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阪神大震災から21年+お正月問題2問目の答えです

2016年01月17日 23時11分 JST | 更新 2017年01月17日 19時12分 JST

鍵本です。もう1月が半分終了して、あっという間に阪神大震災の日がやってきました。

ちょうど1年前にも阪神大震災の記事を投稿したので、少し別のお話をしようと思います。昔私が高校教師時代に学年通信に書いた内容でもあるのですが...

次の( )にあなたが思いつく漢字を入れてみてください。

水は( )い。花は( )い。

高校教師時代の私が学年通信で入れた言葉はこうでした。

○水は(重)い。

当時静岡県浜松に住んでいた私は、数日後に西宮市内の実家に帰りました(被害があまりに甚大すぎて、直後にはとても実家に帰れる状況ではなかったのです)。実家に帰って一番大変だったのは水道が止まっていたこと。

給水車が来るというので、みんな大きな鍋やバケツなどを持って並ぶわけですが、その時に私が感じたのは、当たり前のことなのかもしれないのですが、水がとても重たいということ。

「水がまさかこんなに重たいなんて!」

20リットルの水=20㎏、まだ20台だったその当時の私でさえ、腰を痛めそうなほどの重さでした。

わが実家は給水車が来るだけまだよかったのですが、祖父母(ともに故人)はもっと被害が大きい地域でしたので、給水車が入ってくることができず、近くの浄水場まで水を取りにいかないといけないとのこと。お年寄りの祖父が水をもらいに行くというので、私が代わりに原付でポリタンクを2個持って水を取りに行ったのです。

あれは本当に危険な作業でした。そもそも道に何が落ちているかわからない(パンクしそうな感じでした)その上に、水で満タンになった大きなポリバケツ2個を、1つを足元に置き、1つを荷台に括り付けて、原付でゆっくりと道を進んでいくわけです。すこしでもよろけそうになったら、そこで一旦停まらないといけないぐらいでした。

そのときの経験から、ともかく水だけはいっぱい用意しておこうと、部屋には10リットルほど、常にペットボトルの水を備蓄しています。普段何気なく流れ出る水道の水に、未だに感謝せずにはいられないのです。

○花は(怖)い

どうして花が怖いのか。

震災で崩れた家の前に、時々お花が手向けられている場所があるのです。時にはそこに遺影が置いてあったりします。

ここでこの人が亡くなったんだな。

と。そんな場所が西宮北口の北西側から広田町の祖父母宅までずっといくつも続いているのです。御手洗川沿いの小道を暗闇の中、祖父母の家までたどり着くまで、崩れた家がある度に「お花がないように!」と祈ったほどです。そして、暗闇の中、お花が山のように積んであると、恐怖というか苦しさというか、喉の下の方から熱いものがカーッと上がってくるような、経験したことがないような怖さを覚えました。

祖父母が他界して今はあのあたりを歩く機会も減ったのですが、震災直後は西宮市民体育館に遺体が安置されている部屋があったそうで、関西学院大学に毎週バスで通いながら、市民体育館の横を通るときにときどきその光景を思い出すことがあります。

お花というのは、そんなふうに人々の悲しみを集める力があると、人生で初めて感じた瞬間でした。

1995年1月17日から今日で21年、1年に1回はこの日のことをいろいろ書き残そうと思っている次第です。

さて、先週お出しした問題の答えを簡単にこちらに書いておきます。こちらが用意した答えは以下の2通りです。

(7×7×7-7)×(7-7÷7)=2016

(7×7-7÷7)×(7×7-7)=2016

これ以外にあるかもしれませんが、もし発見された方がいらっしゃいましたら、お知らせくださいませ。

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