いまどきの高校生アプリと"IoT"

2003年から「パソコン甲子園」というイベントの審査員をやらせてもらっている。高校生・高専生がプログラミングとアプリ作りを競うイベントで、今年も11月8、9日に、予選を勝ち抜いた28チームが会津大学での本戦を競った。

パソコン甲子園 2014の風景 Photo by Hiro Goto

■人気サービスにカウンターをくらわす高校生

2003年から「パソコン甲子園」というイベントの審査員をやらせてもらっている。高校生・高専生がプログラミングとアプリ作りを競うイベントで、今年も11月8、9日に、予選を勝ち抜いた28チームが会津大学での本戦を競った。はじまった13年前は、まだ"パソコン"の甲子園という名前がふさわしく、この間のネットデジタル事情の変化もさることながら、10代の高校生たちとコンピューターとの関係もものすごく変化したと思う。

私にとっても年中行事の1つになっているし、1日半かんづめになってあの空気の中で過ごすのも楽しい。同じような目的で活動している高校生たちが全国から泊りがけで集まってくる。これは、いまどき話題の"ハッカソン"などとは別次元の凄いイベントである。どう凄いのかというと、私個人の経験だが、中学生のときに日本学生科学賞(読売新聞社主催)でこのよう時間を共有したことが、そこにいた連中のパワーをいまももらっているような錯覚もあるからだ。

第1回からほぼ入れ替わっていない審査員の顔ぶれや大学関係者の方々とのやりとりは、1年ごとのこの世界の変化をたな卸しさせてもらうよい機会になっている。第1回が開催された2003年といえば、iモードなどケータイがどんどん広がってきて、ブロードバンドという言葉がもてはやされ、森内閣がe-Japan構想をかかげてICTにネジを巻いていた頃である。

その後のこの業界の変化のほうはここで説明するまでもないと思うが、パソコン甲子園のほうはひたすらパワーを増した感がある。"プログラミング部門"の水準が高くなり、筑波附属駒場、開成、灘高といったところが上位を占めるようになった(もちろんだけではないが)。そして、4年前から種目となった"モバイル部門"の内容が非常によくなっている。

プログラミング部門は、ACMなど海外の学生プログラミングコンテストと同じく、一定時間内にどれだけ問題を解くプログラムを作るかを競う。一方、モバイル部門は、3人以下のチームでAndroidアプリを開発、本戦ではそれをプレゼンテーションして競う。「高校生だから担任の先生の指導によるだろう」と思われそうだが、彼らがいかに自分たちで取り組んでいるかは、プレゼンテーション後に設けられたデモタイムでの対話ですべて見える。

モバイル部門のデモ風景 Photo by Hiro Goto

今年のモバイル部門グランプリは、沖縄工業高等専門学校で、アプリは"テキパキッチン"という作品だった。まずプレゼンで、「みなさん料理のアプリというと“クックパッド”を連想すると思いますが……」と人気サービスの気になるポイントについてカウンターをくらわす。実際に、キッチンでスマートフォンを見ながら料理を作るときに便利に使える工夫をしたものだ。

■プログラミングの必要性はさけばれているが......

このコラムで半年ほど前、私は「人事部が《新入社員にプログラミングを教えて欲しい》といってきた」という話を書かせてもらった。株式会社KADOKAWA(出版社=メディア企業)にとってプログラミング体験は、いままでの印刷会社で輪転機がゴーゴーとうなりながら回るのを見物したり、書店実習をしたり、売れ残った本の裁断を目の当たりにするようなものかもしれないと書いた。

それから、「Tech Institute」という早稲田大学エクステンションセンターで7月に開講したプログラミング講座のカリキュラム作成や運営のお手伝いをさせてもらっていて、それの準備の過程で調査した結果についても触れた。13~35歳の男女の17%が、アプリ開発者講座への参加意欲があり、15~19歳の男性では、実に30%という高い関心が持たれていると紹介させてもらった。

ちなみに、この「Tech Institute」の来年1月から始まる第2期を11月12日消印有効で募集中。今回は東京にくわえて大阪でも開催予定となっている。プログラミングの世界は、東京でしかできないわけではなくて、地域振興でも大きな目玉になる可能性がある。大阪地区では、グランフロント大阪 ナレッジキャピタルと角川アスキー総研の共催となる(サムスン電子ジャパンが社会貢献活動の一貫としてスポンサードしており130時間の講座が20歳以下無料!)。

