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国公立2次試験を「人物評価重視」に移行させたがる真意

2013年10月15日 00時22分 JST | 更新 2013年12月14日 19時12分 JST

■「何のために生き」を明示できる学生を評価する動き

政府の教育再生実行会議が、国公立大学の入試2次試験から学力試験(ペーパー試験)を廃止し、面接などの「人物評価」を重視する方向へと検討を始めたという。11日配信の毎日新聞の記事には下村博文文部科学相の単独インタビューが掲載されており、ペーパー試験を廃止し人物評価を重視する2次試験を導入する大学には、「補助金などでバックアップしたい」としている。「学力一辺倒の一発勝負、1点差勝負の試験を変える時だ」とは聞こえはいいが、この「人物評価」をそのまま見過ごすことはできない。一体、何を評価するというのか。

11日に行なわれた第13回教育再生実行会議の冒頭で挨拶をした安倍首相はこう切り出している。「大学が、ペーパーテストのみによる選抜や学力不問の選抜を行うことによって、この貴重な時期に若者の能力を伸ばすチャンスを失うことがあってはならないと思います。大学入学者選抜については、能力や意欲を多面的・総合的に評価をし、判定する方向に転換していく必要があります」(首相官邸HP)。人物評価とは、能力や意欲を多面的・総合的に評価すること、を指しているようだ。挨拶文とはいえ、具体的な指標は何一つ示されていない。

教育再生実行会議とは今年の年始に発足し、「教育再生は経済再生と並ぶ最重要課題」とする安倍首相をはじめとして、元・新しい歴史教科書をつくる会会長の八木秀次や、「女性社員は子どもが生まれたら一旦退職するべき」論争でお馴染みの曽野綾子などの15名の有識者と政府関係者で構成される組織。第一次安倍内閣時の教育再生会議を復活させたのがこの教育再生実行会議だが、教育再生会議に名を連ねていた有識者の一人が、「365日24時間死ぬまで働け」発言でお馴染みのワタミ株式会社代表取締役社長・CEOだった渡邉美樹である。こうしてある程度の悪意を持って名前を引っ張り出してしまえば、この会議の前提に敷かれた、あるべき学生像/若者像に大きな不安を持たざるを得ないが、では、この「人物評価」について具体的にどのような議論が進められてきたのだろう。最新の第13回の1回前、9月18日に行なわれた「第12回 教育再生実行会議 配布資料」を覗き見してみよう。人物評価の軸足作りを彼らに委ねていいのだろうかと悩ましくなる提言が散見される。

「資料2 高大接続・大学入学者選抜の在り方についてのこれまでの主な意見」から抜粋する。「何のために生き、何のために勉強し、何のために学校に行くのか、ということを考え、志を立ててやっていくことが一番大事」。金八先生の説教ならばまだしも、なぜ、入学者選抜の在り方において「志」が問われなければいけないのか。そんなものは、受ける側の心の内にあれば良いではないか(もちろん無くても良い)。なぜ、「何のために生き」るのかを明示できなければいけないのか。安倍首相の言う「若者の能力を伸ばすチャンスを失う」という懸念は、むしろ、この段階で志を宣言せよと強いる心持ちのほうにあるのではないか。

■その「人となり」を、長期的な視点で判断したい、という真意がチラつく

更に踏み込んだこんな意見もある。「小論文、面接等の手段で、何を学びたいのか、何を成し遂げたいのかといった子どもたちの「志」を問うべき。大学は、その志を受け取って熟慮し、その「人となり」を総合的に評価し、その志をいかに支援できるか、大学でいかに育成できるか検討して、入学の可否を判断するような入試をすべき」。

断言するけれど、「人となり」(=生来の性質/大辞泉)を総合的に評価することなど、10年はかかる。いやそもそも、何年かかっても全てを把握できるものではない。個人的な付き合いの中で、その人となりが合うか合わないかで付き合いが生まれたり遮断されたりすることはいくらでもあっていい。しかし、入学の可否のような、組織が個人に対するジャッジに「人となり」が使われるのは不可解だ。再度「大辞泉」で調べれば、「生来」とは「生まれたときからの性質や能力。生まれつき」を意味している。学習努力よりも生まれつきの何かが優先されてはいけない。

この指摘は書き手の曲解、あるいは過剰な指摘と受け取る方もいるかもしれない。では、同資料からこんな意見を引っ張り出そう。「義務教育段階からの学習履歴、ポートフォリオの蓄積を入試に活用してもいいのではないか」、ほら、これが、教育再生実行会議のメンタリティなのである。教育の世界で使われるポートフォリオとは一般的には馴染みの薄い言葉だ。「学習活動において児童生徒が作成した作文、レポート、作品、テスト、活動の様子が分かる写真やVTRなどをファイルに入れて保存する方法」(参照HP)だという。ペーパー入試のみから人物評価重視へ移行したいのは、単に学生に「志」を求めたいという精神論だけではない。つまり、半年か1年くらい勉強しまくっただけで合格してしまうような「ぽっと出」ではなく、もっと長期的な視点でその「人となり」を判断し、優れた「人となり」を抽出してエリートを育てたい、という真意がチラついている。勿論、これは有識者総意ではないだろうが(この資料に発言者の明記は無い/中には冷静な意見もある)、少なくとも、安倍首相の言う「多面的・総合的に評価」に、受験者のその時点への評価だけではなく、受験者個人の"ヒストリー"が含まれていることは想像に易い。実際に「人物評価重視」を導入するのであれば、その人物評価をするための事前提出資料はどんなものになるのか等々、注視していく必要があるだろう。

■多くの権力や財力をもつ立場の者ほど『学ぶこと』『働くこと』を美しく語る

教育社会学者の本田由紀は、この6月に刊行された岩波書店編集部編『これからどうする』所収「『学ぶこと』と『働くこと』の結び目をどうするか」の中で、こう書いている。

「『学ぶこと』と『働くこと』のどちらについても、特に近年、こうした語り方の両極化が著しくなっているように感じる。多くの権力や財力をもつ立場の者ほど『学ぶこと』『働くこと』を美しく語り、(中略)また、『学ぶこと』がはらむ問題を補うために『働くこと』の価値が持ち出されたり、逆に『働くこと』の荒廃を改善する手段として『学ぶこと』による解決が持ち出されたりする」。

教育実行会議が画策する「人物評価重視」は、この引用部の懸念と無関係ではない。会議発足時の記事には、「1月24日の初会合で安倍首相は『教育再生は経済再生と並ぶ最重要課題』と強調。『安倍』とエデュケーション(教育)を組み合わせて"アベデュケーション"とも呼ばれる改革の行方が注目されます」(共同通信)とある。さすがに語呂が悪いのか、ちっとも浸透していない"アベデュケーション"との呼び名だが、これからこの教育再生実行会議を軸にして教育再生への動きを加速させていくのだろう。ならばこちらもそこで動こうとする人たちの「人物評価」を重視していかなければならない。