鼻くそを自由にほじれない社会 〜大阪駅で"勝手に"実施される顔認証実験〜

JR大阪駅の駅ビル「大阪ステーションシティ」で利用客をカメラ90台で撮影し、特定した個人の行動を追う実験がこの4月から始まろうとしている。JR側とビル側の協力の下でやりますんで、と言われても、「うちら聞いてへんで」と利用客から憤りが沸き上がるだろう。

■利用客をカメラ90台で撮影し個人の行動を追う実験が始まる

防災と防犯の名の下に「監視」への働きかけがフルスロットルになっている現在、東京五輪に向けてのテロ対策を持ち出せば、ますますスムーズにあちこちへ監視カメラが導入され、個々人の行動形態が掌握されることになるだろう。JR大阪駅の駅ビル「大阪ステーションシティ」で利用客をカメラ90台で撮影し、特定した個人の行動を追う実験がこの4月から始まろうとしている(参照:朝日デジタル)。

記事によれば、「顔認証技術の精度を確かめるのが狙いで、データは個人が識別できない処理をしたうえで、JR西日本に提供される」という。実施するのは総務省所管の独立行政法人・情報通信研究機構(NICT)。本機構のプレスリリースによれば、「西日本旅客鉄道株式会社及び大阪ターミナルビル株式会社の協力を得て、大阪ステーションシティにおいて実証実験を行います」とのこと。JR側とビル側の協力の下でやりますんで、と言われても、「うちら聞いてへんで」と利用客から憤りが沸き上がるだろう。プレスリリースは昨年11月25日に発表されているが、そこに「11月から実証実験環境の設置を開始いたします」とあるのはもはや事後報告で不誠実だし、利用者が実際にアクセスするであろう大阪ステーションシティのHPには今回の実験の告知は現時点でもなされていない。いきなり人格者ぶるが、「実験」を行なう時に、実験対象に告知せず、実験場所にだけ許可をとればOKとするのは人道的ではない。

■災害時の安全対策に、「本人の許可無く個人を特定」は必要なのか

実際にどのような実験を行おうとしているのか。プレスリリースに掲載された「実験概要図」を参照してみよう。施設内通路や施設内広場に約90台のカメラを設置し、取得した映像から「特徴量」(後述)を抽出する。個人が特定されないようデータ処理を行ない、それをNICTが保存した上で共同研究機関に渡し分析、その結果を施設管理者(今回ならばJRと大阪ステーションシティ)に渡す、という。「特徴量」とは、顔の映像から特徴となる点を100点程度抽出したもので、その特徴量で個人を特定し、個人の動向を追うのだという。「顔相当領域から抽出する場合の特徴量は顔面積の数%以内」だが、その特徴量にIDを与え、他のカメラが同一の顔を認識すると、その動きが関連付けられる、という仕組みだ。

震災後、確かにビックデータは注目されている。本実験の狙いをNICTは「災害発生時における避難誘導等の安全対策の検討に活用する」としているが、人数把握とその導線を分析するために、本人の許可無く個人を特定して追跡する必要性があるのかどうかについて、詳しい説明はひとまず無い。「平成26年4月から約2年間を予定」という実験期間はあまりにも長丁場ではないか。分母が大きければ大きいほどデータの価値は高まるのだろうが、平日/休日/催事開催日/年末年始といったいくつかのサンプルを抽出すれば、「実験」は済むのではないか。

■元の映像は直ちに消去されるのに、防犯に役立つ?

朝日新聞の記事が出たあとにweb25が「顔認証カメラ通行人追跡実験に是非」という記事を配信、今回の実験に肯定的なネットユーザーの声として「指名手配犯とか行方不明者を発見するのにもつながるな」「犯罪者以外には関係ない話。てか犯罪減って良い話」という声を紹介しているが、これは見当違いだ。NICTの説明にはこうある。「施設内で不可逆処理を行い、元の映像が復元不可能かつ特定の人物が識別できない情報に変換するとともに、元の映像は変換後直ちに消去します」。つまり、ひとまずの建前上は、この施設内で指名手配犯がうろついていたとしても、「元の映像は直ちに消去」され、本実験以外の目的では利用・提供されないと誓われた以上、使用されることはないのだ。

しかし、矛盾はある。このプレスリリース自体、今回のような取り組みは、防犯などの分野で注目を集めていますよ、と謳われているからだ。「ほら、防犯などにも役立ちますから」というひとまずのアピールが、今回の実験に理解を得させようとする1つの材料ともなっているのだ。個人特定や個人追跡は絶対にしませんよと誓っているにもかかわらず、だ。

