慢できないのだった。

あれほど「物を大事にしなさい」「節約しなさい」と子どもに教育し、身をもって実践していたのに、どこかでタガが外れてしまった父の経済観念。それももしかしたら、物のない時代を生きて戦後豊かになった日本人の典型だったのかもしれない。

その後しばらくして、今度は母がちょっとおかしくなり、父が持て余していた蔵書をほとんど売り払ってしまった(その中にはもうなかなか手に入らない明治期以降の文学作品や児童書の初版復刻本もあり、私は後から話を聞かされて大層がっかりした)。

何もなくなった家に、錆ついた大小の釘の詰まったクッキーの缶だけが残った。

庭先で引っこ抜いて散らばったL字金具と釘。曲がっていないのと曲がったのに分けてみる。

曲がったのを金槌で叩いて伸ばしリサイクルする根気は、私にはない。比較的真っすぐなのだけ、取っておこうと思った。

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(2014年3月25日「Ohnoblog 2」より転載)