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中島聡 Headshot

米マイクロソフト本社で目の当たりにしたビル・ゲイツの決断力

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6月1日発売の『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』には、いくつかマイクロソフト時代のエピソードが書かれていますが、これもその一つです。この「シカゴ対カイロ」の社内抗争はマイクロソフト時代の思い出の中でも、筆頭のものです。

◇ ◇ ◇

ビル・ゲイツの意思決定は光速

ビル・ゲイツが仕事で重要視していたのは、"光速"と言っても過言ではない迅速な意思決定です。これについては、どのくらい迅速だったかを象徴するエピソードを紹介します。

あれは忘れもしない1995年1月、シアトルの冬らしい小雨の降る昼下がりのことでした。米マイクロソフト本社内にはOSの開発に関する派閥争いがありました(OSとはマイクロソフトで言うWindows Vistaだったり、アップルでいうところのOS Xなどのパソコンやスマホを動かすための基本ソフトのこと)。"カイロ"というグループと"シカゴ"というグループの対立です。

もともとカイロが、前作のWindows 3.1に続く次世代OSを開発する予定だったのですが、カイロは進捗が悪く、そのあいだを埋めるためにシカゴというグループが結成されました。シカゴはハッカーを寄せ集めた職人集団というイメージで、スタンフォード大学の博士号を取ったような人たちばかりのカイロとはまったく毛色が違いました。

私はもともとカイロに所属していたのですが、退屈なミーティングが多くて嫌だったので、上司と喧嘩したのをきっかけにシカゴに移りました。シカゴならカイロよりも風通しがよく、自分のアイデアもすぐ仕事に反映できると思ったからです。

シカゴに移った私は、カイロにいたころに取り組んでいたプログラムを一部持ち込んできました。一言でいえばアイデアを盗んできたということになりますが、同じ社内だし、そもそもそのプログラムをカイロで設計したのは私だったので、犯罪でも何でもなかったのです。

しかしその後、カイロの人たちに、アイデアをシカゴに持っていったことがばれ、怒られました。スパイだとも言われました。カイロの人たちは社長であるビル・ゲイツに直談判して社内裁判を開きました。

シカゴでの私の上司は、「今度ビル・ゲイツの前でプレゼンすることになったから、全部君に任せるね」とあっさり私に告げました。それにもびっくりしたのですが、それ以上に、カイロから送られてきた資料にも驚きました。約400ページの資料には、私がシカゴに移って組み上げたプログラムが、いかに張りぼてで手抜きかということが延々と書かれていたからです。

たしかにその指摘は間違っていませんでした。前述したように、私は「兵は拙速を尊ぶこそ仕事の要諦」と考えています。早く仕事に着手することを起点にして、 70 点でも 80 点でもいいから速攻で仕事全体をまず終わらせてみることこそ重要という主義です。そういう風ですから、細かいバグが膨大にあったことは認めます。

しかしそれにしても、カイロの頭でっかちのサイエンティストたちは机上の空論ばかり振りかざしているように見えました。こんな細かい指摘ばかりしていては、いつまで経っても仕事は終わりません。この400ページの資料も全部読もうとしても眠くなってしまうので、数ページめくってからそっと閉じ、社内裁判に出席することに決めました。

プレゼンの日は刻々と近づいていましたが、プレゼン資料を用意する気にもなりませんでした。技術的に細かなことで闘うのではなく、これはマイクロソフトのカルチャーに関わる問題だということを明らかにしたほうが良いと思ったのです。カイロのような仕事の仕方では決してものは出せないことをビル・ゲイツに納得してもらうのです。

裁判当日、私は取締役会議用の会議室に通されました。そこには、マイクロソフトのトップ5のうち、営業の長であるスティーブ・バルマーを除いた全員が出席していました。副社長のブラッド・シルバーバーグとジム・オールチン、オフィス開発グループリーダーのブライアン・マクドナルド、上級副社長のポール・マリッツ、そしてビル・ゲイツ。このそうそうたる顔ぶれを見て、私はとんでもなく重大なミーティングに参加しているということに気づかされました。

こうなると緊張どころか、逆にワクワク感が募ってきます。これだけのメンツがそろっている前で、自分の仕事の重要性を主張する機会は滅多にありません。机上の空論ばかりを繰り返しているカイロに負けるわけにはいかない。アドレナリンが血中に放出されるのを感じました。

裁判が始まりました。まずカイロ側が例の400ページの資料を出して、シカゴの仕事がいかに適当でダメダメかということを話しました。そのとき、私は400ページの資料を読んでいなかったことを後悔はしませんでした。私なりの戦い方の準備をしていたからです。

私の発言の機会が回ってきました。何も資料は作っていませんでしたが、一つだけ用意してきたものがありました。あるデータが入ったCD︲ROMです。その中身を披露しながら、私はビル・ゲイツの目を見据えてこう言いました。

「カイロチームの主張にも一理あるけれど、完璧なアーキテクチャ(基本設計)を追い求めていては、永遠にものは出せません。Windows95のリリースはあと6か月に迫っています。いつになったらリリースできるかわからないカイロにマイクロソフトの将来を任せるというのは、どう考えても間違っています」

次世代OSをめぐるカイロとシカゴの戦いは、どちらの時間の使い方が正しいかをかけた戦いでもあるのです。

ビル・ゲイツはこのあいだずっと両手を体の前に合わせ、少し前屈みで、体をゆっくりと前後に揺らしながら聞いていました。考えながら真剣に人の話を聞いているときの彼のスタイルです。

一通りの意見を聞き終えると、ビルの体の揺れが止まりました。「何か重要な発言をするのか」と私は身構えました。しかし、ビルは単にポール・マリッツのほうを向き、目配せをしただけでした。するとポールが「ここでこのまま待つように」と言って立ち上がり、ビルと一緒に部屋から退出しました。恐らくビルの頭の中では結論が出たのでしょう。それをポールと再確認したうえで、最終決定として伝えるつもりなのです。

ビルとポールが退出していた時間はわずか3分ほどでした。けれども部屋には妙な沈黙が流れていて、私にはそれが1時間くらいに感じられました。部屋にいる全員が、次に彼らが部屋に戻ってきたときには、裁定が下され、それには誰も口をはさめないことを知っていました。シカゴとカイロという莫大な開発費をかけた2つのプロジェクトの命運が、今日この場で決まるのです。

ドアを開いて、ポールを先頭に二人が部屋に戻ってきました。運命の瞬間です。

「カイロプロジェクトはキャンセルする」

開口一番、ビルはそう言いました。カイロプロジェクトキャンセル。

それはすなわち、4年にわたってカイロが開発していたOSをなかったものにするという意味です。その一瞬で、400人を超える大所帯のカイロを解散することを決めたのです。逆に言えば、シカゴで開発していたOSを、マイクロソフトの次世代OSとしてリリースする方針に決定したということでもあります。

その次世代OSとは何でしょうか?

それは、私が証言していたときに実際に動かしていたCD︲ROMにすでに格納されていました。その中身は、シカゴに移った後に完成させていたベータ版のWindows95だったのです。

この裁判はまさに、私の提出した仕事が会社のトップに認められた瞬間でした。そしてこの重要すぎる決断は、たったの3分で下されたのです。