■「『顔認証システム』が、『テロ対策』として有効性を持ちえないことは歴然としています」

実は2006年にも、同様の実験が霞ヶ関駅で行なわれている。当時の記事を引っ張ると、「千代田線内幸町口改札の一つを実験専用とし、高さ約2メートル30センチの位置に設置されたカメラ(約200万画素)2台で撮影する。通行人が、事前に『危険人物』として登録したデータと一致すれば警報音が鳴るシステム。5月19日までの平日午後の1時間だけ運用する」(毎日新聞・2006年4月29日)というもの。危険人物の規定が曖昧だと当然の反対論が出たが、実験は強行されてしまった。東京五輪に向けてこの手の監視はむしろ歓迎されるだろう。この霞ヶ関駅の案件に対して反対声明を出した、田島泰彦氏らが組織する「監視社会を拒否する会」の申入書が現在でもWEB上で閲覧することができる。

「貴省(著者注:国土交通省)は、この『顔認証システム』の実証実験を、昨年(2005年)7月7日に発生したロンドンでの地下鉄爆破事件を奇貨とし『テロ対策』の名目で行おうとするようですが、ロンドン市内50万台もの監視カメラ設置にもかかわらず事件が起きたこと、事件直後にブラジル人男性が犯人と誤認され警察に射殺される事件が発生したことなどを直視すれば、『顔認証システム』が、『テロ対策』として有効性を持ちえないことは歴然としています。いわゆるテロをなくすためには、何よりも、それが発生する真の社会的背景や原因を改善、解消するよう努めることこそが先決であると考えるものです」との弁は、東京五輪に向かう中で急いで作りたがる監視社会の前に、今一度認識され直されるべきだろう。

■つまりこれって、マーケティング用のデータでしかない

おっといけない、話が逸れてしまった。なんたって、今回の実験は「ただちに映像が消去されるのだから、防犯目的では無い」という前提なのだった。NICTはデータ集計によって分かるサンプルとして、「人流の時間毎データの集計」「滞留状況の時間毎データの集計」「集計データの統計処理」を挙げている。ちょっと言葉が硬いのでほどいてみれば、要するに、どれくらいの人が来て、どのくらいその場所にいるかを流れで関連づけて把握することができる、ということ。つまりこれって、ポイントカード等と同様の、マーケティング用のデータでしかない。しかしここには、マーケティングの「マ」の字も出てこない。あくまでも「災害発生時の安全対策等」としか謳われていない。プレスリリースには「統計処理後のデータについては、施設管理者に提供し、災害発生時における迅速かつ適切な避難誘導等の安全対策検討への利用可能性について検証頂く予定です」とあるが、「等」「可能性」「予定」と特定を避ける言葉が並んでいる。様々な可能性を持つ魅力あるデータを作る、というのはビックデータビジネスの鉄則だ。リリースに添えられた「実証によって有効性を確認できた技術は、将来的に、大規模なデータ解析技術の活用が望まれる分野への展開を図っていくことが期待されます」に本音が滲む。

■本当に「実験を行っていることが分かるよう周知」されるのか

普段からNICTのHPをチェックしています、という大阪ステーションシティ利用客は皆無だろう。こうした新聞報道を目にしない限り、利用客は勝手に90台のカメラで撮影され、勝手に動きを観察されることになる。「押し寄せる便意を前にして、空いているトイレをそこらじゅうで探しまわるアナタ」が顔認証され、「想定外の導線で歩き回る一人」として認証されてしまうかもしれない。「鼻くそを自由にほじれない社会」とのタイトルは、いかにもPV稼ぎの扇情的なタイトルだと自覚しているが、こうして大した告知も無しに行なわれる顔認証実験が連なり、防犯と防災とテロ対策という命題があちこちから発動すれば、一挙手一投足を把握される社会はたちまち到来するだろう。誰にもバレずに鼻くそをほじるのが本当に難しくなるかも、というのはそこまで大げさな例えではない。この手の議論を持ち出すと「やましいことがなければ大丈夫、反対するアナタは何か身に覚えがあるのでは」という意見が出るのは知っている。身に覚えはないが、その議論には乗っからない。「勝手に見られている、勝手にデータ化されている」ということに気持ち悪さを覚えるのは、「大丈夫」と鈍感に許してしまうより健全な心構えだと思っている。

今回の実験について、「本実証実験期間中は、実験対象区域において実験を行っていることが分かるよう周知する予定です」とある。「予定」という言葉で逃げているので実際にはどうなるか分からないが、大阪駅及びステーションシティを利用される方は、この4月から行なわれる実験実施中に本当にそのような「周知」が行なわれるかを「逆監視」してほしい。


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