Tech Instituteアプリ開発講座での授業

そして、私自身が少しひっかかっていたのは、「昔のほうがプログラミングヘ誘ってくれるよい入り口があったような気がする」と書いたことだった。いまはネットもあるし書店で売っているプログラミング入門書の数も確実に多いが、1970年代から1980年代のはじめにかけてのほうが、なんとなく日本全体で機運としてコンピューターに興味を持っていたような気さえしてしまうのだ。

※コンピューター教育をとりまく年表(まだβ版なので念のため)

NHK教育テレビでは、69年から75年までコンピュータ講座を放送していたし、学習研究社は72年には『学習コンピューター』という雑誌を創刊、ホビーではなく、世の中が時代的要請としてコンピューターを求めていたことが明示的に示されていた。『わが友石頭計算機』(安野光雅著、犬伏茂之監修)なんて、礼賛するだけでなく本質をついた本も話題となった。もちろん、これは日本だけでばなく、米国ではレーガン政権の時代に"Educating America for the 21st Century"といった教育改革もあり、小中学校にPCがどんどん入った。

ところがたまたまここに、『日本経済新聞』(1984年11月19日付け)の「小・中学校でパソコン教育、操作・ソフト作り、来年度からモデル校で」という記事のスクラップがある。日本は学校へのPCの導入が大幅に遅れていて、文部省の一昨年の調査で小学校0.1%、中学校1.6%しか導入されていない。米国では小学校で64.2%、中学校で80.5%、シンガポールや韓国でもPCの導入が進んでいるのにというものだ。

1970年代まで、日本の経済成長を支えたキーワードの1つである"オートメーション"の延長線上で、コンピューターは受け入れられたところがあると思う。集積回路やメモリなどの半導体の重要性をみぬいて、"日本株式会社"などと揶揄されながらも産業政策的にも、大手コンピューターベンダーから家電・民生品メーカーまで、エレクトロニクスでごはんを食べようと考えていた。

ところが、個人が1人でつかう"パソコン"になったとたんに日本はコンピューター導入が鈍化したように思える。産業界がエレクトロニクスに邁進しているのに、個人が使うパソコンには冷淡になったのはキーボードなどに対する苦手意識からだという意見がある。しかし、1980年代にワープロは人気があったのでそういう問題ではないような気もする。

図の「コンピューター教育をとりまく年表」は、私の記憶や『計算機屋かく戦えり』(アスキー刊)のために30人以上の日本のコンピューターのパイオニアの方々にインタビューしたときの資料などをもとに書いたものだ(不完全なので80年代まで掲載=この間もコンピューター教育に尽力された方々もおられ全然足りないのだが)。これを見ていただくと私のイメージをとらえていただけないだろうか?

■"IoT"ではなくて"魔法"の時代がくる

2014年のいまになってスマートフォンが国内で6000万台も稼動するようになって、ようやくこの状況は変わりはじめているのかもしれない。パソコン甲子園では、高校生たちがプログラミングの超難問をバリバリ解いたり、中途半端なスタートアップよりまともなアプリが平気で出てくる。Tech Instituteでも50名の男女が、Playストアでのアプリ公開を目指して学んでいて、12月にはその成果発表をかねた「プログラミング・デイ 2014」というシンポジウムを開催予定だ(CANVASの石戸奈々子さん、元グーグルの村上憲郎さん、ゲームクリエイターの伊藤ガビンさんなどが登壇)。

スマートフォンの時代に続いて、これから"IoT"(インターネット・オブ・シィングス)の時代がやってくるといわれている。これは「モノのネットワーク」と解説されることが多いが、要するに世の中のモノやコトがすべて"かしこく"なるということだ。パソコン甲子園の交流会で、ジャーナリストの林信行氏と意見があったのは、それって"魔法"というスケールで見たほうがいいという話だ。

インターネットも、本来の意味は「ネットワークのネットワーク」だが、それを意識してサービスを考えている人はあまりいない。同じように「モノのネットワーク」と考えると、発想が限定的になってしまうと思うのだ。ハリー・ポッターみたいな"魔法"のある時代をデザインするのが、これからの人類の仕事になっていくはずである。それを動かすのはプログラムとデータだから、いま日本の高校生や若い人たちが変化してきているというのは“間に合ってよかった”という感じなのか、どうだろう?

【関連リンク】

注目記事